人材登用
朝。屋敷の広間では、俺たちが朝食を囲んでいた。
「この魚、おいしいね!」
なつきが焼き魚を頬張りながら、笑顔を浮かべる。
「そうだな。お梅は魚を焼くのが上手だな」
俺が答えると、お梅は照れたように笑った。
「そんなに褒められると、恥ずかしいです」
「いや、本当においしいよ。お花も、いつもありがとう」
「ふふっ。そう言っていただけると、作りがいがあります」
お花も嬉しそうに微笑んだ。五兵衛は味噌汁を飲みながら、俺に尋ねた。
「正男様、今日は商家へ行くんでしたよね?」
「ああ。今日は伊藤家の商家へ行こうと思っている」
「伊藤家の商家ですか?」
「そうだ。これから工房を動かしていくには、計算や帳簿の管理を任せられる人材も必要だからな」
四輪荷車の試作を進めるには、材料や費用の管理だけでなく、作業内容の記録も必要になる。将来的には作業標準書や検査基準書も整備したい。俺一人ですべてをこなすのは難しい。だからこそ、計算や記録を任せられる仲間が必要だった。
「僕も一緒に行きます」
五兵衛がすぐに答えた。
「ああ。頼むよ」
すると、なつきが箸を置いて顔を上げた。
「ねえ、正男。あたしは何をすればいい?」
「なつきは、領地を見て回ってくれないか?」
「領地視察?」
「ああ。昨日は俺たちで蔵を確認したけど、まだ見ていない場所も多いからな。どんな土地があるのか、少しずつ調べていきたいんだ」
「わかった! 梅、一緒に行こうよ!」
なつきが隣に座るお梅に声をかけた。
「えっ、私もですか?」
「うん! あたしと一緒に領地を見て回ろうよ。くろも熊蔵もいるし、きっと楽しいよ!」
「……はい。私でよければ、ご一緒させてください」
お梅は嬉しそうにうなずいた。
「やった! じゃあ、くろに乗って出発しよう!」
なつきは張り切って庭へ出ると、くろに乗り、お梅に手を差し伸べた。しかし、お梅は熊蔵を見つめて言った。
「私、熊蔵に乗ってみたい」
熊蔵は自分の名前を呼ばれたことがわかったのか、のそのそと近づき、お梅のそばで立ち止まった。
「ふふっ。熊蔵が良いよって言ってるよ」
お梅が嬉しそうに熊蔵の体を優しく撫でる。正男と五兵衛は、その様子を見守っていた。
「よし。それじゃあ、俺たちは商家へ行ってくる」
「うん、正男も気をつけてね!」
なつきはくろにまたがり、お梅も少し緊張しながら熊蔵の背に乗った。
「梅、怖くない?」
「少しだけ。でも、熊蔵は大人しいから大丈夫」
「そうそう! 熊蔵は優しいからね!」
「それじゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ」
お花が手を振って見送ってくれた。なつきたちは領地の視察へ出発した。俺と五兵衛も、商家へ向かって歩き出した。
伊藤家の商家に到着すると、店先では何人もの奉公人が忙しそうに働いていた。荷物を運ぶ者、帳簿を確認する者、客の相手をする者。さすがは商家だ。人と物が絶えず行き交い、活気に満ちている。
俺たちが来訪を告げると、奥から伊藤惣十郎が出迎えてくれた。
「おお、鈴木殿! よくいらしてくださいました!」
「お久しぶりです、伊藤殿」
「こちらこそ。さあ、どうぞ奥へ」
惣十郎に案内され、俺たちは奥の部屋へ通された。そこには、惣十郎の娘である桜もいた。桜は俺たちに気づくと、静かに頭を下げた。
「お久しぶりです、鈴木様。伊藤桜です」
その姿を見た瞬間、五兵衛が小さく息をのんだ。そして、俺にだけ聞こえるような声でつぶやいた。
「……美しい」
俺は思わず五兵衛の顔を見た。こいつ、まさか……。
「五兵衛?」
「な、何でもありません!」
五兵衛は慌てて背筋を伸ばした。耳まで赤くなっている。どうやら、一目惚れしたらしい。俺は苦笑しながら、惣十郎に向き直った。
「実は今日は、伊藤殿にお願いがあって参りました」
「お願いですか?」
「はい。新しい領地で工房を立ち上げることになりまして、そこで働いてくれる人材を探しているのです」
俺は、必要としている人材について説明した。惣十郎は、俺の話を聞くと大きくうなずいた。
「なるほど。それは大切なことですな。鈴木殿のためでしたら、喜んで協力いたしましょう」
「ありがとうございます」
「それにしても、鈴木殿のご活躍は、こちらにも噂が届いておりますぞ」
惣十郎は感心したように俺を見た。
「城攻めで見事な働きをされたとか。新しい領地まで任されるとは、まことに大したものです」
「いえ、周囲の者たちが力を貸してくれたおかげです」
「ご謙遜を。そういうことでしたら、ぜひとも力になりたいものです」
惣十郎はしばらく考え込んだあと、ぽんと手を打った。
「そうだ! ちょうどよい者がおりますぞ!」
「本当ですか?」
「ええ。計算が得意で、頭の回転も速い男です。鈴木殿のお役に立てると思います」
惣十郎は奉公人を呼び、しばらくすると一人の男が部屋に入ってきた。年齢は二十代半ばほどだろうか。身なりは整っており、落ち着いた様子で頭を下げた。
「こちらが、先ほどお話しした男です。数字に強く、商いのこともよく知っております」
「それは心強いですね」
俺が男に声をかけようとした、そのときだった。
「わたしが参ります」
静かな声が部屋に響いた。俺たちは一斉に声のした方を振り向いた。そこには、桜がいた。
「……桜?」
惣十郎が目を丸くする。桜は父親の言葉を気にする様子もなく、俺の方を見た。
「鈴木様。いえ正男様。わたしがご一緒いたします」
「えっ?」
俺は思わず聞き返した。桜は一歩前に出ると、紹介された男に視線を向けた。その目つきは、先ほどまでの穏やかなものとはまるで違っていた。冷たく、鋭い。
「わたしが行くので構いませんよね?」
「は、はい……」
男は一瞬で勢いを失い、うなずいて引き下がった。何だ、この迫力は。
惣十郎も慌てて口を挟んだ。
「いや、お前には家に居てもらわないと困る。商家の仕事もあるのだぞ?」
桜は父親の方へゆっくりと顔を向けた。そして、先ほどと同じ冷たい目を向ける。
「お父様」
「な、何だ?」
「わたしが行くので構いませんよね?」
「……はい」
惣十郎は、あっさりとうなずいた。先ほどまで人材を紹介すると張り切っていた商家の主人とは思えない。まるで怒られた犬のように、しょんぼりしている。
俺は思わず五兵衛を見た。五兵衛は、固まっている。
桜は何事もなかったかのように、俺へ向き直った。
「正男様。読み書きも計算もできます。帳簿の管理も問題ありません。作業の手順を書きまとめることもできます」
「作業の手順を?」
「はい。何を、どの順番で行うのかを書き残しておけば、仕事を覚えやすくなりますから」
俺は驚いた。まさか、こちらが求めている仕事を、ここまで理解しているとは。
「それは助かるな。実は、工房では作業標準書や検査基準書も作っていきたいと考えているんだ」
「作業標準書……ですか?」
「ああ。誰が作業しても、同じ手順で、一定の品質を保てるようにするためのものだ」
「なるほど。そういうことでしたら、わたしにもお手伝いできると思います」
桜は、先ほどまでとは打って変わって、興味深そうに話を聞いていた。俺は彼女の能力に期待を抱いた。
「桜さん。よければ、俺の領地で働いてもらえないだろうか?」
「はい! 喜んでお引き受けいたします!」
桜は満面の笑みで答えた。読み書きと計算に加え、帳簿の管理や作業手順の文書化まで任せられる。彼女は、俺が探していた人材そのものだった。
商家を出ると、五兵衛がすぐに桜へ話しかけた。
「あ、あの……桜さん」
「何でしょうか?」
桜は五兵衛をちらりと見た。
「その、これからよろしくお願いします」
「……はい」
それだけだった。桜は短く答えると、すぐに前を向いた。五兵衛は、あからさまに肩を落とした。
俺は苦笑した。まあ、一目惚れした相手に、いきなり親しくしてもらえるとは限らない。
「桜さん」
俺が声をかけると、桜はぱっと顔を上げた。
「はい、正男様!」
その表情は、先ほどまでとはまるで違っていた。明るい笑顔を浮かべ、弾むような声で返事をする。
「これから俺の領地へ向かうけど、道中で工房の計画について話しておこうと思う」
「はい! ぜひお聞かせください!」
「まずは、古い蔵を改造して工房にする予定なんだ。そこで四輪荷車の試作を始めたい」
「四輪の荷車ですか? それは面白そうですね!」
桜は目を輝かせた。
「それから、鍛冶場や木工所、倉庫なども、必要に応じて整えていきたいと考えている」
「なるほど。そうなると、材料の管理や製品の記録も重要になりますね」
「その通りだ。桜さんには、そうした管理や標準類の作成を手伝ってほしい」
「お任せください!」
桜は嬉しそうに答えた。その様子を見ていた五兵衛が、ぼそりとつぶやく。
「僕には、あんなにそっけなかったのに……」
「五兵衛、何か言ったか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
俺は思わず笑ってしまった。どうやら、五兵衛の恋は前途多難らしい。
それでも、桜が加わったことは大きな一歩だ。製造の現場を支える俺と、現場で働く五兵衛やなつき。そして、数字や記録、標準類の整備を支えてくれる桜。それぞれの力を合わせれば、工房を少しずつ発展させていけるはずだ。
俺たちは、新しい仲間とともに屋敷へ向かって歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回登場した伊藤桜は、「尾張の大商人からの依頼」で初登場したキャラクターです。
本来はもっと早い段階で正男たちと合流する予定だったのですが、城攻めが予想以上に長引き、今回の登場となりました。
これからも物語の中で活躍していきますので、伊藤桜をよろしくお願いいたします。
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明日の朝6時も更新予定です。よろしくお願いいたします。




