第70景:『モテイベント編:デートの誘い』
背後で閉まる図書館の扉の音。それは驚くほど重く感じられた。
パムェトナと語った、この街の真実。そして、定まらぬ私の決意が預けられたかのようだ。
私はゆっくりと外の光に目を細めた。光源は、すでに真上に近づいている。静謐な思考の渦から、現実の温度へと引き戻される。
私は数段の石段を降り、アーチの外へと出る。そこに、視界の端で揺れるものがあった。図書館の入口の石垣に背を預けるように、ひとりの女が佇んでいる。
――エモシュカ。両手を背中で組み、そわそわと視線をうろつかせていたが、私と目が合うと、ピンと背筋を伸ばした。
「先生っ、お疲れさまでしたっ!」
声は明るい。だが、その裏に、“何か言いたげ”な気配がある。
「おや、トルハに帰ってはいなかったのかね。かなり長い時間が掛かっていたと思ったのだが」
「はいっ。えと……わたし、今日お休みなんですっ」
「さきほど、そう聞いたな」
彼女は一瞬ぴたりと止まり、手元の指をもじもじと組み替える。
「で、でですね……!」
声が、少しだけ跳ねた。
「この区画の、本屋さんとか……喫茶店とか……あと、なんか、こう……ステンドグラスが綺麗なところがあるって劇団のみんなが言ってて……。その……行ってみたいなって……!」
「ふむ、それはよい。楽しんできたまえ」
ならば、さっさと行けば良いのに。わざわざ出口でずっと待っていたとは、健気なことだ。さすが不憫枠である。
だが、彼女は続ける。
「……あっ、あのっ。……いっしょに、とか……」
私は、ほんの少し顎を上げた。そして、静かに言葉を返す。
「エモシュカ女史。キミは休日を共に過ごす友人がいないのかね?」
「い、いやっ……えっと……!」
彼女は狼狽し、両手をばたばたと振った。
「劇団員のみんなは、すごく良くしてくれてます! ごはん誘ってくれたり、お出かけも……! ただ、その……やっぱりわたし、団長なんで……!」
「……ほう」
「休日にこっちから誘ったら、やっぱり気をつかわせちゃうかなって……! その……気まずくなったらイヤですし……!」
――ふむ。えらい。世の中には、これができない者も多い。
『フランクな関係を築きたい』などと言いながら、部下の貴重な休日を潰す。それを、“気さくな上司”という看板で正当化する。そんな厄介者も腐るほどいる。
その点、目の前の彼女はどうだ。団員の内面にまで意識を向ける視野がある。――だが、その配慮の結果が……。
「つまり、休日ボッチと」
「ちがいますってば〜っ!」
エモシュカは、ブンブンと手を振って続ける。
「ちがうけど、で、でも……今日は……。ひとりでまわるのも、なんかこう…ですね…。だから……」
彼女の手が、私の腕に伸びかけたが、寸前で止まる視線だけが、訴えるように私を見上げていた。
……私は、静かに額を指で押さえた。この流れは、既視感がある。いや、既視感などという甘いものではない。
――そう、テンプレだ。
『他に誘える人がいないから、一緒にカフェに』などという発言は、明らかに“モテイベント”の構造を帯びている。本来、この異常な事態は疑いをもってしかるべきだ。それは、"なぜ自分がモテているか"ではない。なぜ、"普通にモテそうな女子が、よりによって会ったばかりの男を誘うのか”である。
可愛い女の子が、素性もしれない相手をデートに誘う。まず、その女子本人の行動が危うい。――危機意識、皆無か。
そういう女が、"地雷男に騙された経験”を泣いて語るのを、私は過去に何度も見た。だが、それは“地雷を踏まされた”のではない。自分で地雷原にダンスしながら突っ込んでいった結果である。
……ようやくルースカから逃れ、知的探求者としてパムェトナと語り合い、せっかくこの物語を『幻想の街×"生きる意味"を問う寓話』的な世界観へと引き戻したというのに。
『非モテが異世界ではなぜかモテモテ』のテンプレに引きずり戻される。
否――私は抵抗する。
この展開の先に待つのは、“モテ”を起点にしたストーリー。ギャグもエモも、“非モテの仮想モテ体験”の装飾品にされる未来だ。
――そう……そして。年下の女性からの、あからさまなデートの誘い。それを受けた、おじさん系主人公のテンプレはこうだ。
『まったく、困ったものだ。こんな若い子、オレはそんな目で見れないんだがな……』と下心がない事をわざわざモノローグで強調しながら、なぜか普通に承諾する。
独白とは裏腹に……いや、むしろ楽しげに。
結果、相手は普通に"脈あり"と感じる。こちらの『そんな気はなかった』などという逃げ口上は通じない。
――脈ないなら断れ。大人だろ。"ワンチャンこいつで経験積めるか?"とか企む高校生男子か。
……私は、そうなりたくはない。
『エモシュカ、オマエは恋愛系ヒロインじゃない。哀れな不憫枠だ』
それを、彼女にちゃんと伝える責任がある。ゆえに、私は言葉を探す。テンプレを回避する、最小かつ効果的な言葉を……。
「断る」
ピシャリと言い放った私の言葉に、エモシュカの笑顔が固まる。
「同行者がいなくて寂しいなら、駅前でナンパ待ちでもしたまえ。その姿なら、声をかけて来る男も居るだろう」
「え、えっ、いや! そういうんじゃなくてですねっ!?」
動揺して手を振るその姿は、まさに“想定してなかったリアクション”だったのだろう。
だが、私は容赦などしない。
「私は暇ではない。やるべきことが、山程ある」
「え、でも……あの、私……その……」
彼女は言い淀み、肩のポシェットの紐をぎゅっと握った。少し視線を落としたまま、彼女が低い声で続けた。
「……先生……わたし、パムェトナさんとの面会、取り付けてあげましたよね……」
…………む。
この女、恩を傘に脅迫するとは、生意気にも程がある。エモシュカごときが、この私に圧力をかけてくるなど、笑止千万。
だが、確かに助かったのは事実だ。“顔パス”が通じなかったにもかかわらず、彼女は食い下がってくれた。お堅い図書館の受付に対して、ひとり小動物のように粘り続けた姿勢に、恩義を感じていないわけではない。
そして、もうひとつ。私には見過ごせぬ懸念があった。……そう、“取れ高”である。
本日の私は、少々、知的に過ぎた。図書館でのやり取りは有意義だった。……だが、明らかにエンタメ性に乏しかった。
誤解なきよう言っておこう。今回の失策は、パムェトナの責ではない。
彼女は器量のある女性だった。私のボケにも、ちょいちょい反応してくれた。会話の流れや雰囲気を崩さない、ウィットのあるツッコミを的確に返してくれていた。
ただ――今回は私が悪かった。
仮説の検証と、パムェトナの反応の観察に思考を割きすぎた。そのせいで、せっかく差し込める隙はあったのに、私の手が動かなかった。
彼女からのツッコミに対する追撃も甘く、ボケ→ツッコミ→再ボケの三段構成が、まるで成立していなかった。
これは……いけない。
このまま解決編へと突入すれば、さらに真面目なトーンが続くことは避けられない。事態が動き出せば、私もその収拾に思考を割かれ、更に余裕を失うだろう。
……ボケのチャンスを取りこぼす可能性も高くなる。そう、ここで取り戻しておかねば均衡が崩れるのだ。
私は、静かにエモシュカの方を向いた。
――彼女は、不憫枠キャラである。
イジり倒してもよし。泳がせて失策を誘ってもよし。こちらがボケに振り切って、オチをすべて押し付けてもよし。そのすべてが成立する、実に取れ高のある存在なのだ。
そう、私は思惑を胸に、彼女との同行を決めたのだった……。
――第71景へ……




