第72景:『街歩き、あるいは昼食への道』
「じゃあ、先生っ! どこ行きましょうかっ?」
エモシュカの声は弾んでいた。
両手は軽く背中に回され、つま先でくるりと半回転。その動きが、彼女のスカートの裾をふわりと揺らす。
「おや? 行きたい場所があったのではないかね?」
私が問うと、彼女は「ふぇっ」と不意打ちを受けたような声を漏らし、両手をバタつかせながら首を振った。
「……え? いや、別に……。あっ! いやっ、そうなんですけど! その……無理して付き合わせてるわけですし、先生の行きたいところがあれば……!」
……ふむ。この反射的な“遠慮→誘導”の流れは、先ほど“ボッチ団長”と評した私に対する心理的反応かもしれない。
心外である。私はただ事実を述べただけなのだ。
「では、私に選択権を委ねるということであれば……昼食を取らせてもらえるとありがたい」
「……なるほど、ごはんっ!」
「キミたちと違い、私は生理的な意味での食事が必要でね」
エモシュカは、何かを得心したように顔を上げた。
「あっ! それ、先生の入院中に、インスティナさんから伝わって来てたかもです!」
「おや?細かい会話までは伝わらないのではなかったのかね」
「そうなんですけど、インスティナさんが先生の喉からグイグイと管を突っ込んで……。なんかの液体をブシャーッてやってるのが」
彼女は両手で謎のジェスチャーをしながら、チューブで何かを送り込むポーズを再現してみせた。
「それ、本人がやっていたという想定かね?」
「イメージ的には、そんな感じです。『これせんと、コイツ死ぬらしいんや』、みたいな焦った感じで」
ふむ、経管による水分と栄養の補給を、インスティナが"手配した"とは聞いていたが。実際に施術していたのが、彼女自身だったとは。長い巻き髪の長身美女が、意識のない男の口をこじ開けて、グイグイ管を押し込む姿は、いささかシュールである。
……いや、そんな事を思ってはいけないな。正しい医療手順なのだ。"長い巻き髪の長身美女の看護師"だって世の中には居るだろう。なにも不自然ではない光景だ。
「じゃあレストラン行って、いっぱい食べましょうねっ!」
エモシュカは目を輝かせ、手をパチンと合わせた。
私は無言でうなずきながら、近くの通りに目をやった。
通りの先には、昼下がりの街。料理店らしき店のパラソル席に、スープ皿の湯気が立ち上っている。
「こっちに、カフェっぽいのがあったような……!」
エモシュカは路地の先を指差すと、私の許可も待たずに駆け出した。
私は仕方なくその背を追う。歩幅は小刻み、リズムは速足。軽やかなその足取りが、街並みの石畳に跳ねるように響いていた。
レトロガーリーなスカートを翻して駆ける姿は、可愛らしいと表現しても差し支えないだろう。くたびれた白衣のポケットに手を突っ込んで、その後ろを歩く男が、"デートの相手"だとは誰も思うまい。
――そう、我々は“デート”の真っただ中である。
……にもかかわらず、不思議と緊張はなかった。それどころか、胸の高鳴りもなければ、ときめきも一切ない。
たしかに私は、そもそも恋愛感情に乏しい人間ではある。だが、それにしても……である。
いかにエモシュカが不憫枠とはいえ、あまりにも心が動かなさすぎて、なんだかこちらが申し訳ない気にさえなってくる。
「せ、先生っ! ありました!」
彼女は角を曲がった先の広場でくるりと振り返り、両手で丸を作って、目元に当てた。
「“カフェ発見のポーズ”です!」
……知らん。
「ここっぽいです、たぶん! えーと、看板には……えっと……“ラ・フルール・デュ・ターブル・デ・アミ〜”って書いてあります!」
「発音が絶望的に不安だな。イントネーションが安定しなさすぎて、今ので店の国籍が三回ぐらい変わった気がする」
「お、おフランス語って、語尾がふにゃっとしてるじゃないですか!」
……この世界に、"おフランス"は存在しない。なのに、“おフランス口調”は伝わる。この世界における言語的オーパーツである
まあ、駅名や建造物にチェコ語が当て嵌められている時点で、その手の矛盾には目をつぶるべきだろう。
私は目を細めて看板を確認した。
「『Fleur de table des amies』……つまり『友人たちのテーブルの花』という意味だよ」
「おしゃれカフェですねっ!」
彼女はわくわくした様子で、入り口のメニュー看板に鼻を近づける。
「えっと……“前菜三種盛り合わせと季節のスープ”……! それから、“豚肉とイチジクの赤ワイン煮込み”……!」
「ずいぶん本格的だな。カフェと言うより、ビストロのようだ」
「じゃあ、“ビストロっぽいけどカフェ的な雰囲気もあるやつ”ですね!」
「そういう形態の店は、"ネオビストロ"、もしくは“カジュアルフレンチ”などと呼ぶ」
「なるほどっ!」
――この女は今、絶対に何もわかっていない顔で、全てをわかったフリをした。
“経管栄養”の手順を謎ジェスチャーで再現したうえで、『ブシャーッ』とか言っていた女である。
情報の伝達のなかで、大幅になにかを削っている気配がある。
しかも、それを“自信満々の笑顔”でまとめてくるあたり、タチが悪い。
「じゃあっ、入ってみましょうか!」
そう言って扉に手をかけた彼女が、ふと振り返る。
「……あっ、先生!お先にどうぞ!」
「ほう、レディファーストではなく、パトリアーキーかね?……」
「えっと、その、わたしがドア開けたら、“開けた瞬間誰かにドンッ”ってパターン……多いので……」
「……なるほど。つまり、“突入事故の盾になれ”と」
「ちがいますぅっ!」
だが、私が一歩前に出た瞬間――ギィ……という、重いドアの軋み音が響き、
「「あっ」」
タイミング悪く、中からウェイターが皿を手に出てきた。思いっきり、鉢合わせる。――が、間一髪、私は寸前で身を翻し、軽やかに回避。
エモシュカは目を丸くした。
「す、すごいっ! 今の、スローモーションみたいでした!」
「当然だ。私はかつて、“蛍光灯の紐をパンチしてから躱す”という謎の修行に、1日2時間を捧げていた人間だ」
「あっ、でも、先生が回避したら……後ろの私が……!」
言い終えるより早く、エモシュカは自らの“危機予測”を回避行動に移していた。……が。
「……いてっ!」
乾いた音が響いた。
エモシュカの頭頂部が、開き掛けの外扉にガツンと直撃したのだ。
ウェイターが、反動でふらつく彼女を改めて避ける。手に持つ皿がグラついたが、なんとか持ち直す。
「し、失礼いたしましたっ……!」
ウェイターは急いでテラス席の奥に皿を置くと、深々と頭を下げる。私はその様子を一瞥し、静かに首を横に振った。
「……キミは悪くない。いまのは避ける必要がなかったルートだ。彼女の完全なる自爆だよ」
「せ、先生っ! なんでそういう事、聞こえるように言うんですかぁ〜……!」
私は腕を組み、深く頷いた。あたかも長年の研究成果が実証されたかのような、深い満足感を感じていたのだ。
「うむ、見事な不憫枠ムーブだったよ」
「ひどくないですかっ!? なにその分類!?」
「いや、区分としては正しい。スヴェルカくんと会った際には、後輩として挨拶するように」
「……え、えぇ〜……」
彼女は頬を膨らませたが、次の瞬間、くすっと笑った。
「……でも、なんか楽しいですね、こういうの」
「ぶつかったのにか?」
「はいっ!」
脳震盪一歩手前で笑っているあたり、この女はなかなかの逸材かもしれない。
ともあれ、私は扉を押し直し、ふたりで店内へと足を踏み入れた。
――モテイベントのド定番。二人でランチの開始である。
――第73景へ……




