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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ


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19/22

未来の記憶

挿絵(By みてみん)

 吹き抜ける風が、火照った体を冷ましてくれる。

 眼下に広がるのは、帝都・東京の絶景。

 瓦屋根が連なる下町の風景と、その向こうにそびえ立つ近代的なビル群。

 そして、それらを縫うように走る路面電車。

「……すげえ……」

 俺は、思わず息を呑んだ。

「でしょ?」

 歌麿は、柵に肘をつきながら、うっとりとその景色を眺めている。

「私、ここから見る帝都の景色が好きなのよねぇ。ごちゃごちゃしてて、まとまりがなくて……でも、一生懸命生きてる感じがして、美しいじゃない」

 彼の横顔は、いつもの飄々とした雰囲気とは違い、どこか真剣な色を帯びていた。

「写楽ちゃんはさ」

 歌麿は、景色から目を離さないまま、静かに問いかける。

「なんで、戦うの?」

 歌麿の静かな問いが、夕暮れの風の中に溶けていく。

 俺は、すぐには答えられなかった。

(なんで、戦う……?)

 決まってる。

 未来を変えるためだ。

 応為を、仲間たちを、この帝都を守るため。

 だが、その答えが、やけに薄っぺらく感じられた。

 任務に失敗し、仲間たちの足を引っ張った今の俺に、そんな大層なことを言う資格があるとは思えなかった。

「……守りてえ奴らが、いるから、かな」

 やっとのことで絞り出した俺の答えに、歌麿は「ふうん」とだけ相槌を打つ。

「写楽ちゃんは、優しいのね」

 彼は、夕日に染まる帝都の景色から目を離さず続けた。

「でも、優しさだけじゃ、何も守れないわ。戦場は、そんなに甘い場所じゃない」

「……分かってるよ」

 俺は、悔しさを滲ませながら答える。

 分かっている。

 痛いほど、分かっているつもりだ。

「あたしはね」

 歌麿は、不意にこちらを振り返った。

「美しいものが好きなのよ。……ただ、それだけ」

「……は?」

「美しいものは、人の心を奪うのよ。この帝都の夜景がそうであるようにね」

 彼の視線が、再び眼下の絶景へと注がれる。

 瓦斯灯の柔らかな光が、まるで宝石のようにきらめき始めていた。

「戦場でも同じ。相手があたしの動きの美しさに心を奪われた一瞬、そこが最大の勝機になるの。あたしの剣は、相手を斬るためだけにあるんじゃない。心を奪い、魅了して、戦う気力を失わせる。そういう戦い方も、あるのよ」

 美しさ。

 それが、彼の強さの根源。

 北斎が求める、森羅万象の「理」とは、また全く違う境地。

「でもね」

 歌麿は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「それだけじゃ、仲間は守れない……。それも、貴方たちといて学んだことかしら」

 その言葉に、俺はハッとした。

 この人も、迷っているのか。

 俺と同じように。

「清長も、たまには正しいこと言うのよ。彼の言う規律が無ければ組織は成り立たないわ。それがあるから、あたしたちは仲間に背中を預けて力をふるうことが出来る。美しく舞うことができる。……悔しいけどね」

 歌麿の素直な本音。

 それは、俺の心にすとんと落ちてきた。

 そうだ。

 俺は、一人で戦おうとしすぎていたのかもしれない。

 北斎のようにも、歌麿のようにもなれない。

 俺は、俺だ。

 なら、俺だけの戦い方は、一体どこにある?

「……ありがとよ、歌麿」

 俺がぽつりと礼を言うと、彼は「あら、素直じゃない」と、いつもの調子で笑ってみせた。


 夕暮れの風が、俺たちの間を吹き抜けていく。

 北斎の「理」と、歌麿の「美」。

 二人の偉大な先輩の教えが、俺の心の中で、一つの答えへと形を変えようとしていた。

 歌麿が去った後も、俺は一人、凌雲閣の展望台に残っていた。

 眼下には、家路へと急ぐ人々の流れと、宝石のようにきらめき始めた帝都の夜景が広がる。

 美しい。

 歌麿の言う通り、この景色は、確かに人の心を奪う力を持っていた。

(……俺だけの戦い方)

 北斎の、森羅万象の理を求める、どこまでも深い「理」の剣。

 歌麿の、相手の心さえも魅了する、華麗でしたたかな「美」の剣。

 二人とも、とんでもなく強くて、とんでもなく格好いい。

 だが、俺は、彼らのようにはなれない。

 俺の戦う理由は、もっと単純で、もっと泥臭いものだ。

 未来で失った、応為の笑顔。

 あの平和な日常。

 ただ、それだけを取り戻したい。

 守りたい。

(……そうだ。それで、いい)

 北斎のように、森羅万象の理を捉えることはできないかもしれない。

 歌麿のように、華麗に舞うこともできないかもしれない。

 だが、俺には俺だけの武器がある。

 未来を知る、この記憶。

 そして、仲間を失う痛みを知っている、この心。

 俺は、俯いて自分の掌を見つめた。

 不器用で、傷だらけで、まだ何も掴めていない手。

(……でも、この手で守るんだ)

 そうだ。

 俺は、一人じゃない。

 俺だけの戦い方とは、きっと、この仲間たちとの「絆」を力に変えることなんだ。

 それぞれの強さを信じ、背中を預け、そして、俺が未来から持ってきたこの記憶で、仲間たちを導く。

 今はまだ、足手まといかもしれない。

 だが、いつか必ず。

 俺は、顔を上げた。

 眼下に広がる帝都の灯りは、まるで俺の決意を祝福するかのように、強く、そして優しく輝いている。

 北斎のようにも、歌麿のようにもなれない。

 俺は、俺のやり方で、未来を変える。

 新たな決意を胸に、俺は夜の闇へと続く螺旋階段を、力強い足取りで降りていった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は6月6日(土)19時に更新予定です。

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