第78景『コンポーネントの夜話』
「……そう。あの子に、すべてを」
パムェトナは、手元のペンを静かに置いた。
視線は書類から外れ、私の目をまっすぐ射抜いている。
「街の構造も、完成すれば消える可能性も、そのとき何が起きるかも……。全て、あの子に明かすつもりなのね?」
「そうだ」
私は、静かに答えた。
「……これは、あの子にも、そして君たち街の住人にも、残酷な選択を迫ることになる。私の独断で実行したくはない。街の住人全員と話すのは現実的ではないが、せめて――エモツェの5人と、正面から話し合いたい」
パムェトナはしばらく黙り、その視線のまま頷いた。
「そうね。緊急で会合を手配するわ。電報を使うから、明日のお昼にはここに集まれると思う」
「助かる」
私は小さく息を吐き、指先を組み直した。
「……他に手がないかは、君の知恵も借りたい。皮肉ではなく、本心だ」
その言葉に、パムェトナは目を伏せて一瞬だけ呼吸を整える。
「……ないわ」
はっきりと、告げた。
「策も、時間も。今ある手札の中で動くしかない。それがこの街の構造であり、きっと……あなたがここに取り込まれた意味でもあるのでしょう」
「そうだな……」
私は、わずかに首をかしげる。
「さすがの君でも、万事解決の奇跡のような手段は、思いつかないか」
パムェトナは無言のまま、机の上の紙を一枚ずつ揃える動作を続けた。
その手つきが一段落したあと、彼女はふいに口を開く。
「……少し、横道に逸れてもいいかしら?」
「構わんよ」
私は肘を軽くつき、顎に指を当てた。
「できれば憂鬱な気持ちを晴らす、愉快な話を所望する」
「……それは保証しかねるわ」
パムェトナの口元が、わずかに揺れる。けれどその瞳は、今なお静かで、深い。
彼女が“横道”と言うなら、それは単なる雑談ではないだろう。何か、思考の奥で引っかかっている断片があるのだ。――その続きを、私は待った。
パムェトナは、仕分けを終えた書類の山を机の隅に押しやり、代わりに小さな木箱を開ける。中には金属の栞や羽根ペン、インク瓶が並んでいたが、彼女は特にそれを使うでもなく、ただ眺めていた。
「……アナタと面会したのはね」
ぽつりとした声音に、私は目線だけを向ける。
「"エモシュカに頼まれたから"、それが一番大きいわ。だけど、それだけじゃなかった」
彼女は、羽根ペンを一本取り出し、手元で回しながら続けた。
「最近、他のエモツェと話す機会があった。たまたま、それぞれ別々にね。そのとき、みんなアナタのことを、話してた」
私は、ほんのわずかに片眉を上げる。
「ほう……私に関する口コミレビューかね?」
パムェトナの口元が、わずかに緩んだ。
「インスティナは、アナタの"明晰さ"に感嘆してた。議論の端々から、頭の回転と論理の筋道が透けて見えるって」
「……おや、それは面映ゆいな」
「ラスカヴァは、あなたの"真っ直ぐさ"に打たれたらしいわ。たぶん、あの人自身が回り道の多い人だから、真っ直ぐに進もうとするアナタが、眩しかったんでしょうね」
「……ふむ、そう受け取られていたとは」
「ルースカは、アナタの"勇敢さ"を褒めていたわ。自分の身を顧みずに他人を助けようとした。あの崩落事件のときのことね」
私は、無意識に背筋を伸ばした。
「……なるほど。三者三様、実に異なる観点だ。そのバラバラの評価を並べて……さて、君はどう思った?」
パムェトナは、くるくると羽根ペンを回す手を止めた。
「……どんなヤツなんだろうって、思ったのよ。そんなに評価が割れる人物、珍しいから」
「ほう。で、実際に会ってみての感想は?」
彼女は一拍だけ黙って、目線を上げた。
「胡散臭い上に、ふてぶてしい」
私は、肩をすくめた。
「……それは、率直で助かる」
「でも、同時にね」
今度は目を伏せ、机上の羽根ペンを所定の位置に戻しながら。
「……その"ふてぶてしさ"に安心感を覚える、という意見もあったわ」
「ほう、それは誰だね? 見る目がある」
「いいえ、一番見る目がない意見よ。とてもじゃないけど誰だかは言えない」
パムェトナの口元にだけ、微かな笑みが灯る。
彼女は手元の資料を閉じ、視線だけでこちらを向いた。
「……それと、もう一つだけ。重要ではないけれど、私の個人的な好奇心よ」
「ふむ、君が“重要ではない”と言うことは、他の誰かにとっては世界の根幹に関わる話かもしれんな」
軽口に彼女は応えない。ただ、続ける。
「“エモツェとは何者か”……その問いは、私たち自身もずっと考えてる。私たちが“あの子の心の分身”である、というのは、まあ仮説として受け入れているわ」
「だろうな。君たちに生えた角も、おそらくはそれを象徴しているのだろう」
「でも、理解できないのよ。私たちは初めから、はっきりとした自我と、ある程度の知識を持って現れた。あの子が、ほんの小さな意思を分けただけで、ここまで複雑な人格を生み出せるとは……にわかには信じ難いの」
彼女は手元の本の角をそっと指先でなぞった。
それが、彼女の無意識な“思索のサイン”であることを、私はこの短期間で把握している。
「……そうだな。これは、仮説ですらない。ただの“そうかもしれない”という話だが……」
私は後ろに反り、言葉を選ぶ。
「構わないわ。聞きましょう」
パムェトナは書架の方へ視線を移しながらも、注意深く耳を傾けている。
「キミたちエモツェの“半分は外から来た”のではないか、と考えている」
「……“半分”?」
「半分と言っても、"5人のうち誰かが"という話ではない。キミたち自身を"構成する要素の半分"という意味だ。それが、かつて存在していた"誰か"なのではないか。そんなふうに思っている」
パムェトナの目がわずかに細くなる。私は構わず、続けた。
「私の住む世界では、稀に“死者の魂の残滓”が精霊として残るケースがある。精神そのものではなく、感情の断片。記憶の一片。世界にしがみついた思念のようなものだ」
「……物質の身体をもっていた人間が、精霊に?」
「より正確にいうなら、人類に限らず生物すべてだが、人類で確認された例がもっとも多い」
パムェトナは少し眉をひそめた。その反応に、草木と人間以外に"生き物"がないこの街では、混乱を招くだけの補足だったと自省する。
「それを精霊学者たちは、“残響精霊”と呼んでいる。だが、残響精霊に意識や思考はない。それらは肉体のの“脳”に強く依存する機能だからな。残響精霊には、自律思考精霊のような霊質躯がない。"自我"という機能を持つことは不可能だ。」
私は、そっとデスクの表面を指先でなぞる。
「……だが、あの子は意思なき精霊に"心"を持たせる能力がある。この街の住人たちのようにね。その素材として残響精霊を取り込み、それに自律的指向性を持たせた」
「……つまり、私たちは」
「"誰か"の残した記憶が、あの子の心と混ざり合い、融合して再構成された存在。それが、君たち"エモツェ"ではないかと考えている」
パムェトナは、視線を落としたまま、微かに息を吐いた。まだ彼女の返答はない。
「……そう」
私は椅子の背に寄りかかり、目を閉じて一度思考を整える。
「感情や記憶だけが宙を漂う。それは、実行環境のないソフトウェア……」
そう言いかけて、言葉を止める。
「……失礼、この例えは伝わらないな。この街にもある概念で言えば、“読み手の居ない本”だ」
「……本?」
「そう。中身はある。語るべき物語も、確かにある。だが、それを誰も開かず、誰にも読まれず、ただ漂っているだけの本。物語でありながら、誰の意識にも刻まれない存在」
パムェトナの瞳が、ほんの僅かに揺れる。
「……我々の世界では、そのような存在に様々な呼び名がある」
私はゆっくりと、片手を挙げながら列挙した。
「ドモヴォイ。守護祖霊。トーテム。……ピトリやカムイ、憑依霊などと呼ばれる事もあるな。"狐憑き"……は少し違うか。呼び方は地域によって様々だが、これらは概ね同じ現象を指している」
「……いくつかは、寓話として聞き覚えがあるわ。それが"精霊"である、という記載はなかったけれど」
パムェトナは、卓上の本棚にある一冊を撫でる。それが"おとぎ話の本"なのかどうかは、ここからは見えない。
「それらは、生きている人間に"取り憑く"ことで、その機能を借りて、一時的な仮の自我を得る。そうして、取り憑いた人間を助ける。……まあ、恨みを持って復讐するパターンも多いがね」
私は話を続ける。
「残響精霊の影響を受けた者が、その記憶を自分の記憶と混同することもある。いわゆる"前世の記憶"の正体だ。……まあ、これは自説だがね」
「……おとぎ話や戯曲の中での出来事が、アナタの世界では実際に起こるのね。"バカバカしい"と切り捨てたいところだけど」
「キミたち"エモツェ"は、それらに近いのではないかと考えている。機能としての思考や意識……つまり自我は、少女の分身。けれど、そこに宿っている“記憶”は、別の誰かのものだ」
そう言いながら、私は机上の古びたインク瓶をゆっくりと回した。パムェトナは視線を落としたまま、静かに返す。
「……じゃあ、私の中には…」
「……そう、記憶の元となった"別人"がいる。あくまで、仮説ですらない着想だがね」
再び沈黙が落ちる。だが、それは重苦しさではなく、思索に沈む静謐な間だった。
――パムェトナの口が、微かに開いた。
「……私の記憶は、どんな子のものだったのかしらね」
呟くように落とされたその声は、答えを求めてはいなかった。ただ、自分の奥に向けて問いかける言葉だ。
「几帳面で、理屈っぽくて……融通が利かなくて。皮肉ばかり覚えて、硬いふりをした子……。でも、実はかなりロマンチストで、情熱的な恋に憧れてるような……。きっと、そんな面倒な子だったんじゃないかしら」
少し寂しげに、自嘲めいた微笑みを浮かべた彼女は、そのまましばらく黙っていた。
――この街は、誰かの記憶で綴られた絵本の書架。それらは誰にも読まれぬまま、語られることもないはずだった。
だが、それらを拾い、読み、空想に溶かしていった子供がいた。読み手のいなかった物語は、その子の夢の中で街になった。
私は頷き、指先で机を軽く叩いた。
「……そうだ! ここで……もう一つ。私自身を取り巻く“謎”の種明かしもしておきたい」
パムェトナはわずかに眉を寄せる。
「……謎?」
「私は、ルースカたち……エモツェの4人に、ある種の“好意”を寄せられている」
「……ええ。聞いているわ」
パムェトナは視線を逸らすことなく、静かに続ける。
「ルースカは特にそうね。インスティナも気に入ってたし……あの様子だと、エモシュカも相当入れ込んでるみたいだけど」
「ありがたいことではあるが……不自然だ」
私はわずかに視線を伏せ、苦く笑った。感謝の念と、違和の感覚は異なる。分けて考えるべきだ。
「本来なら、“テンプレ”でスルーすべき事象だ。元の世界では女性の影すらない男が、異世界に来たとたんに、なぜか美女がぞろぞろ惚れてくる……ありふれた現象だ」
「……なにそれ? 聞いたことないわよ」
「まあ、そういうのがあるのだよ」
私は肩を竦め、わざとらしく笑った。
「だが私は、“不思議”を前にすると……その理由を突き止めずにはいられない性分でね」
私は、声の調子を整える。
「……先ほど話した通り、キミたちエモツェの“心”は、少女の心から分け与えられたものだ」
パムェトナの目が、かすかに細くなる。
「そして、少女は……私に懐いてくれている。命の恩人として。保護者代わりとして。まさに……“父”のような存在として」
私は指を組みながら、静かに言い切る。
「つまり、彼女たちの好意は、そこに共鳴している。“恋”ではない。“幼子が親に求める愛”の変奏だよ」
言い切った瞬間、部屋に静寂が落ちる。
パムェトナの表情は崩れず、しかし微細に、呼吸が浅くなる。
――やがて。
「……つまり彼女たちの"恋"は、“あの子の代弁”であり……同時に、“ただの錯覚”でもあると?」
「言い方を選ばないならば、そうなるな」
「……………なるほどね」
パムェトナは背もたれから身体を起こし、わずかに表情を和らげた。
「……あの人見知りのエモシュカが、なぜあなたに懐いたのか……理解できたわ」
声は静かで、どこか寂しさすら滲む響きだった。
「でもそれなら、その事実から推論できる"答え"を……。あなたはひとつ、見落としているわね」
彼女の声音に、わずかな熱が混じったのを感じた。私は目を細め、視線を落とす。
――見落としている?
これまでの言葉を、思考の棚に一つずつ戻すように辿る。だが、明確な導線は浮かばない。
論理の空白に指を這わせるように、私はゆっくりと息を吐いた。
「ふむ……差し当たって思いつくものはないが…」
顎に手を当てたまま答えると、彼女はすっと立ち上がった。歩き出す気配に、私は自然とその背を目で追った。
パムェトナは、壁の本棚から分厚い一冊を抜き出す。マホガニーの机へと戻った彼女は、手早くページを捲り、その一頁を指先で軽く叩いた。
「そんなに難しいことじゃないわ。……私の手元の本。この部分を見てちょうだい」
頷きながら私は立ち、彼女の隣へ。斜めからでは読みづらい。自然と、背後へ回り込む形になった。
身を屈め、彼女の肩越しにページを覗き込んだ……。
――その時だった。
視線を上げるより早く、彼女の身体が振り返った。丸みを帯びた大きな角が、鼻先をかすめる。動きは、ほとんど無音だった。
……顎を、掴まれた。
指先ではない。手のひら全体で、顔の輪郭をしっかりと、躊躇いなく。
気づけば、彼女の唇が、私のそれに重ねられていた。
――意識する間も、抗う隙もなかった。
滑らかに、けれども強く。執務室の静寂を突き破ることなく、すべては風音ひとつ立てずに行われた。
その唇の暖かさは、情熱ではなく決意の温度。……そんな風に感じられた。
「………………」
少しそのままの時間が過ぎ、彼女はそっと唇を離す。そして、正面に立ったまま、視線を逸らさず言った。
「……私も、あなたに恋をした」
パムェトナは目を逸らすことなく、淡々と告げた。声は落ち着いていた。
「ほら、簡単な三段論法でしょ?」
私は何も言わずに彼女を見つめていた。
「安心して。だからって、この街を完成させたくないなんて思わない。私たちの衝動は強い。私は、あの子を救いたい」
言葉を切り、わずかに視線を伏せる。
「この告白は、むしろ……未練を断ち切るための“区切り”よ」
「……なら、逆に私がキミたちへの未練を深めてしまう可能性には思い至らなかったのかね?」
パムェトナはわずかに笑った。その笑みは、知的で、そして誇り高く……。
「私に、あなたの心の行き先まで気に病む義理なんてあるかしら?」
――それきり、彼女は黙った。
視線は再び、机上の書類へと戻っている。先ほどの口づけが、なかったかのように。
私はただ、その後ろ姿を見つめていた。この街の記憶を司る司書の横顔を。
街の記憶を司る彼女。
"借り物の心"のうえに、“誰かの残像”をまとって、それで確かな自分の意思で動く、静かな横顔を。
――最終旅程『Nevina Ovčelka』へ……




