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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ


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17/22

何を、恐れている

挿絵(By みてみん)

「——見つけたわよ、悪い子猫ちゃん!」

 歌麿の甲高い声が響く。

 蔵の中にいたのは、ぼろを纏った、小柄な男だった。

 その目は、先日俺が遭遇した化け物と同じ、昏い赤色にぎらついている。

「ちいっ、ウキヨ英士か!」

 男は忌々しげに吐き捨てると、その姿を瞬く間に異形へと変えた。

 鋭い爪、獣のような俊敏さ。

 間違いなく惡魂だ。

「写楽、距離を取れ! 歌麿、撹乱を!」

 清長の的確な指示が飛ぶ。

 歌麿が、蝶のように舞いながら惡魂の周囲を飛び回り、その注意を惹きつける。

 赤い光の刃が、華麗な軌跡を描いた。

「はぁっ!」

 清長が、その隙を突いて背後から鋭い一撃を叩き込む。

 完璧な連携。

 惡魂は為す術もなく、じりじりと追い詰められていく。

(……すげえ)

 俺は、二人の洗練された戦いぶりに、ただ圧倒されていた。

 だが、その時だった。

 追い詰められた惡魂が、最後の抵抗とばかりに、壁際に積まれていた材木を蹴り飛ばした!

 大量の材木が、ガラガラと音を立てて、歌麿の頭上へと崩れ落ちてくる。

「しまっ……!」

 歌麿の動きが一瞬止まる。

(——危ねえ!)

「待て! 写楽!!」

 清長の制止の声も聞かず、俺の体は動いていた。

 俺は地を蹴り、歌麿の体を突き飛ばしてその場から退避させる。

「ちょ! 写楽ちゃん!!」

「写楽、貴様! 何を……!」

 俺の行動で、完璧だったはずの二人の陣形が、大きく崩れた。

 その一瞬の隙を、惡魂が見逃すはずもなかった。

 惡魂は、身を翻すと、驚くほどの速さで蔵の窓を突き破り、闇夜へと姿を消した。

「……ちっ! 待て!」

 清長が後を追おうとするが、もう遅い。

 邪悪な気配は、あっという間に遠ざかっていった。

「…………」

 静まり返る、蔵の中。

 床には、俺が突き飛ばしたせいで尻餅をついた歌麿と、怒りに肩を震わせる清長、そして、呆然と立ち尽くす俺だけが残されていた。

 任務は、失敗に終わった。

 ……俺の、せいで。


 任務失敗の翌日、俺は龍穴で独り我武者羅に木刀を振っていた。

 悔しさ。

 焦り。

 そして、自分の不甲斐なさ。

 渦巻く感情の全てを叩きつけるかのように、ただひたすらに素振りを繰り返す。

(……足りない。何もかもが、足りていない)

 歌麿を危険に晒し、敵を取り逃がした。

 俺の未熟な判断が、仲間たちの足を引っ張ったのだ。

 あの時の、清長の失望に満ちた目。

 歌麿の心配そうな顔。

 それらが、脳裏に焼き付いて離れない。


 そんな俺の姿を、ただ黙って見ていた北斎は、

「……全力で来い」

 と、肩で息をしている俺に向けて静かに木刀を構える。

 有無を言わさぬ、その一言。

 それは、いつもの稽古とは明らかに違う、真剣勝負の始まりを告げていた。

 俺は、残った力の全てを振り絞り、北斎へと打ち込んでいく。

 一太刀。

 また一太刀。

 木刀がぶつかる乾いた音が、龍穴内に響き渡る。

 だが、俺の刃は、ことごとく空を切るか、柳のように受け流されるだけ。

 彼の構えは、まるで鉄壁。

 それでも、俺は止まらなかった。

 止まれなかった。

 ここで立ち止まれば、俺はまた、未来で何もできずに立ち尽くすことになる。

「うおおおおっ!」

 絶叫と共に、渾身の一撃を叩き込む。

 しかし、その刃が北斎に届くことはなかった。

 ひゅん、と風を切る音。

 気づけば、北斎の木刀の切っ先が、俺の喉元で寸分の狂いもなく、ぴたりと止まっていた。

 冷たい汗が、首筋を伝う。

「……お前の剣には、迷いがある」

 北斎が、氷のように冷たい声で言った。

「何を、恐れている」

 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 見抜かれている。

 未来を知るがゆえの焦り。

 仲間を失うことへの恐怖。

 そして、仲間と上手く連携できなかった、昨日の悔しさ。

 その全てが、俺の刃を鈍らせていることを、この男は完全に見抜いていた。

 俺は、何も答えられない。

 ただ、喉元に突きつけられた木刀の切っ先を、呆然と見つめることしかできなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は5月31日(日)19時に更新予定です。

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