信長への報告
俺たちは、町へ向かって走り続けた。
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。後ろを振り返ると、さっきまで追ってきていた敵の姿は、もう見えなかった。
「追手は来ていません。どうやら、振り切ったみたいですね」
五兵衛が周囲を確認する。
「そうか」
俺はようやく足を緩めた。
「でも、まだ油断するな」
「はい」
なつきも立ち止まり、肩に担いでいた金槌を下ろした。
「ふぅ……」
その隣では、くろが大きく息を吐いている。熊も地面に座り込み、疲れたように前足を伸ばしていた。
「みんな、大丈夫か?」
「大丈夫!」
なつきが元気よく答える。
「くろも平気!」
「モオッ!」
くろが返事をする。
「熊も大丈夫みたい」
なつきが熊の頭を撫でると、熊は気持ちよさそうに目を細めた。俺はその様子を見て、少しだけ安心した。
「よし。もう一息だ」
「那古野城ですね」
五兵衛が確認する。
「ああ」
俺は頷いた。
「山で見たことを、全部報告する」
俺たちは再び歩き始めた。
町へ入ると、人の数が一気に増えた。道を歩く商人、荷物を運ぶ人夫、馬を引く武士。さっきまで山の中で命を狙われていたのが、嘘のようだった。
だが、俺は気を抜かなかった。つい先ほどまで、俺たちを追ってきた連中がいる。
「正男」
なつきが小さな声で呼ぶ。
「どうした?」
「信長様に話すのは、山で見たこと全部?」
「ああ。ただし、俺たちが推測したことと、実際に見聞きしたことは分けて話すつもりだ」
「推測と事実を分ける……ですか」
五兵衛が尋ねる。
「ああ。それから、武器を別の場所へ運ぶという話を聞いたことも話す」
「なるほど。つまり、そこから先は信長様に判断していただくわけですね」
五兵衛が頷いた。
「ああ」
俺たちはさらに歩いた。
しばらくすると、見慣れた城が見えてきた。
「着いた……」
俺は足を止めた。織田信長の那古野城。ここまで来るのに、かなり長かった気がする。
「やっとだね」
なつきが息を吐く。
「でも、これからが本番ですよ」
五兵衛が言った。
「ああ」
俺は頷き、門へ向かった。
すると、門番の武士がこちらに気づいた。
「止まれ!」
声が飛んでくる。俺たちは足を止めた。
「何者だ!」
門番がこちらを警戒する。俺は一歩前へ出た。
「鈴木正男です」
「鈴木?」
門番が俺を見る。
「織田家の家臣か?」
「はい。信長様にお伝えしたいことがあります」
「内容は?」
俺は一瞬、言葉を選んだ。
「山中で、武器を大量に保管し、製造していると思われる場所を見つけました」
門番の表情が変わった。
「……何?」
「信長様に直接ご報告したいと思います」
門番は俺たちを見回した。泥だらけの服、傷のついた棒。刀を持つ五兵衛。巨大な金槌を持つなつき。そして、巨大な黒い牛と熊。
門番の視線が止まった。
「……その熊は?」
「山で助けた」
なつきが答える。
「助けた?」
「うん! 閉じ込められていたの」
なつきが胸を張ると、門番は絶句した。
「……?」
「詳しい話は信長様にします」
俺が答えると、門番はしばらく俺たちを見ていた。やがて、別の武士に声をかけた。
「おい。殿に取り次げ」
「分かった」
武士が城の中へ走っていく。俺は大きく息を吐いた。
「正男様」
五兵衛が小声で話しかける。
「いよいよですね」
「ああ」
なつきも金槌を握り直した。
「見たことを、そのまま話す」
やがて、城の中から武士が戻ってきた。
「鈴木正男」
「はい」
「信長様がお会いになる」
「分かりました」
「みんなはここで待っててくれ」
「はい」
俺は門をくぐった。
久しぶりに見る織田家の城。俺は案内されながら、奥へと進んでいく。とても静かな廊下を歩いていると、さっきまでの戦闘が嘘のようだった。
やがて、一つの部屋の前で案内役が止まった。
「こちらです」
障子が開く。
「入れ」
低い声が響いた。俺は背筋を伸ばし、部屋の奥に座っている織田信長に目を向けた。鋭い目が、俺を見つめていた。
「久しいな、正男」
「お久しぶりです、信長様」
俺は頭を下げた。
「それで? もう戦用の荷車が出来たのか?」
信長が尋ねる。俺は苦笑いした。
「いえ、まだです。荷車を作成するための人材を集めていた帰りに、野盗が根城にしていた砦を見つけました」
「ほう? 何人いた?」
「野盗の数は約五十人でした。私たちが制圧し、野盗たちは砦に拘束したままです」
「私たち? 何人で制圧したのだ?」
「三人です」
「ほう。よくやれたものだな」
「強い家臣を持てたので出来ました」
「そうか。大事にしろ」
「はい」
「その後、砦から山奥へ進むと、武器を製造・保管していると思われる施設を発見しました」
「武器を?」
「はい」
「何があった?」
「刀、槍、弓、それに鉄棒など、大量の武器が保管されていました」
「大量……だと?」
「さらに、その施設には鍛冶場がありました」
「鍛冶場まで……」
信長は腕を組み、黙って俺の話を聞いている。俺は続けた。
「そこで武器を作っていたと思われます」
「実際に作っているところを見たのか?」
「はい。鍛冶場には、武器を作るための道具や材料がありました」
信長の目が鋭くなる。
「……他には?」
「男たちが『例の場所への搬入』という言葉を口にしているのを聞きました」
「例の場所?」
「はい。何を指しているのかまでは分かりませんでした」
俺は正直に答えた。
「ですが、武器を作り、保管し、どこかへ運び出していることは間違いないと思います」
信長の表情から、先ほどまでの余裕が消えていた。
「さらに山奥へ進むと、隠し通路がありました」
「まだあるのか?」
「はい。その通路を進むと、隠された城を発見しました」
信長の目が細くなる。
「城?」
「はい。山奥に、周囲から隠すように築かれた城です」
「それで?」
俺は一度、息を整えた。
「城を調べている途中で敵に見つかり、襲われました。山を下りている途中で何度も追いつかれそうになり、最後には正面と背後から挟まれました。隙をついて突破し、ここまで来ました」
信長は黙ったまま腕を組み、上を見上げて考え込んだ。やがて、その視線が俺に戻る。
「正男」
「はい」
「その城と施設、案内できるか?」
俺は一瞬、言葉を失った。そして、ゆっくりと頷いた。
「はい。場所は覚えています」
信長はすぐに立ち上がり、家臣に命令した。
「軍議だ! 軍議を開く。皆を呼べ!」
「はっ!」
周りにいた家臣たちは慌てて走り出す。
「正男! おぬしも軍議に参加せよ。現場を知っているおぬしの意見が聞きたい」
「承知しました」
俺は深く頭を下げた。
信長はすぐに立ち去り、家臣たちも次々と部屋を出ていく。俺も部屋を出た、そのときだった。
廊下の向こうから、一人の小柄な男が駆けてくるのが見えた。
「殿ー!」
明るい声が響く。男は信長の前まで来ると、すぐに頭を下げた。
「お呼びと聞きまして、この猿、飛んで参りました!」
「ふん。相変わらず調子のいい奴だ」
信長が呆れたように言う。だが、その声にはどこか笑みが混じっていた。
「調子がいいのが、この猿の取り柄にございます!」
男は笑顔で答える。
「ふん」
信長も小さく笑った。
俺は思わず、その男を見つめた。小柄で、身なりも質素。まだ、身分の高い武士には見えない。だが、妙に人懐っこい。嫌味がなく、自然と周囲の空気を明るくする。
「猿」
信長が呼ぶ。
「はい!」
「お前も軍議に参加せよ」
「お任せください!」
男は胸を張った。
「この猿、殿のお役に立ってみせます!」
「大きなことを言うな」
「はい! 小さなことから、こつこつと!」
「……本当に調子のいい奴だ」
信長が笑い、男も笑う。その様子を見て、俺も思わず口元が緩んだ。
この男が……木下藤吉郎。
俺は知っている。この男が、後に天下人と呼ばれることを。だが、今はまだ何者でもない。それでも、人を惹きつける何かを、すでに持っているように感じた。
なるほどな。信長様が「猿」と呼ぶのも分かる気がする。
俺たちは、山奥に隠された城をめぐる軍議へ向かった。




