第69景:『問題提起編:完成を拒む、唯一の存在』
「……話を戻そう。私はこの街の“誕生”を望んでいる。自らの帰還のためにね」
私は静かに口を開いたまま、パムェトナの反応を待つ。彼女は何も言わず、静かに席に戻った。
「そしてキミたちは、この街の"完成"を願っているはずだ」
「……もちろん」
淡々とした返事。だがその奥に、ほんのわずか、ためらいが滲んでいた。
私は視線を窓辺から戻し、改めて彼女に向き直る。
「ならば、我々の利害は一致している。完成間近の街で、なぜここに来て拡張が止まったのか。その解明と解決においては協力すべきだ。私の仮説が、正しいか見当はずれなのかに関わらずな」
パムェトナは視線を真っ直ぐ私に向ける。まだそこには、全面的な確信はない。
「……それに対する、アナタの見解は? 仮説はあるんでしょう?」
「むろんだとも。……仮説の提示を続けても?」
パムェトナは無言で手のひらをこちらに向け、続きを促す。私は一度だけ深く息を吸い、ことばを選ぶように、静かに告げる。
「この世界には、街の完成を、"唯一拒んでいる者"がいる」
パムェトナがわずかに目を細める。
「……拒む者……それが、さっきアナタが言っていた、"この街自身"だと?」
私はゆっくりと頷いた。
「その通り、この街自身が完成を拒んでいる」
パムェトナは眉をひそめ、困惑の色を少し強めた。
「それはおかしいわ……。ここまでのアナタの仮説と矛盾してる」
「そう、最初に“この街”を生み出したのは、あの子の願いだった。“生きたい”という、かすかな本能。自分という存在を形にしたいという、無垢な希求」
私は静かに言い切った。
「だが今や、この街…そしてその意思たるあの子は、“ここにいたい”と思っている。“このままの形で、永遠に”と思っている」
「……完成を……誕生を望んでいたのに、そうでは無くなった。それは何故?」
パムェトナは静かにそう問うた。本の背をなぞる指先は止まったまま、視線だけがこちらを捉えている。
私は応える。
「……端的に言えば、怖気付いたのさ」
書架の向こう、誰かが棚を引き出し、すぐに押し戻す音。規則的な日常の中に、わずかな乱れが混じる。
「赤子だった少女は、成長した。成長に伴い思考は複雑化する。自分を取り巻く世界、そして自分自身について理解しようと試みる」
私は天井を仰ぎ、小さく息をつく。
「そうなれば、ある問いに巡り合うことになる」
パムェトナはゆっくりと椅子の背にもたれ、目を細める。そして、まるで既にページを開いていたかのように、答えを口にした。
「……“自分は、何のために生きるのか”」
その声は静かで、読み慣れた詩句をなぞるような調子だった。私は書架の縁に手を置き、指先でリズムを打った。
「私の知る限り、その問いを持つ生物は、人類だけだ。……それが幸福かどうかは別問題だがね」
ふっと笑ってみせるが、彼女の表情は変わらなかった。
「キミや街の住人たちは……街が完成すれば役目を終えて消える……それはおそらく正しい。だがそれでも、それは完全消滅ではない。あの子の構成要素として内包される。……個々の記憶や人格が、どの程度残るかは不明だがね」
「……確かに…アナタの仮説が正しければ、そうね」
パムェトナは眼鏡のブリッジに指を当てた。
「“溶けて混ざる”ことを、消滅とみなすか、昇華とみなすか。それは主観によるがね。夢想家なら後者を選ぶだろうが、哲学者なら前者を恐れる」
彼女の視線はずっとこちらを向いたままだ。
「でも……じゃあ、この街は永遠に完成しない……」
「そう、あの子はそう望んでいる」
私は肩をすくめた。
「外の世界は、少女にとって“未知の世界”だ。何が待っているのか、誰が迎えてくれるのかさえ……」
そこで私は言葉を切った。視線の先、パムェトナが僅かに身じろぎする。
「……見たことも触れたこともない世界。どんな相手が待っているかも、好意的かどうかもわからない」
彼女は蔵書の端を指先でなぞると、わずかに口を開いた。
「……それを"恐れるな"というほうが酷というものだわ」
私は小さく頷いた。図書館の奥から、誰かが書架を動かすような音が聞こえたが、耳の隅に留めたまま、話を続ける。
「この街で、あの子は幸せそうだった。住人たちはみな、彼女に優しかった。そしてなにより、彼女自身がこの街と住人たちを愛している」
パムェトナはほんの一瞬、息を止めたようだった。そしてゆっくりと頷き、言った。
「……わたしたちは、彼女の気配を常に感じているわ。彼女と会ったことのない人でさえ……ね。それは奇妙なくらい心地よい。まるで、物語の主人公に懐かしさを覚えるように」
彼女の声は静かだったが、その手元の動き……ページを閉じず、軽く触れるだけの指先には、確かな温もりがあった。
「だが、そうも言っていられない。問題は“いつ”か。最後に残った……Whenだよ」
パムェトナは、再び無言で続きをうながす。
「……おそらく、この街の“誕生”はもう間もなくだ」
私は静かにそう告げ、ポータルを見下ろす指先で、ほんの少し線をなぞった。
「さきほど説明したように、私のポータルは外の世界の座標を検知している。だか、その座標が徐々に明瞭になってきている……」
ポータルを爪で弾きながら、少し声を落とす。
「初めは誤差かもしれないと思っていた。だが、つい先ほど改めて確認して、確信した。数値が定まらず、朧げにしか把握できなかった"外の世界"の輪郭が、以前よりはっきりしている」
パムェトナは眼鏡の奥の瞳を少し細めた。
「……つまり、あの子が望むにつれ望まぬにつれ……もうすぐ外と繋がってしまう」
「その通り。そもそもはじめは、この街は完全に独立した宇宙だった。だがある時、突如として我々の世界の座標系と繋がった。
そして、その繋がりはどんどん強くなり、私たちの世界に向かって“開いて”いる。……まるで、陣痛のようにね」
「……陣痛?」
彼女の首がわずかに傾いた。
「胎児が生まれる直前、胎内で起きる反応のことだ。母体の子宮頸部が徐々に拡大し、展退する。胎児が外に出る為の、準備段階だよ」
私はトンと本棚を軽く叩いた。
「それは、胎児や母体の意思とは無関係に起こる。………つまり、少女の意志では止められない。“出産”はもう始まっている」
パムェトナは口元に手を添えたまま、ほんの少しだけ肩をすくめた。
「……でも、彼女は完成を拒んでいる」
「そう。“今のままでいたい”と願っている。だから、これ以上の成長を拒んでいる」
私は少し間をおいて、口調を下げる。
「……だが、それは許されない。完成を拒んだまま、誕生だけが先行すればどうなるか」
パムェトナは、静かに首を振った。
「……未完成のまま、産まれてしまう」
私は小さく頷いた。
「不完全な精霊構造が、外界に露出すれば……やがて耐えきれず、崩壊する」
書架の影から、風が一つ吹き抜けた気がした。
「……それの意味することは…」
パムェトナが口にした言葉に対して、私はまっすぐに言い切る。
「そう、この街も共に消える。少女も、住人も、キミも。統合されて残るのですらない、完全なる消滅だよ」
彼女の視線が、一瞬だけ揺れた。それは、どこか遠くの誰かを思うような眼差しだった。
「……それは、“彼女の望んだ街の姿”だけじゃない。その後に継続するはずだった“彼女自身”が、消えるということ」
パムェトナのその言葉に、私は短く息を吸い静かに応じた。
「そうだ。キミたちが積み重ねてきた日々も、感情も、努力も……この世界で存在してきた痕跡すら、何一つ残らない」
――それは、虚無だ。すべてが失われるという皮肉な構造。
パムェトナは目を伏せる。しばし沈黙ののち、小さく、言葉を吐き出した。
「……存在の意味を、失ってしまう。証が残らない。私たちの想いや営みすら……」
私は静かに頷いた。
「……さて、パムェトナ女史。謎解き編と問題提起編は、ここまでだ」
「次に待つのは、“解決編”ではない。――“救命編”だよ」
――第70景へ……




