鍛冶屋の娘vs化け猫【前編】
正男たちが商家で桜を仲間にしていた頃。
なつきとお梅は、領地の視察に出かけていた。二人は、くろと熊蔵を連れ、村の中を歩いていた。
「こんにちは!」
なつきが畑仕事をしている村人たちに元気よく声をかける。
「ああ、こんにちは。今日はどうしたんだい?」
「この辺りを見て回ってるんだ! この村には、どんなものがあるの?」
「ははは! 元気のいい娘さんだねえ」
村人は笑いながら、畑や水路、山道のことを教えてくれた。なつきは興味を持ったことを次々と質問し、お梅も隣で真剣に話を聞いていた。二人には気取ったところがなく、誰に対しても素直だった。そのため、村人たちもすぐに打ち解けた。
「なつきちゃん、そっちの道はぬかるんでいるから気をつけなよ」
「わかった! ありがとう!」
なつきが笑顔で手を振ると、村人も嬉しそうに笑った。
そんなとき、一人の老婆が声を潜めた。
「お嬢ちゃんたち。村外れの古い屋敷には近づいちゃだめだよ」
「古い屋敷?」
なつきが首をかしげる。
「ああ。ずっと前から誰も住んでいない屋敷だ。あそこには、恐ろしい化け猫が出るという噂がある」
「化け猫!?」
なつきの目が、好奇心に輝いた。
「そうだよ。普通の猫とは違う。人間を襲う恐ろしい化け物だって話だよ」
老婆の隣にいた男も、深刻そうな顔で口を開いた。
「以前、腕の立つお侍さんが退治に向かったらしい。だが、帰ってこなかった。化け猫に食われたんじゃないかと噂になっている」
「ええっ……」
お梅の顔から血の気が引いた。
「人を食べるんですか……?」
「そうらしい。だから、あの屋敷には絶対に近づいちゃいけないよ」
村人たちは真剣だった。しかし、なつきは怖がるどころか、身を乗り出した。
「ねえ、その化け猫って、どれくらい大きいの?」
「さあな。見た者はほとんどいないんだ。だが、夜になると屋敷から恐ろしい鳴き声が聞こえるそうだ」
「へえ……!」
「なつきちゃん、まさか行くつもりじゃないよね?」
お梅が不安そうに尋ねた。
「ちょっと見てみたいな!」
「駄目だよ! 強いお侍さんでも帰ってこなかったんだよ? 食べられちゃうよ!」
「大丈夫、大丈夫! あたしにはくろもいるし!」
なつきは、くろの首筋をぽんぽんと叩いた。くろは、ぶるるっと鼻を鳴らした。
「もう……なつきちゃんは好奇心が強すぎるよ」
お梅は困ったようにため息をついた。なつきは、すでに屋敷のあるという村外れを見つめていた。その瞳は、未知の相手と戦えることへの期待に満ちていた。
しばらく歩くと、道が二手に分かれていた。片方は村の畑へ続き、もう片方は木々の生い茂る薄暗い道へと伸びている。
「なつきちゃん、そろそろ戻ろう?」
お梅が声をかけた。
「梅は熊蔵と一緒に、村の人たちからもっと話を聞いていてくれる?」
「えっ? なつきちゃんは?」
「ちょっと、あの屋敷を見てくる!」
「やっぱり行くんだ!」
お梅が慌てて腕をつかもうとしたが、なつきはひょいと身をかわした。
「大丈夫だって! 様子を見るだけだから!」
「そう言って、何かあったらどうするの?」
「熊蔵、梅をお願いね!」
熊蔵は、ぐおん、と低く鳴いた。お梅を守ると約束しているようだった。
「なつきちゃん、本当に気をつけてね」
「うん! すぐ戻るよ!」
なつきは、くろの背にまたがった。くろが力強く地面を蹴り、薄暗い道へと進み始める。
「なつきちゃーん! 無茶しちゃ駄目だよー! 危なかったら逃げるんだよー!」
後ろから聞こえるお梅の声に、なつきは手を振って応えた。
村外れの道は、進むほどに暗くなっていった。頭上を覆う木々が日差しを遮り、風が吹くたびに枝葉が不気味な音を立てる。やがて、道の先に古びた屋敷が姿を現した。
傾いた門。崩れかけた塀。庭には雑草が生い茂り、建物の壁には蔦が絡みついている。屋敷の周囲には鳥の姿もなく、妙な静けさが漂っていた。
「うわあ……本当にお化け屋敷みたい」
なつきは少し緊張しながらも、目を輝かせた。
そのとき、くろが突然足を止めた。
『なつき。気をつけろ!』
くろの声は、なつきの頭の中に直接響いた。
「え?」
なつきは、くろの背から身を乗り出した。
『禍々しい妖気を感じる』
「本当に化け猫がいるんだね!」
『喜んでいる場合ではない! 危険だと言ってるんだ!』
「わかってるって!」
なつきは背中に担いでいた大きな金槌を手に取った。柄を両手で握り、軽く振って重さを確かめる。
「くろは、ここにいて。あたしが様子を見てくるから」
『無茶はするなよ』
「大丈夫!」
なつきは笑顔で答えると、門をくぐった。
ぎいぃ……。
門が軋み、不気味な音が森に響く。庭には枯れ葉が積もり、踏み出すたびに、かさり、かさりと音がした。玄関の戸は半分開いている。なつきは金槌を構えたまま、ゆっくりと屋敷の中へ入った。
屋敷の中は薄暗かった。破れた障子、埃の積もった床、壁に張りついた蜘蛛の巣。長い間、人が住んでいないことは明らかだった。
「誰か、いる?」
「おーい」
返事はない。
なつきが廊下を進むと、頭上で、みしり、と音がした。ぴたりと足を止めて天井を見上げたが、何もいない。
「……気のせい?」
再び歩き出した、そのときだった。
「にゃあ……」
どこからか、猫の鳴き声が聞こえた。なつきは振り返った。
「猫?」
「にゃあ……」
今度は廊下の奥から聞こえてくる。なつきは金槌を握り直し、音のする方へ進んだ。
廊下の角を曲がった瞬間、白いものが目の前を横切った。
「わっ!」
なつきは反射的に金槌を振り上げた。だが、そこにいたのは普通の白い猫だった。白い毛並みに、青みがかった瞳。猫は廊下の真ん中に座り、なつきをじっと見つめていた。
「なんだ、普通の猫じゃない」
なつきは金槌を下ろした。
その瞬間、白い猫の口元が、にやりと歪んだ。
「……よう来たな、小娘」
「えっ?」
猫の体が、ぐにゃりと歪んだ。次の瞬間、床が激しく軋んだ。白い体が、みるみるうちに膨れ上がった。前脚は丸太のように太くなり、背中が大きく盛り上がる。長い尾は二本に分かれ、天井近くまで伸びた。鋭い爪が床板に食い込み、口元からは長い牙がのぞく。白い猫は、あっという間にくろと同じほどの巨体へと変貌した。
「小娘! 食ってくれるわ!」
「にゃあああっ!」
化け猫の咆哮が屋敷を震わせた。なつきは驚きながらも、金槌を両手で構えた。
「へえ! すごい! 大きくなれるんだ!」
「恐怖で足がすくんだか!」
「全然! むしろ、ちょっとわくわくしてる!」
化け猫の瞳が細くなった。
「愚かな小娘め!」
化け猫が床を蹴った。巨体からは想像もできない速さで、なつきへ飛びかかる。
「速っ!」
なつきは横へ跳んだ。直後、化け猫の爪が床を切り裂いた。
バキバキッ!
板が砕け、木片が宙に舞う。なつきは着地と同時に振り返り、金槌を振り抜いた。
「えいっ!」
ゴォンッ!
金槌が化け猫の脇腹に当たった。
「ぐっ!」
化け猫の巨体が横へ吹き飛ぶ。しかし、倒れることはなかった。
「馬鹿な。この小娘……なんという力じゃ!」
「ふにゃあああ!」
化け猫は怒りの声を上げ、二本の尾を左右から横薙ぎに振った。
「うわっ!」
なつきは、とっさに身をかがめた。二本の尾が頭上をかすめ、そのうち一本が背後の柱に直撃した。
ドゴォン!
柱が大きく揺れ、天井から埃が降り注いだ。
「ちょっと! 屋敷が壊れちゃうじゃない!」
「貴様を食らえば、それで済む!」
化け猫は壁を蹴った。巨体が宙を舞い、柱から柱へと跳び移る。なつきが金槌を振り下ろすより早く、化け猫は柱を蹴って背後へ回り込んだ。
「後ろっ!?」
鋭い爪が、なつきの背中に迫る。なつきは振り返りざまに金槌の柄を突き出し、間一髪で爪を受け止めた。
ガキィン!
衝撃で腕が痺れる。
「くっ……重い!」
なつきは歯を食いしばり、金槌を押し返した。その反動を利用して、化け猫の懐から飛び退く。すぐさま金槌を構え直した。
「なるほどね……。ただ大きいだけじゃないんだ!」
「今さら遅いわ! 食い殺してくれる!」
「ふーー」
化け猫は低く唸ると、四肢を床につけた。鋭い爪が床板に食い込む。その姿勢は、獲物に飛びかかる獣そのものだった。
なつきも足を開き、金槌を両手で握り直した。
「いいよ……。それなら、あたしも本気でいく!」
二人の視線が交差する。
次の瞬間、化け猫が床を蹴った。なつきも正面から踏み込む。金槌を大きく振りかぶり、フルスイング!
「いっけえええっ!」
金槌と鋭い爪が、薄暗い廊下で激突した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なつきが主人公の外伝ものになります。作者は、この外伝ものを執筆するときは楽しみながら執筆させていただいております。 みなさんも楽しんでいただけたら幸いです。
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