1話
扉の前に立つのはリンネといった。彼は曲がりきった猫背を珍しく伸ばして、魔法院の制式であるクロークに身を包んでいる。扉をノックしてから数分が経っている頃だった。
「入れ」
中から女の声が聞こえる。リンネはため息を一つついて入室した。
「珍しいですね、あなたが入室の許可を出すとは。」
待っているのは第六魔法騎士団団長、ハンナである。騎士団とは思えない華奢な体躯をした彼女は見た目通り面倒臭そうに口を開く。
「当然だ、私が呼びつけたのだからな。」
それでも数分待たせているだろうと内心で毒突きながら苦笑いを浮かべるリンネは一応立場の上である彼女に対して騎士団式の礼をした。
「なんだお前、騎士団に入りたいのか?局長はもう飽きたか。重畳というやつだな。」
リンネは乾笑して即座に否定した。冗談に口角を上げながら事務を続けるハンナに本題を促す。
「まだ局長はやるつもりです。それで、私を呼びつけた理由をお伺いしても?」
ハンナのやつれた顔がチラリとこちらを向いて、また戻る。
「例の件に進展があった。」
あぁ、最悪だ。この様な話出しでいい思い出は一つもない。もはやトラウマである。彼は一番嫌なパターンを引き当てて、そりゃ当然入室を許可するわけだと得心いって頷いた。続く言葉の予想もつくというものだ。
「協力して欲しいのだが、」
いつの間にかハンナは書類からリンネに視線を移している。疲労により眼窩のさらに落ち窪んで見える顔が睨んだ。それに対して彼は口を開かず応答しない。そうすることによって大体の場合拒絶は伝わる。
しばらく睨み合いのような戦争が続き、先に痺れを切らしたハンナが靴底を打ち付けながら視線を逸らした。
「君はいつもそうだな」
小言をぶつけて顔を顰める彼女はため息をついて書類を片す。
「サテマについては関わり合いになりたく無いと何度も言っているでしょう。」
眉を嚬めるハンナ、ただ彼にはそれが不快だけでは無いように見えた。
「やはり、サテマは腫れ物だな。皆あれを自然現象にしておきたくて仕方ないらしい。」
少し遠くを見つめるように視線を泳がせて、そう呟くハンナ。リンネにしてみれば、そのような嫌味をぶつけられたところで、自らの身の安全の方が大事だった。解決宣言をしたのは議会だ。それに疑問を唱えるのはつまるところ叛逆なのだ。
ハンナはテーブルを何度か叩いて、唐突に書類に筆記する。それが終わったのか、こちらに向き直り口を開いた。
「さて、本題に入ろうか。」
そのような言葉を口走る彼女に、リンネは自分の耳を疑う。しばらく間があって、確認するように問う。
「、、、先程の件が本題なのでは?」
「?あんなのはついでだよ。と言うよりあっても無くても良い提案だ。」
ハンナの言っている意味がリンネにはまるで分からない。分かりたくなかったと言う方が正確だろうか。サテマの件以上に本題になり得る面倒な議題は無い。リンネの中でこれ以上会話を続けると身を滅ぼす事になると言う直感が響く。
「君を私の騎士団に推薦しておいた。議会にも提出済みだ。王の認可もある。更には君の部下にも伝えてあるし、引き継ぎも問題なくやってくれるだろう。知らないのは君だけだ。」
さっき書いていた書類を見せびらかすようにしてそんなことを言う。そこにはハンナのサインと、議会承認の捺印があった。あぁ通りで研究室がソワソワしていたわけだ。彼は最近のことを思い出して納得する。幸の薄い彼の直感というのは往々にして正しいのだ。少し動揺したリンネはすぐさま心を立て直して疑問をぶつける。
「なぜ?どうして僕なんですか?」
ハンナは机に肘をついて口元を隠すように指を組んだ。
「単刀直入に君のコネが欲しい。あちこちで恩を売っているそうじゃないか。それを使わせてくれ。」
リンネはそのような物言いに少し力の入った抗弁をした。
「嫌です。こんなやり口しかできない人に協力する義理は有りません。第一、皆僕のことを小間使いか何かとしか思っていない。恩など売れてませんよ。」
きっぱりと言ってやった。今回は譲れないラインに抵触している。そのような要望は全て弾き返さなければならないと、リンネは覚悟を決めたのだった。しかし、ハンナは小首を傾げて、眉はわざとらしく八の字をつくる。とぼけたような顔をして言う。
「因みに言うが、君に拒否権は無いよ?」
リンネはその言葉に押し黙るほかない。返すべき答えが見当たらなかった。口が開きっぱなしになっているのにも気付かない。
「議会への提出、王の認可、部下への根回しも終わっているんだ。ハナから君に選択肢などないのだよ。それとも何か?無い選択肢をわざわざ選んで叛逆ごっこに興じるつもりか?」
彼はなんとか状況を脱しようと頭を回転させる。そうしているうちに体は自然とクロークの内側、ハンナからは見えない位置にある魔法器に手を掛けさせていた。いつもの癖でもあった。
機械仕掛けの球体が一瞬で砂のように崩壊して、しかし何も起こらない。おかしい。逡巡しているとハンナが勢いよく立ち上がり、目を輝かせて彼を見た。めんどくさそうだった先程の彼女が嘘のようだ。
「君はすごいことをしでかすのだな!まさか魔法を使うとは思わなかったよ。」
心臓を握られたかのような気分だった。まさかバレるとは思わなかった。そもそも大した魔法じゃない。発動しても、対象にはバレないようなものだ。多少記憶を弄るだけ。それがバレる状況というのは相当にまずい。リンネはシラを切った。
「何を言っているのですか。何も起きてないでしょうに。」
ハンナは机に散らばった書類をざっと腕で払いのけて円錐形のガラス瓶を置いた。
「これがあったからな。君が魔法を使ったら分かるさ。」
リンネは自分のしでかした事よりも重大なそれを目の当たりにして声を荒げる。
「それは!魔術具では無いのか?!貴方はなんと言う、、、禁則違反ですよ!」
ハンナはしばらく楽しそうに笑って言い訳を宣う。
「いやいや、私はこれの製造には関わっていないからね。ただ『サテマで拾った』だけだ。」
余裕綽々な態度を取るハンナに対してリンネは自分ごとのようにタジタジになっている。
「まぁ、今回はお互い様ということで落ち着けておこうか。君の魔法発動も本当なら大問題なんだが、幸い誰の目もない。隠蔽しても問題なかろう。ただ、私の『これ』をサテマで拾ったと言うことの意味は分かるね?」
魔術師が関わっている。そんな事はみんな薄々気づいているのだ。だからこそ距離を置いてきた。それに、ここでの魔法行使未遂が公になれば自らが行なってきた今までの些細な悪事がバレる。それだけは避けたかった。
「、、、わかりました。一ヶ月時間をください。それまでに準備を整えます。」
最初から勝ち目のない戦いだった。或いは、自主的に協力していれば、とも思わないでもない。収まらない疑問の嵐と、それを口に出したところで意味はないと言う諦念が渦巻いて、彼の思考を阻害する。
「もう部屋は用意してある。一ヶ月なんて言わずに今日から着任したまえ。それで問題ないように手は回してある。研究室の名前を、そうだな、、、リンネウス研究室というのはどうだろう。決まりだな。ではよろしく頼む。」
ハンナは独り言のようにリンネの行く末を決定する。上機嫌な様子で立ち上がり、脱力する彼の横を通り抜けてどこかへ行ってしまった。
「なんだこれは、、、」
リンネにとっては地獄のような日々が幕を開ける事となった。




