凌雲閣の地下
ウキヨ英士『写楽』としての日々が始まって、数日が過ぎた。
とはいえ、俺の日常が劇的に変わったわけじゃない。
昼間は相変わらず車夫として働き、夜は北斎との過酷な稽古。
ただ一つだけ変わったことがあるとすれば、仲間たちの俺を見る目が、少しだけ変わったことくらいか。
そんなある日の朝。
「写楽、組頭がお呼びだ」
声をかけてきたのは、清長だった。
その硬い表情は相変わらずだが、以前のようなあからさまな敵意は感じられない。
言われるがままに政信の旦那の部屋へ行くと、そこには旦那だけでなく、北斎と歌麿の姿もあった。
「よう、来たか写楽」
政信の旦那が、にやりと笑う。
「てめえも今日から、本格的な訓練に参加してもらう。心して励めよ」
「本格的な訓練、ですか?」
「ああ。——行くぞ」
俺の問いには答えず、北斎が静かに立ち上がった。
それに続き、清長と歌麿も部屋を出ていく。
「ちょ、どこへ行くんだよ?」
俺が慌てて尋ねると、歌麿が優雅に振り返った。
「あら、写楽ちゃん、初めてだったかしら。私たちの秘密の稽古場よ」
「秘密の稽古場?」
俺たちが向かったのは、なんと、浅草のシンボルとしてそびえ立つ「凌雲閣」だった。
未来で、半壊した姿を見た、あの十二階建ての塔。
(マジかよ……こんな街のど真ん中が、秘密の稽古場だってのか?)
あまりに大胆不敵なその事実に、俺はただ呆然とするしかない。
俺たちは、観光客で賑わう正面入り口を避け、従業員が使う裏口から静かに建物の中へと入った。
薄暗い通路を抜け、俺たちが乗り込んだのは、文明開化の象徴であるエレベーター。
モダンな制服に身を包んだ昇降係の女性が、にこやかに階数ボタンを押していく。
やがて、エレベーターが八階に到着すると、昇降係の女性は「皆様、どうぞごゆっくり」と一礼し、先に降りていった。
エレベーターの扉が閉まり、箱の中には俺たち四人だけが残される。
直後、外の表示盤が『点検中』の赤いランプに切り替わったのを、俺は扉の隙間から確かに見た。
「さて、と」
歌麿が、悪戯っぽく笑う。
北斎が、運転盤の下にある隠しパネルにすっと右手をかざす。
手の甲に刻まれた『極印』が淡い光を放ち、龍輝が注がれると、エレベーターが静かに、下降を始めた。
「うおっ!?」
突然の動きに、俺は思わず声を上げる。
「驚いた? この先が、私たちの秘密基地なのよ」
「まったく、新入りがいると、いちいち説明が必要で手間がかかる」
清長は、相変わらず苦虫を噛み潰したような顔だ。
エレベーターは、通常では存在しないはずの地下階へと、静かに、そして深く降りていく。
やがて、重い音を立てて停止すると、目の前の扉がゆっくりと開かれた。
「……すげえ……。こんな場所が、地下にあったなんてな……」
扉の先に広がっていたのは、広大な地下空洞。
壁や天井が、龍輝の力で淡く発光し、まるで星空の中にいるかのような幻想的な光景が広がっていた。
ここが、浅草龍穴。浮世組が命を懸けて守る、帝都の心臓部。
俺がその光景に圧倒されていると、清長が厳しい声で言った。
「呆けている暇はないぞ、写楽。——これより、連携訓練を開始する!」
清長の号令を背に、俺は広大な地下空洞——浅草龍穴へと足を踏み入れた。
ひんやりと、だが清浄な空気が肌を撫でる。
龍輝で淡く光る壁や天井は、まるで星空のようだ。
「ここが、俺たちの本当の稽古場だ」
北斎が、静かに呟く。
龍穴の中央まで進むと、そこに鎮座していたのは、人間ほどの大きさを持つ、不気味な木製の人形だった。
能面のような無表情な顔に、幾本もの腕。
源内さんが作ったという、カラクリ人形だ。
「これより、カラクリ人形を惡魂と想定した連携訓練を開始する!」
清長の声が木霊した。




