第73景:『不思議じゃなかった記憶』
席に着くなり、エモシュカはぱたぱたとナプキンを膝に敷きながら、じっとメニューに見入っていた。
「えっと……“海老のフリカッセとバターライス”……。それから、“白いチキンのハーブクリーム煮”……!」
「ふむ。貴族の食卓じみた名前だな」
「“白いチキン”って何ですかね。白い……種類のニワトリ……?」
「可能性はあるな。“赤いチキン”と戦わせて、進化する系の存在かもしれん」
「それって、最後に“金色のチキン”になるやつじゃないですか!」
「色で格を決めるのは某バトル業界の悪癖だな。ちなみに私は、チキンメンタルには違いないが、メタリック偏光カラーだ。角度によって印象が変わるが、どの角度から見ても妙に浮いている。無駄に目立っているのに、誰にも馴染めない」
「うわぁ……そういうのが一番、根に持って復讐とかしそうです……!」
「もちろんだとも。キミの些細な失言を十年単位で反芻し、劇場の照明トラブルに偽装して報復を仕込むくらいの執念はあると思ってくれて構わんよ」
「いや怖っ!? “ただのトチリ”で、こっちは完全に忘れたころに命狙われるんですか!? 生まれ変わっても追ってくるタイプですか!?」
エモシュカはくすくす笑いながら、バターライスの方を指差した。
「わたし、これにしますっ!」
「では私は……チキンをいただこう。白いかどうかは、見て判断する」
注文が通ると、テーブルには少し落ち着いた空気が流れた。窓の外では、昼下がりの広場を風が通り抜け、街灯の飾り布を軽く揺らしている。
「……なんか、ごはん食べるのって、久しぶりです」
「食事は嗜好品とは聞いていたが、キミも"食べること"に興味のないタイプかね? ならば、付き合わせてしまって悪かったな」
「いやっ!食事が苦手とかじゃなくてですね! お稽古終わったら、みんなで一緒に行くとか、公演の打ち上げとか、そういうの、けっこう好きなんですけど……。ここ最近は、なんかこう、バタバタしててっていうか、エモツェの方の役割が忙しくて……」
「ふむ、街の異常も影響しているか」
彼女は、少しだけ遠い目をして、メニューの裏表紙を指でなぞった。
「……なんか、最初のころのこと、ちょっと懐かしいな……とか…」
「最初、とは?」
「いや!あの……まだ街に……建物も他の人もぜんぜんいなくて、5人だけで小さな家とか作ってた頃です……」
私は、その言葉に少し息を吐いた。
「……やはり、最初の住人は“キミたち”か」
エモシュカは、うなずいた。
「……エモツェの5人と、時計塔の……あの子、でした」
ここまでは、既にパムェトナから言質も取った話だ。
「そのときからキミに…いやキミたちには……自我があったのかね?」
「へっ?……いや、それはふつうに。気がついたときには、もう“ちゃんと喋れる”っていうか、“知ってる”っていうか……」
「なるほど、デフォルトで自我も、ある程度の知識も……か」
彼女は、ナプキンの角を小さく折りながら、続けた。
「“街を作りたい”ってのも、最初から想ってました。あっ!でも、焦ってとか、ノルマとかじゃなくて……なんかこう、充実感というか、すごい満足感というか。やってると“すっごく楽しい!”ってかんじの」
「……ふむ。快楽型建設衝動か」
「なんですかそれ!」
「いや、極めて貴重な概念だ。私は今、建築学の歴史に残る分類ワードをひとつ生んだかもしれん」
「絶対、論文のタイトルが長くて読まれないやつです!」
彼女のツッコミに、私は満足げに頷いてから話を戻す。
「この街の拡張構造にも、疑問はなかったと?」
「はい。“建物を作ると空間が伸びる”のは、当たり前のことで。不思議とか、ぜんぜん思わなかったです」
「それで、住人も……」
「はい。建物ができたら、いつのまにか“そこに居るべき人”が居る感じで。“あ、居たなー”っていう……自然な感じ」
概ね、これまで聞いた話や、私の予想とも一致している。仮説に、ひとつ肉付けがされた、といったところか。
だが、彼女の表情は、どこか名残惜しそうだった。
「……今がイヤとかじゃないんですけど。なんか、あのころって、毎日すごく充実してたなあって。難しいこととか考えなくて、いまみたいな制度とかルールもほとんどなくて……。みんなで夢中で街を拡げてるのが、ただただ楽しくて」
「なるほど、“楽しすぎた社畜の回顧録”というわけか」
「ちがいますってば〜!」
ちょうどその時、料理が運ばれてきた。エモシュカの“フリカッセ”は、なぜか予想より大きな皿に乗っていた。
「わぁ……大きい……!」
「まるで、満漢全席の第一皿だな」
「……先生、食べきれるかな……?」
「なにゆえ私だ」
「だって、わたし途中でギブアップしそうで……。その場合、責任の所在は“お昼食べたいって言った側”なので……」
「ふむ、聞いたことのない風習だ」
「“残させたら可哀想”制度です!」
「身勝手な制度を、独自に制定しないでくれたまえ」
エモシュカはすでにフォークを構えて、全力の笑顔でこちらを見ていた。……どうやらこの昼食、胃袋の容量が試されるようである。
エモシュカはスプーンでバターライスをすくい、口元に運ぶと――
「……おいし……っ」
頬をゆるませたその瞬間、彼女の視線が再びメニューの一文へと戻った。
「……これ、“コック・オー・ヴァン”ってなんですかね?」
「む。キミ、まだ注文するつもりかね。フリカッセだけでも、食べきれないのだろう?」
「いや、そうじゃなくて! あの……さっき、他の席の人が言ってて、すごく強そうだったから……」
「料理名に"強そう"とは、奇抜な感想だな。格闘技の技名ではない。それは“鶏のワイン煮”という意味だ」
「えっ、そうなんですか!? えっと……コックが、たぶん“料理人”で、オーは“王”で、ヴァンがこう、“バーン!ってぶつける”……?」
「違う。全部違う」
私は静かに、ナプキンを膝に正し直した。
「“coq”は“雄鶏”、つまりチキン。“au”は“〜入りの”で、“vin”がワインだ。直訳すれば“鶏 in 酒漬け”だな。……フレンチなのに居酒屋みたいな響きだが」
「え〜っ!? てっきり“王に仕える料理人が繰り出す秘奥義”みたいなやつかと……!」
「それはむしろコックが武器を持って戦っている状態ではないかね?」
「“コック・オー・ヴァン!”で、ワインをグラスごと投げつけるみたいな!」
「その発想でいくなら、たぶん“バターライス”のほうが必殺技っぽい」
「ぶはっ! たしかにっ……! なんかこう、地面がバターまみれで、すべって転ぶ……!みたいな……」
「不憫な演出に関しては、さすがのセンスだな」
彼女はふにゃっと笑って、スプーンを置いた。
フリカッセはなんとか食べ切ったが、皿にはバターライスが半分は残っている。
「……お腹いっぱいです」
「ふむ、結局“残させたら可哀想”制度は発動するのか?」
「わたしの中で、議会可決されました……」
「拒否権を発動する」
「……じゃあ、次の条文で、“責任は分配可能”って入れておきます……」
――この女、冗談の条文すらめんどくさい。
やむなく、私は彼女のライスを引き受ける。無理矢理かっこんでから、湯の気の消えかけた白いカップに口をつけた。
紅茶の香りが、ひと区切りを告げる。
「そういえば、キミは“ステンドグラスが見たい”と言っていたな。それは、行かなくてもいいのかね?」
「あっ!」
彼女はぴょこんと背筋を伸ばした。
「……えっと、先生がいいなら、行きたいです!」
「ふむ、では付き合おう。目的なく街を歩き回っても、生産性に欠ける」
エモシュカはにぱっと笑って、勢いよく椅子を引いた。だが、その拍子にナプキンが脚にひっかかり、あわや転倒しかける。
「うわぁっ……! あっぶな……っ!」
「ステンドグラスより、先に“ステン落ち”……。……いや、すまない。口が滑った。私としたことが、さすがにレベルが低すぎたな」
「……やっぱり滑ってたんですね、物理的にも精神的にも」
「いや、今のは“重ねオチ”だったと考えればアリか? キミが滑る→私の口が滑る→ネタも滑る→結果、私がオチ込むのがオチ……と、四段構成だったとすれば、芸術点が加点されるかもしれん」
「そんな自爆芸、誰も採点してませんからぁ! ていうか、全部わたしが巻き添えなんですけどぉ!!」
彼女は照れ笑いを浮かべながら、椅子の背に手をかけた。会計は彼女が済ませ、ドアを押し開ける。
――女性に払わせるのが情けない?それは時代錯誤というものだ。いまは男女平等の世。ゆえに私は進んで支払わせる。これは決して卑屈な逃避ではない。先進的無支払い主義である。
経済的主導権を女性に委ねることで、私はジェンダーバランスの釣り合いを取っているのだ。これはもはや奢られではない、譲渡すべき未来である。
……いや、違うな。――ただ単に、私はこの街では無職だからだ。
探したこともなければ、探す気ももちろん皆無だ。なぜならば、私はこの街…そして、あの少女の救済に全身全霊を尽くさねばならぬからだ。
あと単純に働きたくない。
……ちなみに、元の世界でもだいたい無職みたいなものである。すなわち私は、世界を跨いで無職というマルチバース型無所属人材。
どこへ行っても無職透明。社会的属性:ステルスである。
外へ出ると、昼下がりの風が、彼女の髪をそっと揺らした。
「さ、行きましょうっ。すっごく綺麗なとこらしいですよ!」
彼女はスカートの裾を押さえながら、小走りで通りの先を指差した。その背を追いながら、そっとため息をつく。
――そして、私は歩調を合わせつつ、そろそろ"振り切ったボケ"へのエンジンをふかし始めていた。
……ここまでもチョイチョイ小ボケは挟んできた。だが、正直まだ甘い。パンケーキに例えるなら、生地の段階である。トッピングが足りていない。
――だが、私は知っている。彼女のポテンシャルは、こんなものではない。
もっと転べる。もっと赤面できる。もっと、道端のポストにでも頭をぶつけられるはずだ。
こんなに見たがっているステンドグラスを、みごとに台無しにするくらいの"うっかり"が望ましい。
そう、彼女はもっと輝ける。ならば、私はその舞台を整えよう。今こそボケ芸術の錬成陣を描く時。
単に撮れ高のため? いや違う。これは彼女自身のため。ひいてはこの街のためである。
彼女が極めれば極めるほど、彼女の“個性”が浮かび上がるのだ。彼女の薄い個性に、"不憫枠"という装飾がなされる。そして、それはこの街の活性にも繋がるはずである。
撮れ高は希望。ボケは祈り。ツッコミは文化。そう――芸は街を救う。
さあ行こう、エモシュカ。この道の先で、君はまた何かを失うかもしれない。尊厳とか、膝の皮とか。
だが安心したまえ。私はその瞬間を、一瞬たりとも見逃さない。
――第74景へ……




