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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第六旅程『Pamětná』
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第79景:『夜の呼吸、灯りの前で』


 トラムは、ゆっくりと登っていく。

 カタン、カタンと繰り返す走行音が、街の眠気を撫でていた。

 車窓の外には、橙と群青が混じった空の名残が、建物の輪郭に沿ってしずかに降りていた。塔の影がゆるく揺れて、歩く人々の足取りも、どこか輪郭を曖昧にしている。


 ――この街の夜は、空気がやわらかい。そう思えるようになったのは、ここに来て何日目あたりだったか。

 私は頭を背もたれに預け、目を閉じるでもなく閉じないでもなく、まぶたの裏のような空を見つめた。

 

 パムェトナに話した通り――私には、三つの選択肢がある。


 一つ。あの子に嘘の希望を与え、外の世界へ導くこと。その場限りの救いを装って、彼女を延命する。

 やがて真実を知ったとき、彼女は私を憎むだろう。……だが、それでも構わない。娘に恨まれるのは、慣れている。というか、それが通常運転だ。

 むしろ温かく迎えられた日には、即座にこう思う『あ、これ……最初に喜ばせてから突き落とすやつだな』

 そして、私はそれに全力で乗っかる。

 恨みをぶつけられる → 死にかける→ 父性が深まる。この三段階こそが、我が物語のスタンダードなのだ。


 初手即殺意。それがデフォルト。――そう、実家のような安心感である。


 二つ目。真実を伝えて、選ばせる。

 この街と共に消える道か。あるいは、外で生きていく道か。

 どちらにせよ、彼女には……重すぎる選択だ。それでも、“選ばせる”ことこそが、尊重なのだと信じている。


 だが……。この街に生きる者たちにとって、前者の選択は死刑宣告でもある。

 パムェトナがあれほど静かに、しかし深く、言葉を飲み込んだのは……そのせいだ。

 

 ――そして、三つ目。別の道を探す。

 私には、まだ知らない情報が多すぎる。エモツェたちの知識、記憶、この街の構造のすべて。

 それを、明日の会合で交え、話し合う。ひとりでは辿り着けない答えを探し、ギリギリまで足掻く。

 あの子の望み通り、“この街が消えず、このまま維持される方法”あるいは、“二つの選択肢を諦めた先に残る、なんらかの奇跡”

 そんなものが、どこかに……。


 トラムが、スルドツェ駅に滑り込む。扉が開くと、外気が、少し冷たくなっていた。金属と油のにおいが交じる、無人のホームを抜けて、石畳の坂を登る。

 コツ、コツと靴音が響くたびに、胸の奥で重たくなった選択肢たちが、ひとつずつ、形を持っていく。

 階段を登りきると、静かな塔の側面が現れた。最上階まで登ると、詰所の灯りが、奥でまだ点いていた。


 「……ただいま、というやつかな……」


 私は小さく笑って、手を伸ばす。軽くノックしてから、扉を押した。その瞬間――


 「せんせぇぇぇぇぇえええっ!!」


 丸い頭が宙から飛んできた。慣性のまま頭突きを食らい、私はその場で半歩よろける。


 「おや、スヴェルカくん。インスティナ女史から解放されていたとは」


 「先生……っ!」


 スヴェルカはしっぽをピンと立てて、感極まったように浮遊している。


 「インスティナさんに、ちゃんと交渉したんです! で、明日から“通い勤務”にしてもらいました!」

 

 「……ああ、なるほど。勤務中に度々スルドツェに向かって頭を掲げられるより、通った方が合理的という判断か」


 「はいっ! 往復3時間ですけど、頑張ります!」


 「通勤時間だけで、サラリーマンの悲哀を背負ってしまったのだが……?」


 「ターミナルでは、駅ナカダッシュです!」

 

 「それは、いわゆる“心をどこかに落としてしまうパターン”では……?」

 

 「はい!心というか、頭を落としそうになりました!」

 

 スヴェルカが笑顔で浮いている間に、背後から、ふ、と一筋の影が差した。

 

 「……お戻りに」


 「む」


 白いガイコツ頭の男が、静かに立っていた。

 姿勢は正しく、声音も変わらず。だが、秒針の回る眼の奥に、ほんのわずかな揺れを感じた気がした。


 「変わりはないかね?」


 「はい。彼女も街も、概ね……いつも通りです」


 「……概ね、というのは?」


 「今夜のスヴェルカは……かなり浮かれておりました」


 「なるほど。情報の正確性に問題はないようだ」


 「そこ、ナチュラルに報告対象にしないでくださいよぉ!」


 口をとがらせて抗議するスヴェルカの声に重なるように、ふたりの背後から、とてとてと軽い足音が続く。

 

 「おかえりなさいっ!」


 私の目の前で止まり、少女はまっすぐこちらを見上げていた。

 両手を前で揃えて、体をぴょこりと傾ける。螺旋の羊角が傾き、ふわふわの髪が光を受けて宙にゆれた。


 「まだ眠っていなかったのかね。……“眠いのを我慢して、パパの帰りを待つ娘”。フィクションの中だけの架空の存在だと思っていたが」


 「"おかえり"を言っただけで、実在そのものを疑われるなんて、“プロットありきの異世界モノ”みたい!」


 胸の前で指を組み、うっとりと呟く。


 「ちゃんと伏線を回収して、結末を迎えた物語……。きっと、どこかに本当にあるって、わたし……信じてるの」


 ――ふむ、なんと尊いやり取りであろうか。


 スヴェルカが後ろで小さく欠伸をして、ゆらりと尻尾を垂れる。それを見て、私はゆるく手を振った。

 

 「キミは、もう寝ていなさい」


 「ふぁ〜い……工業ギルドの人たち……要旨にまとまりがない上に、個人の感想が書いてあるから、書類読んでて眠くなるんです……」


 寝言のように言い残し、彼は頭をプカプカ浮かべたまま隣の部屋へと消えていった。

 オルローグは、静かに椅子に腰かけた。 姿勢は変わらず、秒針の音だけが淡く響いている。


 詰所の灯りが、ぽつぽつと内側を照らす。さきほどの喧騒が嘘のように、やわらかく沈んでいく夜の呼吸。少女がベッドのうえで、私の隣に何も言わずに座り、手元を見つめている。

 彼女の声は、洋燈の灯りをくすぐるように、ぽつりと落ちた。


 「……ねぇ。せんせいの住んでた世界って、どんなところなの?」


 その問いは、小さな手のひらで私の胸をそっと叩いたような――そんな、不意に温度の宿るものだった。


 私は、答えようとして口を開きかけて……ふと、言葉を呑む。

 いったい、どこから話せばよいのか。そして、現段階でどこまでを話すべきなのか。……話したあと、彼女はどんな顔をするのか。

 目の前の少女は、ただまっすぐに私を見ている。


 ――選択は、すぐそこまで来ている。明日には、何かを選ばねばならない。

 私は、胸の奥でひとつだけ息を整えた。


 「……そうだね。少し、語ろう」


 そして私は、少女の問いに向き合うため、ほんの少しだけ姿勢を正した。



――第80景へ……

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