山中に築かれた城
俺たちは、足跡を辿って山道を急いでいた。先頭を歩くのは、くろ。その少し後ろを、なつきと熊が並んで歩いている。五兵衛と俺は、その後ろだ。熊は俺たちについてきている。しかも、なつきのすぐ隣を歩いている。
「なんだか、すっかり仲良しだな」
俺が言うと、なつきが嬉しそうに笑った。
「うん」
なつきが熊の頭を撫でる。熊は嫌がる様子もなく、目を細めている。
「ほら、正男も撫でてって」
「本当か?」
「うん」
俺が熊の頭に手を伸ばすと、熊が俺の手に鼻を近づけた。
「……」
フンフン。
俺の手の匂いを嗅いでいる。そして、熊は俺の手を舐めた。
「うわっ」
思わず手を引く。なつきが笑った。
「気に入られたね」
「そうなのか?」
「うん」
「熊に舐められるとは思わなかったな。う~ん、貴重な体験をしてしまった」
五兵衛が苦笑する。
「正男様も、ずいぶん好かれたものですね」
「まあ、敵じゃないと分かってくれたならいいか」
熊は俺たちの会話を気にすることなく歩いている。だが、しばらくすると、熊が立ち止まった。
「どうした?」
熊は地面を見ている。そこには、小さな木の実が落ちていた。熊が前脚で木の実を拾う。そして、なつきの前に置いた。
「……」
なつきが熊を見る。
「くれるの?」
熊が小さく鳴く。
「グゥ」
なつきが嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「何をしているんだ?」
「この子、私にくれた!」
「木の実を?」
「うん」
なつきは嬉しそうに木の実を受け取った。
「よしよし、いい子だね」
熊は満足そうに鼻を鳴らした。俺は思わず笑ってしまった。ついさっきまで、檻に閉じ込められていた熊とは思えない。自由になったことが嬉しいのだろう。
「名前も決めた方がいいかもしれないな」
俺が言う。
「名前?」
なつきが熊を見る。
「うん。ずっと『この子』じゃ呼びにくいだろ」
なつきは少し考えた。
「考えておく」
「そうだな」
俺たちは再び歩き始めた。この穏やかな時間も長くは続かなかった。
山道は次第に険しくなっていく。木々の間を抜け、岩場を越える。そして――。
「……止まれ」
俺は手を上げた。全員が立ち止まる。目の前には、大きな岩壁があった。ただの岩壁に見える。だが、何かがおかしい。
「正男様?」
俺は地面を見る。足跡は、ここで途切れている。
「道がない」
五兵衛が首を傾げる。
「しかし、足跡はここまで続いています」
「ああ」
俺は岩壁に近づき、手を触れる。ゴツゴツした岩。だが、その一部だけ妙に平らだった。
「……これ」
俺は周囲の岩を調べる。
「扉かもしれない」
五兵衛が驚く。
「こんな場所に扉が?」
「ああ」
俺は平らな部分を押してみた。動かない。横を見ると、小さな鉄の輪が埋め込まれていた。
「仕掛けがあるな」
五兵衛が近づく。
「これは……」
五兵衛が鉄の輪を調べる。
「扉を開けるためのものに違いありません」
「やっぱりか」
俺は岩壁の奥を見る。この先に、何かがある。しかも、かなり大きな何かが。
「五兵衛」
「はい」
「開けられるか?」
五兵衛は鉄の輪を調べた。
「少し時間をいただければ」
「頼む」
五兵衛が作業を始める。俺たちは周囲を警戒する。その間、熊はなつきの隣に座り込んだ。なつきが熊の頭を撫でると、熊は気持ちよさそうに目を閉じた。
「……なんだか眠そうだな」
「疲れてるのかも」
「逃げてきたばかりだからな」
なつきが熊の耳を優しく撫でる。すると熊が、なつきの肩に頭を乗せた。なつきは笑っている。
「この子、甘えてる」
「甘えるには大きすぎるだろ」
「でも、かわいいよ」
熊は満足そうに目を閉じている。五兵衛まで苦笑していた。
「ずいぶん懐かれましたね」
「うん」
なつきは嬉しそうだった。
そのとき――。
カチッ。
小さな音がした。
「開きます」
五兵衛が鉄の輪を引く。
ゴゴゴゴゴ……。
岩壁がゆっくりと動いた。その奥から、冷たい風が吹いてくる。
「……これは」
五兵衛が息を呑む。岩壁の向こうには、山の中へ続く道があった。しかも、その道は人の手によって作られている。石が敷き詰められ、両側には松明を置く台まである。
「隠し道……」
俺は奥を見る。
「これだけのものを作るには、かなりの人数が必要だ」
五兵衛が頷く。
「武器を集めていた連中が、この先に何かを作っているのでしょう」
「ああ」
俺は隠し道の奥を見つめた。ここから先に、何が待っているのか。俺たちは慎重に足を踏み入れた。
道は山の中を緩やかに下っている。壁には一定の間隔で松明が置かれていた。
「誰かが、今も使っている道ですね」
五兵衛が小声で言う。
「ああ」
足元を見る。土は踏み固められている。しかも、まだ新しい足跡が残っていた。俺は足跡を確認しながら進む。
すると、前方から声が聞こえてきた。
「次の荷はいつ届く?」
「明日の朝には届く予定です」
俺たちは足を止めた。五兵衛が俺を見る。俺は人差し指を口元に当てた。全員が黙る。声のする方向へ、ゆっくり近づく。
岩陰から覗くと、数人の男たちが話していた。
「今回の武器は?」
「刀が百本、槍が二百本です」
「弓は?」
「それも予定どおり届きます」
俺は思わず眉をひそめた。刀百本、槍二百本、さらに弓まで。これだけの武器を、一体何に使うつもりなのか。
「量が多すぎる……」
五兵衛が小声で呟く。
「ああ」
俺は男たちの会話に耳を澄ませる。
「届いた武器は、すべて城へ運べ」
「承知しました」
「それから、例の場所への搬入も忘れるな」
「はい」
また、「例の場所」という言葉が出てきた。ここは、その中継地点なのかもしれない。
「正男様」
五兵衛が小声で呼ぶ。
「どうした?」
五兵衛が前方を指差した。
「見てください」
男たちの向こうに、大きな空間が広がっていた。俺は岩陰から、さらに奥を見る。
「……なんだ、あれ」
そこには巨大な石垣が築かれていた。石垣の上には、いくつもの建物が並んでいる。まるで――。
「城……」
俺は思わず呟いた。
山の中に、城がある。しかも、ただの城ではない。城の周囲には兵士が配置され、門には見張りまで立っている。山そのものを利用して築かれた、巨大な拠点だった。
「こんなものを、いつの間に……」
五兵衛も驚いている。
「これだけの規模なら、かなりの人間が関わっています」
「ああ」
俺は城を見つめた。ここまで来て、ようやく分かった。俺たちが追っていた連中は、ただの山賊ではない。武器を集め、人を集め、山の中に拠点まで築いている。何か大きな目的がある。
俺は城を見つめる。
「もう少し様子を見る」
俺がそう言った瞬間――。
カーン……。
山の中に鐘の音が響いた。
「……!」
全員が身を固くする。
カーン……。
もう一度、鐘が鳴る。城の門が動き始めた。
ギギギギ……。
「誰か出てきます」
五兵衛が刀に手をかける。門の向こうから、武装した男たちが次々と姿を現した。
「多いな……」
俺もこん棒を握りしめた。男たちは周囲を警戒しながら、こちらへ向かってくる。
「まずい」
このままでは見つかる。
「戻るぞ」
俺が小声で言った、そのとき、背後から枝を踏む音が聞こえた。
パキッ。
「……!」
俺たちは一斉に振り返る。そこには、一人の男が立っていた。
「お前たち……何者だ?」
しまった。完全に見つかった。男が腰の刀に手をかける。
「侵入者だ! 出会え! 出会えー!」
大声が山中に響いた。
「走れ!」
俺たちは一斉に走り出した。背後から、複数の足音が迫ってくる。
「正男様、こっちです!」
五兵衛が隠し道を指差す。
「分かった!」
俺たちは来た道を引き返す。だが、敵の数はどんどん増えていく。
「このまま逃げ切れるか?」
俺は後ろを見る。敵が迫っている。
そのとき――。
「待って!」
なつきが叫んだ。
「どうした?」
「この子が、何か考えてる!」
なつきの隣にいた熊が、こちらを見ていた。熊は敵の方へ体を向ける。
「グゥ……」
「まさか……」
俺は熊を見る。なつきが熊の言葉を聞き、そして俺を見る。
「この子、あいつらを止めるって」
「止める?」
熊が一歩前へ出た。
「待て!」
俺が叫ぶ。だが、熊は止まらない。その巨体が、敵の進行方向へ向かっていく。
敵の男たちが足を止めた。
「なんだ、あの熊は!」
熊が低く唸る。
「グルルル……」
男たちの顔が青ざめる。
「来るぞ!」
熊が地面を蹴った。
ドドドドッ!
「うわあっ!」
敵が慌てて後退する。
「今だ!」
俺は叫んだ。
「階段まで走るぞ!」
俺たちは一気に隠し道へ駆け込んだ。なつきが振り返る。
「熊!」
熊が敵の前に立ちはだかっている。
「大丈夫!」
なつきが叫ぶ。
「すぐ戻るから!」
熊がこちらを見る。そして、小さく鼻を鳴らした。
「グゥ」
俺たちは階段を駆け上がる。ようやく岩壁の入口が見えてきた。
「あと少し!」
五兵衛が叫ぶ。全員が外へ飛び出した。
俺はすぐに振り返る。
「熊は?」
「来る!」
なつきが叫んだ。しばらくすると、山道の向こうから熊が走ってきた。
「グゥゥ!」
「よかった!」
なつきが熊に駆け寄る。熊はなつきの横に戻ってきた。
「ありがとう」
なつきが熊の頭を撫でる。熊は嬉しそうに目を細めた。
俺は山の奥を見る。あれだけの兵士を集めている理由が分からない。山の奥に築かれた城。追手から逃れるため、俺たちは再び動き始めた。




