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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第六旅程『Pamětná』
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第77景: 『再訪:記憶の図書館へ』


 劇場から駅へと向かう、緩やかな坂道だった。

 舞台の余韻を背中に感じながら歩く帰り道は、どこか肌寒い。通りには夕暮れが忍び込み、建物の壁面に貼られた演目ポスターも、温かみを失っていた。


 「……なんだか、静かですね」


 エモシュカがぽつりと呟いた。声はごく自然だったが、指先はポーチのストラップをいじっていた。

 私は一歩だけ先を歩きながら、ふむと頷いた。

 

 「公演が終われば、街はただの街だ。光も音も、劇のために用意された装置に過ぎん」


 「……ふふっ、なんだか、ちょっと寂しいです」


 そう言って笑う彼女の顔は柔らかい。私は歩調を緩め、肩越しに視線だけを向ける。


 「名残惜しいのかね?」


 「いえ……でも、ちょっとだけ、“終わっちゃった”って感じがします」


 それが、芝居の幕に対しての感慨なのか。それとも、今この帰り道そのものに対してのものかは測れない。

 だが、その空気はすぐに破られる。


 「先生」

 

 前方、図書館の外壁を背に立つ制服姿の警備員が、私に向かって一歩踏み出した。


 「パムェトナ氏から伝言です。『もう少し話したいことがあるため、再度来てもらえないか』と」

 

 ふむ、と私は顎に指を添えた。


 「構わんよ。というより、こちらも話したいことがあったところだ」


 そのとき、隣にいたエモシュカが小さく声を上げた。


 「えっ……あの……私も、一緒に……とか、ダメですか?」


 彼女の視線は警備員ではなく、なぜか私に向けられていた。だがその問いに対し、警備員はほんの僅かに眉を曇らせ、視線を伏せた。


 「……いえ、今回は……申し訳ありませんが」


 丁寧だが、明確な拒絶だった。

 エモシュカの頬が強張る。それを隠すように、私は静かに向き直った。


 「エモシュカ女史、キミは先に帰ってくれたまえ」


 「……え、あ、そ、そうですか?」


 彼女の声には、あからさまな戸惑いが滲んでいた。足元が動かず、ただその場に立ち尽くしていた。

 私は、眉をひそめて話題を切り替える。


 「このまま一緒に駅へ向かえば、十中八九“ふたりきりでトラムに乗る”展開に突入するだろう」


 「えっ?」


 「そして、揺れる車内。傾く身体。近づく距離。心拍数の上昇。その手のテンプレ展開が不可避だ」


 「ええっ!? それ……ダメなんですか!?」


 即答した。


 「むろんだ。テンプレの流れは、切れるときに切っておく」


 「そ、それ、ひどくないですか……!?」


 口調は抗議だが、頬は赤かった。そしてその赤みを隠すように、彼女はすぐに踵を返す。


 「……わかりました。じゃあ、先に帰ってます」


 小さく会釈を残し、彼女は坂道を下りはじめる。トボトボ、と音が聞こえそうなほど、控えめな足取りだった。

 駅へと続く坂道を、一歩ずつ。肩を落とし、背を丸めるようにして歩き出す。

 私はその後ろ姿を見送るつもりでいたが、数歩も進まぬうちに――彼女はぴたりと足を止め、振り返った。

 

 「先生」


 声だけが、すこしだけ迷子のようだった。


 「……こんど、トルハを一緒に回りませんか?」


 私は片眉を上げる。

 

 「……というと?」


 「その、ウチの劇場の近くで……ちょっと開けた感じの……。あの……景色のいい場所とか、ちょっと知ってて……ですね」


 言い終える前に、私は手を振って断ち切った。


 「断る。これ以上、“エモ系モテイベント”を増やすわけにはいかない」


 「ひどっ!」


 小さく抗議して、またトボトボと歩き出す。しかし三歩と経たぬうちに、再び振り返る。


 「……あの、ふたりじゃなくて。みんなで、っていうのは……どうですか?」


 私は少し考えるふりをして、顎に指を添えた。


 「ふむ。スヴェルカくんを含めた“ダブル不憫枠”編成であれば、モテイベントとはカウントされまい。一考しよう」

 

 「やった!」

 

 彼女の顔が、ぱぁっと明るくなった。肩の力が抜けたのか、足取りもほんの少し軽やかになる。

 だがまだ終わらない。またしても、振り返った。

 

 「そうだ!今度、ウチの劇団の公演も見に来てください!」


 舞台のことになると、声が自然と上擦る。誇りと喜びが、言葉の端に乗っていた。

 

 「主演の子、私なんかよりずっと上手で……えっと……あ、はいっ!」

 

 鞄からもたつきながら取り出した紙片を、駆け戻って手渡してきた。くしゃくしゃになりかけた招待券が、彼女らしさを滲ませている。


 「……ぜひ!これ、差し上げます!」


 私はそれを受け取り、しばし眺めてから、小さく笑みを浮かべて、返した。


 「……そうだな。娘のぶんと、二枚貰えるなら観劇させてもらおう。キミを上回る演技とやらを観てみたい」


 「は……はいっ! ……あ!いま一枚しかないから……次会ったとき渡します!」


 エモシュカは再度振り返り、軽くスキップでも踏みそうな勢いで、駅へと向かう。

 その背中に向けて、今度は私の方から声をかける。


 「……そういえば、エモシュカ女史」


 呼び止めると、彼女はスカートの裾を揺らしてぴたりと立ち止まる。


 「今日のあのサプライズ劇は、あらかじめ準備していたのかね?」


 エモシュカの肩がびくりと跳ねた。


 「い、いえっ! あれはですね……その……」

 

 指先でもじもじとポーチの紐をいじりながら、声がどんどん小さくなる。


 「館長さんが……『彼氏に良いところ見せたいでしょ』って……。で、たまたま練習に来てたメンバーを巻き込んで……あの……急遽、です……!」


 「……彼氏?」

 

 「ひゃっ……! ち、違いますっ! ちがいますけどっ! でも、なんか、言われて……断れなくて……!」


 顔を真っ赤にしながら両手をぶんぶん振る。それだけの準備を、彼女のために誰かが整えたという事実。それが、彼女の“愛され方”を物語っているのだろう。

 

 私はため息をひとつ。


 「ふむ……つまり“その場の空気”という名の圧力に屈したわけだな」


 「うぅ……先生、言い方〜〜……!」


 耳まで茹だるように赤くして、エモシュカは再びぺこりと頭を下げ、今度こそ駅へと駆けていった。

 やはり、感情のアップダウンが激しい。……しかしそれは、役者としては弱点ではなく、むしろ"強み"という事なのだろう。彼女の演劇の技術には、確かに見るべきものがある。


 ――だが、ならば父として“健気で報われぬ不憫枠”の資質も、磨いてやらねばなるまい。

 私は決意をあらたに、手に残った招待券を白衣の内ポケットへ入れる。


 そして、静かに図書館へと向き直り、扉を開ける。――記憶の女と、真実の続きを話し合うために。


***


 階段を上がり、先程の閲覧室を通り過ぎる。

 職員が先導してくれたのは、書架の奥、別棟へと続く重厚な回廊だった。

 書の香りが徐々に薄れ、代わりにインクと革と紙の香りが満ちてくる。格子窓から差し込む光が、濃い緑色のカーペットに幾筋も模様を描いていた。

 通されたのは、木目の深い壁に囲まれた、静かな一室。図書館の心臓部とも言える、パムェトナの執務室だ。


 中央の重厚なデスクの背に、彼女は座っていた。立ち上がることも、こちらを迎える仕草もない。ただ視線だけが、淡く私の方へ向けられる。

 

 「どうぞ」


 短く促され、私はデスク向かいの椅子に腰を下ろした。

 そのとき、彼女はようやく声を落とす。

 

 「……エモシュカと、ずいぶん仲良くなったのね」


 おや、と私は顎に指を添える。


 「我々の様子を?」

 

 「警備の人に、あなたを探してもらってたのよ」

 

 彼女は書類を軽く閉じ、視線を私に戻す。


 「ちょうど、レストランから出てくるところだったらしいわ。二人でデートしてたって」


 私は軽く目を細めた。


 「それを、邪魔されなかったのは感謝すべきかな?」


 「……ええ。そこまで無粋じゃないわ」

 

 口元はわずかに笑みを含みながらも、彼女の目は既に“本題”を射抜いていた。


 「――で、話を戻すけれど」


 書類の束を机の端に寄せ、手元のインク壺に蓋をした。

 

 「この街を“救う”手段について。……あなたに、なにか考えがあるのか、ないのか。重要なそれを、まだ聞いていないわ」


 私は、椅子の背に軽くもたれかかり、指を組んだ。

 

 「ふむ、核心を突くね」


 私は一拍置き、問いかけるように言葉を継いだ。


 「……私の仮説は、信用に足る……と判断してもらえたと考えていいかね?」


 パムェトナはペンの尾を指先で軽く回す。


 「半信半疑よ」

 

 それは正直な答えだった。


 「……でも、5割の確信があれば、国文学者はそれを前提とした論文を書いてもいいの。あとで間違いだったと分かれば、追訂を書けば済む話だから」


 私は、思わず鼻を鳴らした。呆れとも感心ともつかぬ吐息が、胸の奥から洩れる。


 「……羨ましいものだ。文系の学者というのは、後から言い訳できる研究を扱える」

 

 「理系のあなたたちは?」


 「実試験に移る前に7割程度は確度が欲しいな。論文化するなら、9割だ。再現性が取れなければ、再現研究論文で袋叩きにあう」

 

 目の前のパムェトナが、ふとまばたきを一度だけ。笑いではないものの、愉快を表現していた。

 私は再び姿勢を正し、机の端に並べられた資料の束を見やる。


 「実のところ、私も――それを、君に相談したいと思っていた。まずは、私の案を提示しても構わないか?」

 

 パムェトナは目を伏せ、一呼吸だけ置く。

 

 「……ええ。聞かせて」


 静かな応諾だった。


 ――ならば、語ろう。今の私が、少女を救い、この街を活かすための手段を。

 それが、父としての責任であり、この街に“取り込まれた者”としての、最後の務めでもある。



――第78景へ……

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