泥棒たちの夜
その夜、俺たちは獲物を求めて、とある屋敷へ向かっていた。
俺の名は知られていない。盗みを生業にして、もう何年にもなる。仲間は五人。これまでにも、商家や武家屋敷に忍び込んでは、金や食料、売り払えそうな品物を盗んできた。もちろん、見つかればただでは済まない。だが、俺たちには盗みを成功させるための心得があった。
人が寝静まった夜中を狙うこと。余計な音を立てないこと。そして、危険を感じたら迷わず逃げること。今夜も、その心得を守るつもりだった。
「おい、本当にこの屋敷で間違いないんだろうな?」
仲間の一人が、小声で尋ねてきた。
「ああ。最近、新しく領地を得た武士の屋敷だ。家臣もいるらしいが、夜中なら大丈夫だろう」
「金目の物はあるのか?」
「さあな。だが、武士の屋敷だ。米や道具くらいはあるはずだ」
俺たちは屋敷の塀に身を寄せながら、周囲をうかがった。辺りは静まり返っている。虫の鳴き声が聞こえるだけで、人の気配はない。
「よし、行くぞ」
俺が合図すると、仲間たちは静かにうなずいた。こうして俺たちは、誰にも気づかれないように屋敷の敷地内へと忍び込んだ。
このときの俺たちは、まだ知らなかった。この屋敷が、とんでもない化け物たちに守られていることを。そして、今夜の盗みが、俺たちの人生で最も恐ろしい経験になることを。
◇
屋敷の中へ入り込んだ俺たちは、物置らしき建物を見つけた。戸に手をかけ、ゆっくりと引いてみる。幸い、鍵はかかっていなかった。
「しめた!」
思わず声が出そうになり、慌てて口を押さえる。仲間たちも、にやりと笑った。
中には農具や木材、それにいくつかの道具が置かれていた。
「おい、あれを見ろ。何か売れそうな物があるぞ」
「よし。手分けして探せ」
俺たちは音を立てないように、物置の中を物色し始めた。しかし、そのときだった。
――ズシン。
外から、何かが地面を踏みしめるような音が聞こえた。俺たちは一斉に手を止めた。
「……今の音、何だ?」
「知らねえよ。風で何か倒れたんじゃないか?」
――ズシン。
また音がした。しかも、今度は先ほどよりも近い。俺は仲間の一人に目配せし、物置の戸を少しだけ開けた。そして、外をのぞいた瞬間。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
そこにいたのは、一頭の巨大な黒い牛だった。普通の牛とは比べものにならないほど体格が大きく、月明かりの下で不気味な存在感を放っている。その牛が、こちらをじっと見つめていた。月明かりに照らされた巨体は、まるで闇そのものが形を取ったかのようだった。
「お、おい……牛だぞ」
「見りゃ分かる。何でこんなところに、あんなでかい牛がいるんだよ」
仲間たちは戸の隙間から外をのぞき込み、顔を引きつらせていた。だが、牛がいるだけなら問題はない。そう考えた俺は、仲間たちに小声で告げた。
「気にするな。牛は牛だ。そっと通り抜ければいい」
俺たちは物置から出て、牛を刺激しないようにゆっくりと歩き始めた。ところが、牛は俺たちの動きに合わせて、ゆっくりと首を動かした。右へ行けば右を向き、左へ行けば左を向く。まるで、俺たちの行動を見張っているかのようだった。
「……おい。こいつ、ずっとこっちを見てないか?」
「気のせいだろ」
そう言いながらも、俺の背中には嫌な汗が流れていた。俺たちが歩みを速めると、牛は巨大な頭を低くした。
――ズシン。
一歩踏み出しただけなのに、地面が揺れたように感じた。
「ひっ……!」
仲間の一人が、小さく悲鳴を漏らした。牛は、さらに一歩近づいてきた。その巨体を前にすると、逃げ道がふさがれているように感じる。
「お、おい。刺激するなよ。ゆっくり下がれ……」
俺たちは、じりじりと後ずさった。すると牛は、なぜか俺たちを追いかけるように歩き始めた。
「うわあっ!」
仲間の一人が耐えきれず、走り出した。その瞬間、牛の巨体が動いた。
ドドドドッ!
「ぎゃあああっ! 追ってきたぞ!」
「逃げろ! 食われる!」
俺たちは一斉に駆け出した。牛が本当に人間を食うのかどうかなど、考えている余裕はなかった。あんな化け物じみた牛に追いつかれたら、ひとたまりもない。
必死に走り、ようやく牛を振り切ったと思ったときだった。仲間の一人が、突然立ち止まった。
「……おい。あれ、何だ?」
その視線の先には、巨大な熊が立っていた。月明かりに照らされた巨体が、俺たちを見下ろしている。
「う、嘘だろ……」
俺は思わず後ずさった。山で熊に遭遇することならある。だが、こんな巨大な熊は見たことがない。
熊は俺たちを見つけると、ゆっくりと歩き始めた。一歩。また一歩。そのたびに巨体が揺れ、地面を踏みしめる音が響く。
「おい、逃げろ!」
俺が叫んだ瞬間、熊が大きく前足を持ち上げた。
「ひいいいいっ!」
仲間たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。俺も必死に走った。後ろを振り返る余裕などない。ただ、あの熊に追いつかれたら終わりだという思いだけで、足を動かし続けた。
やがて、俺たちは屋敷の庭の隅へと追い込まれた。
「はあっ、はあっ……。何なんだ、この屋敷は……」
「あんな化け物を飼ってやがるなんて聞いてねえ!」
「もう帰ろうぜ! こんなところにいられるか!」
俺も同じ気持ちだった。金も食料も、もうどうでもいい。今すぐ逃げ出したかった。だが、来た道を戻ろうとしたとき、足元に小さな白い影が現れた。
「……猫?」
そこにいたのは、一匹の白猫だった。白い毛並みに、青みがかった瞳。屋敷の縁側で寝ているような、ごく普通の猫にしか見えない。
俺たちは顔を見合わせた。
「何だよ。今度は猫か」
仲間の一人が、ほっと息を吐いた。
「猫なら怖くねえ。さっさと追い払って逃げようぜ」
そいつが足を踏み出した。白猫は逃げなかった。ただ、静かに俺たちを見上げていた。すると、白猫の口元がにやりと歪んだ。
「……うまそうな人間じゃな」
「えっ?」
次の瞬間、猫の体がぐにゃりと歪んだ。白猫の体が、ゆっくりと膨らみ始めた。
「……え?」
最初は、何が起きているのか分からなかった。猫の背丈が、人間の膝ほどになった。次には腰ほど。そして、俺たちの背丈を超えた。白い毛並みが月明かりの中で広がり、鋭い爪が地面に食い込む。長い尾は二本に分かれ、ゆらゆらと揺れている。頭は見上げるほど大きくなり、口元からは鋭い牙がのぞいていた。青みがかった瞳が、俺たちを見下ろす。
そこにいたのは、もはや普通の猫ではなかった。巨大な化け猫だった。
「…………」
誰も声を出せなかった。先ほどの牛も、熊も、十分に恐ろしかった。だが、目の前の化け猫は別格だった。その姿を見ているだけで、体が動かなくなる。
化け猫は、大きな口を開いた。鋭い牙が、月明かりに光った。
「ニャアアアアアッ!」
「うわあああああっ!」
「化け猫だああああっ!」
「助けてくれええええっ!」
仲間たちは一斉に悲鳴を上げた。腰が抜けて転ぶ者。尻もちをついたまま後ずさる者。恐怖のあまり、立ち上がることさえできない者。俺自身も、足が震えていた。
もう盗みどころではない。牛も熊も化け猫もいる屋敷など、二度と近づきたくなかった。
「逃げろ! 食われるぞ!」
俺は、ようやく動いた足を必死に前へ出した。仲間たちも、われ先にと逃げ出した。塀を乗り越え、草むらを突っ切り、転んでも起き上がり、ただひたすら走った。誰一人として、振り返ろうとはしなかった。
金も、食料も、道具も。結局、何一つ盗めなかった。だが、それでよかった。命さえ助かれば、それで十分だ。俺たちは夜道を走り続け、二度とあの屋敷には近づかないと、心に固く誓ったのだった。
◇
翌朝。
屋敷には、いつもと変わらない朝が訪れていた。庭には朝日が差し込み、鳥たちがさえずっている。昨夜の騒動など、誰も知らない。正男たちも、泥棒が忍び込んだことには気づいていなかった。
そんな屋敷の一角で、お梅が朝の仕事を終えて腰を下ろしていた。
「しろちゃん、こっちにおいで」
お梅が優しく声をかけると、白猫のしろが、とことこと歩み寄ってきた。
「かわいいねえ」
お梅が頭を撫でると、しろは気持ちよさそうに目を細めた。そして、お梅の膝に前足をかけ、甘えるように体をすり寄せる。
「ふふっ。甘えん坊さんだねえ」
お梅はしろを抱き上げ、膝の上に乗せた。しろは満足そうに丸くなり、喉をゴロゴロと鳴らす。昨夜、巨大な化け猫へと変化し、泥棒たちを恐怖のどん底に突き落とした猫とは、とても思えない姿だった。
しろは、お梅に撫でられながら、気持ちよさそうに目を閉じた。
今日も屋敷は平和だ。泥棒たちが二度と近づこうとしないことなど、しろにとっては、どうでもいいことだった。ただ、お梅に甘えられれば、それでよかったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
動物たちだけで悪者を撃退する話が書きたかったので書いてみました。最後はラスボス的な存在のしろで締めました。
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