白猫の日常【前編】
わしの名は、しろ。白い毛並みに青みがかった瞳。人間どもから見れば、どこからどう見ても愛らしい猫である。まあ、わし自身は愛らしさなど気にしておらぬがな。
わしの朝は、日の光とともに始まる。障子の隙間から差し込む光が、縁側をゆっくりと照らしておった。わしは前足を伸ばし、背中を丸めて大きく伸びをする。
ふむ。今日も実に良い朝じゃ。
かつてのわしは、山を支配する恐ろしい化け猫として、人間どもに恐れられておった。じゃが、人間と一緒に暮らしていたこともあった。こうして、また屋敷でのんびり暮らすのも悪くない。食事は出てくる。寝床もある。面倒なことがあれば、知らぬふりをして寝ていればよい。まことに快適な生活じゃ。
「しろちゃん、おはよう!」
そこへ、お梅がやって来た。手には、わしの朝餉が入った器を持っておる。
ほう。ようやく来たか。もちろん、声には出さん。今のわしは、ただの猫じゃからな。
「今日はお魚があるよ。たくさん食べてね」
お梅は器をわしの前に置いた。
ふむ。魚か。なかなか気が利くではないか。
わしは何食わぬ顔で器に近づき、魚を口に運んだ。うむ。悪くない。いや、なかなかの美味じゃ。
「おいしい?」
お梅が、わしの顔を覗き込む。わしは返事の代わりに、黙々と魚を食べ続けた。
猫が食事中に話すわけがなかろう。もっとも、わしは普通の猫ではないのじゃがな。
食事を終えると、わしは顔を洗い、前足で耳の後ろを掻いた。さて、今日は何をして過ごそうか。わしは縁側から庭へと降り、屋敷の周囲を歩き始めた。木々の葉が風に揺れ、鳥の声が聞こえる。実に平和な朝じゃ。
……少々、退屈ではあるがな。
そのとき、庭の向こうに黒い巨体が見えた。くろである。なつきが乗る、あの巨大な牛じゃ。くろは庭の隅で、のんびりと草を食んでおった。わしは足音を立てぬよう近づき、後ろからその様子を眺める。
ふむ。相変わらず、でかいのう。
普通の牛なら、わしの姿を見ただけで逃げ出すところじゃが、こやつは違う。わしが近づいても、まるで動じぬ。
『……何をしておる、小さな猫よ』
突然、頭の中に声が響いた。くろの声じゃ。もちろん、普通の人間には聞こえぬ。何故か、なつきは聞こえるようじゃが。
『散歩じゃ。何か文句でもあるのか?』
『好きにしろ。だが、わしの尻尾に近づくな』
わしはニヤリと笑った。
『ほう。尻尾に触られるのが怖いのか?』
『怖くなどない』
くろの尻尾が、ぴくりと動いた。
ふふん。図星を突かれて、動揺しておるわ。
わしは、くろの周囲をゆっくりと回り込む。そして、尻尾の先をじっと見つめた。
『……おい』
『なんじゃ?』
『妙なことを考えているだろう』
『さて、何のことやら』
わしは澄ました顔で座り込み、尻尾の動きを眺め続けた。くろは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
『まったく、なつきにも困ったものだ。面倒な猫を連れてきおって』
『面倒な猫ではない! わしは――』
そこまで言いかけて、わしは口をつぐんだ。この姿で大層な名乗りを上げても、説得力はあるまい。わしは何事もなかったかのように立ち上がり、くろのそばを離れた。
ふむ。からかうには、なかなか面白い相手じゃな。
屋敷の中へ戻ると、正男たちが庭先に集まっておった。正男、なつき、五兵衛、そして桜。四人は、地面に広げた紙を囲んで何やら話し合っている。わしは興味がないふりをして、少し離れた縁側に腰を下ろした。
人間どもが何をしていようと、わしには関係ない。
……ただ、少しばかり気になるだけじゃ。
「この蔵を改造して、戦用の荷車を作ろうと思っている」
正男が紙を指さしながら話しておった。
「荷車ですか?」
桜が首を傾げる。
「ああ。今使われている荷車は、車輪が二つのものが多い。これを四輪にすれば、荷物を安定して運べるようになるはずだ」
「四輪にするのか。確かに、荷物をたくさん積めそうだな」
五兵衛が感心したように言った。
「ただ、車輪を増やすだけでは駄目だ。曲がりやすさや、車軸の強度も考えないとな」
正男は紙に線を引きながら説明を続ける。なつきも、その紙を覗き込んでいた。
「車輪が四つもあったら、曲がるときに引っかかったりしないのか?」
「そこが問題なんだ。前輪の向きを変えられる仕組みが必要になるかもしれない」
「なるほど。力任せに引っ張ればいいというわけじゃないんだな」
なつきが腕を組んだ。
ふむ。どうやら、荷物を運ぶための道具を考えておるらしい。人間というものは、妙なことを考えるものじゃな。わざわざ車輪を増やすとは。じゃが、正男の話には一理ある。荷物を多く積めて、安定して運べるなら、戦場でも役に立つじゃろう。
わしは興味などないという顔で、前足を舐めた。
……少しだけ、続きを聞いてやるか。
「車輪や車軸が壊れたとき、現地で修理できるようにしておきたいですね」
桜が意見を述べる。
「そうだな。部品を交換しやすい構造にできれば、修理にかかる時間も短くできる」
正男が頷いた。
「それなら、車輪の大きさや取り付け方を、できるだけ統一したほうがよさそうですね」
五兵衛も話に加わる。四人は、ああでもない、こうでもないと意見を出し合っていた。
わしは、その様子を眺めながら、ゆっくりと尻尾を振った。
別に、話が気になるわけではない。ただ、風が心地よいだけじゃ。
そう、心地よいだけじゃからな。
しばらくすると、正男たちは紙に何かを書き足しながら、話を続けていた。わしは小さく欠伸をした。人間の話し合いというものは、長い。もっとも、山で暮らしていた頃も、人間どもは何かにつけて長々と話しておったがな。
わしは縁側から降り、屋敷の中へと向かった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後タイトルに「白猫の日常」と付いていたら、それはしろの視点で書かれてあるものです。猫の視点から見たら面白いかなと思い執筆しました。
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