2話
着任から数日が経った。リンネは気の進まない仕事から逃げるために訓練場の周りの石畳を目的もなく回っている。魔法騎士団とは言っても剣術や体術はやらなければならないらしく、むさ苦しい声がよく響いていた。リンネにはその声が自らに現実を突きつける悪魔の声に聞こえて仕方がなかった。
生憎季節外れの曇天で、少し肌寒い。コートを着込んで空を見上げるリンネの視界に、近頃一番気を煩わせる存在が映る。それと目が合った。
「何してるんですか!仕事はどうしたんです?!」
彼女はお目付け役兼補佐官のダイナといった。訓練のそれとは別物の不快感を帯びた声がよく通る。リンネはすぐさま目を逸らして早足でその場を離れようとする。しかし、ダイナは大きな音と共に、彼のすぐ後ろに降り立った。窓から飛び降りたらしい。それはつまり、お縄にかかったという事だった。
「団長からは優秀な人物だと聞いていたんですが、、、まさか団長にも間違いがあるんですね。」
興味深そうな顔をしてリンネの腕を掴んだ彼女はそのまま彼を屋内に引きづり込む。運動などろくにしていないリンネには早足の過ぎる連行で、足がもつれそうになった。
「団長がホラ吹きなのは事実だろう。そう言うことさ。」
ダイナは一瞬後ろを向いてリンネを睨みつける。
「貴方が仕事をしさえすれば団長がホラ吹き呼ばわりされることもないかもしれないでしょう。仕事をしてください。」
へえへえと適当に相槌を打ってあしらうリンネは、気付けば所長室の前に着いていた。勢いよく流れる様な動作で扉を開けるダイナは、部屋の中を見て硬直した。リンネもまた同じ景色を見て顔を落とす。
「、、、なんで貴方がいるんですか。」
机に向かっているのはハンナである。
「君がしない分の仕事をしているんだよ。勘所を掴むために用意させたのに全然進んでないではないか。」
こちらに一瞥もくれずに書類に埋もれている。リンネが部屋を出た時は綺麗に整頓されていたはずだったのにこの有様だ。
「仕事をしてくれるのは結構なんですがね、人の部屋ってこと忘れないでください。」
リンネは執務机の前に設置されたソファに足を組んで腰掛けた。ダイナは背もたれの後ろから彼を見下ろしている。見下している。
「そんなことよりこれだ。」
ハンナから手渡されたのはひと綴りの紙束。リンネはペラペラとめくって、しかし中身をろくに確認もせずに机に投げる。
「サテマの件は手順を踏んでから寄越してほしい。」
この数日で、ハンナに対するリンネの口調はずいぶん崩れてしまっている。それを気にするのはダイナだけだった。
「貴方ねぇ、もう少し礼儀というものを覚えたほうがいいですよ。」
ハンナは苦笑いして制止する。
「いやいいんだ。こいつの本質が出ただけだろう。これに関しては私も悪いところがないでもない。」
100%悪いのはアンタだと言いたいところだが、これ以上ダイナを刺激しても追い回しに熱が入るだけだ。リンネは紙束の一番上を流し目で見ながら会話を続ける。
「で、これがどうしたんです?」
「あぁ、サテマで行われていた魔法実験の記録だよ。知っての通り、私はあれが自然現象とは思っていない。これが手掛かりになるかもと思ってな。」
確かに、ずいぶん古い日付ではあるが、サテマでの魔法実験の記録の様だ。リンネは改めて書類を手に取る。幾つかの見慣れた名前が入った実験記録もあれば、そうでないのもある。特に目につくのが、オズワルドの実験だった。実験が目についたというよりは、オズワルドという名前に強烈な印象があった。その資料を冊子から抜く。
「それか、君はいい目を持っているな。私の見込んだ通りだ。」
いつの間にか手を止めてこちらを見つめるハンナがいた。
「いや、オズワルドがね、少し気になりまして。」
オズワルドといえば反魔法主義の魔法師で有名だ。環境保護という名分を掲げて事あるごとに魔法実験を阻止するので魔法師からは蛇蝎の如く嫌われている。リンネも嫌いだった。それがなんでか魔法実験を主導しているという事になっているのだ。
「魔法嫌いの魔法師が実験を主導するのもおかしいが、それ以上にオズワルド、サテマ消滅で死んでるんだよ。」
「そりゃまた、、、」
そりゃまた出来すぎていないか?明らかに表向きの代表者だ。名義貸しか、それとも脅されてやらされているか、気が変わって魔法ジャンキーにでもなったか。よく見れば実験内容もおかしい。
「魔素集積実験?なんだそりゃ。ダイナ、分かるか?」
一応置いてけぼりのダイナにも話を振ってみる。しかし難しい顔をするだけで特に何か知っているわけではなさそうだ。
「騎士団で調べたんだが、そこもよく分からない。魔素という概念がそもそも難解すぎる。それを実験嫌いが理解して、あまつさえ自ら実験をするとは思えんのだ。」
リンネは魔素論に通じていそうな知り合いを思い浮かべたが、やはりあまり役に立ちそうに無い。主に性格面でダメだ。
「手のつけようがありませんね。当の本人も死んでいるんじゃあ話にならない。」
「そこでだ、サテマに行ってみようと思う。」
後ろから床板の軋む音が聞こえる。見上げてみれば、ダイナがハンナの方を向いて顔を引き攣らせていた。
「正気ですか?団長。」
「正気だとも。まぁ行くとしても違法なものにはなるだろうが。」
それ正気じゃないぞ。ダイナも半笑いの体である。ハンナの無茶無理無謀はここにきて始まった事でもない。自分で勝手に行く分には止めるだけ無駄だし止める意味もないだろう。
「遺留品見つかったら共有してください。まぁ何年も経った更地で何が見つかるとも思えませんが。」
「何を言っているんだ。お前たちも行くんだぞ?」
何を言っているんだ!?バカなのか?見てみなさい、ダイナが失神寸前ですよ。リンネは信じられないものでも見るかの様にハンナを凝視する。
「因みに、例の如く君達に拒否権は無い。さぁ、サテマ行きの準備をしたまえよ。はっはっは。」
そうですかと肩を落とす。未だ状況を掴みきれていないダイナを落ち着けるようにハンナは笑いかけた。やつれて生気の無い笑顔がかえって恐ろしかった。




