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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ


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18/22

万物の理、十二階の風

挿絵(By みてみん)

 稽古が終わり、仲間たちが一人、また一人と龍穴から去っていく。

 だが、俺はその場から動けずにいた。

 喉元に突きつけられた木刀の、ひやりとした感触。

 そして、俺の心の迷いを的確に射抜いた、北斎の言葉。

(……何を、恐れている)

 その問いが、頭から離れない。

 俺は、龍穴の片隅で一人、黙々と素振りを続けている北斎の背中を、じっと見つめていた。

 鬼気迫るほどの集中力。

 彼の強さの源は、一体どこにあるんだ?

 俺は、意を決して彼に歩み寄った。

「なあ、北斎」

 俺の声に、北斎は素振りをやめ、静かに振り返る。

 その瞳は、感情の読めない、深い水面のように静かだった。

「……なんだ」

「あんたは、なんでそんなに強いんだ?」

 我ながら、あまりに単刀直入で、子供じみた質問だと思った。

 だが、今の俺には、そう聞くことしかできなかった。

 北斎は、俺の問いにすぐには答えなかった。

 ただ、手に持った木刀の切っ先を、じっと見つめている。

 やがて、彼はぽつりと呟いた。

「……強いか。俺は、まだまだ政信の旦那の足元にも及ばん」

「そんなことねえだろ! あんたは……」

「俺の目指す道は、全てのことわりの追求だ」

 俺の言葉を遮り、北斎は静かに続けた。

「波のうねり、空を流れる雲、人の動き。この世の森羅万象を、ただひたすらに見つめ続ける」

 理を、追求する。

「剣の道も、同じだと思っている」

 北斎は、俺の木刀をすっと指差す。

「相手の型、呼吸、癖……その全てを都度五感で感じ取り、千変万化の刃で打ち返す。だが、まだ道半ば。この道の到達点に至るには、俺の生涯を懸けても足りんかもしれん」

 千変万化の刃。

 その言葉が、俺の胸に深く突き刺さった。

 俺は、たった一つの未来に囚われ、焦り、刃を鈍らせていた。

 だが、この男は違う。

 この世の森羅万象、その全てに応じようとしている。

 見ている世界の広さが、まるで違うのだ。

「……すげえな、あんた」

 俺の口から、思わず本音が漏れた。

 俺のその言葉に、北斎は初めて、ほんの少しだけ表情を緩めたように見えた。

「フン……。感傷に浸る暇があるなら、木刀を振れ。お前の道は、まだ始まったばかりだ」

 それだけ言うと、彼は再び素振りを始めた。

 その姿は、まるで終わりなき道を歩き続ける、孤高の求道者のようだった。

 俺は、そんな彼の背中を見ながら、もう一度、自分の木刀を強く握りしめた。

 俺だけの戦い方。俺だけの「理」。

 それを見つけなければ、未来は変えられない。

 そのための、次の一歩を踏み出す時が来たようだ。

 北斎との稽古を終えた俺は、一人、龍穴の壁に背を預けて座り込んでいた。

 ずしりと重い木刀の感触が、まだ腕に残っている。

 だが、それ以上に重いのは、自分の心の内に巣食う迷いだ。

(俺だけの戦い方……俺だけの理……)

 北斎の言葉が、頭の中で何度も反響する。

 だが、答えは簡単に見つかりそうになかった。

「あら、写楽ちゃん。そんな暗い顔しちゃって、せっかくの男前が台無しよ」

 不意に、軽やかな声がかけられた。

 顔を上げると、そこにいたのは、いつものように優雅な立ち姿の歌麿だった。

「歌麿……」

「まだ任務の失敗、引きずってるのかしら? あなた、意外と根に持つタイプなのね」

「……うるせえよ」

 俺がぶっきらぼうに返すと、歌麿はくすくすと楽しそうに笑う。

「しょうがない子ねぇ。ちょっと、付き合いなさい」

 そう言うと、歌麿は俺の腕をぐいと引っ張って立たせた。


 俺たちは、再びエレベーターに乗る。

 地下深くから上昇を始めたエレベーターは、やがて地上1階の喧騒を通り過ぎ、そのまま8階まで一気に昇っていった。

 チン、と軽やかな音を立てて扉が開いた8階には、最上階である十二階の展望台へと続く、優雅な螺旋階段が設けられていた。

「……なんで、こんな所に?」

「いいから、いいから」

 歌麿に促されるまま、俺は螺旋階段を上っていく。

 やがて、最上階である十二階の展望台に出た。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は6月3日(水)19時に更新予定です。

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