第65景:『答え合わせ編:書かれた街』
「では、本題だ。話を続けても?」
私は椅子に背を預け、パムェトナの反応を観察する構えを取った。司書は手元の分類票に目を落としたまま、小さくうなずく。
「言ったはずよ。ただ聞くだけ。返答するかは、私の裁量」
「それで構わない、と私もさっき答えたつもりだったがね」
私は呼吸を整え、順に語り出した。
「さて、まず一つ目の仮説は"法"についてだ」
そして、わざと少し言葉を溜める。
「この街にもきちんとした“法律”と“制度”が存在している。少し調べただけだが、街は明文化された規律で動いている」
「当然よ。秩序とは、法によって保たれるものよ」
「しかし、その“法”は誰がどの様に決めたのかね?」
彼女は指先を止めた。わずかに目線が上がる。
「たとえば、ギルド登録制度、納税区分、建築物の使用許可、労働記録の提出……」
私は続けた。
「この街の人口と規模で、あれほど精緻な制度が作られたとは考えにくい。まして、それをエモツェたちが設計したとは思えない」
「……理由は?」
「簡単な話だ。不要な条文が多すぎる。生産調整を前提とした取り決め。貿易に関連する条文もあったな。ある程度は精査して公布してるだろうが、添削漏れだ」
「それは論拠としては薄いわ」
私は、その言葉には応じない。
「では、仮に制度が“現れた”ものだとすれば出どころはどこだ?」
私は視線を巡らせ、書架の天井へと向ける。
「……答えは、ここだ。この図書館にある“本”だ」
「……」
「おそらく、法典や制度設計書のような形で、最初から完成形の文書が現れた。そして、それは住人には秘匿される。当然だ、"出自不明の文書"が法や制度を決めるなら、改竄は容易い。この街にも詐欺師は居たからな」
「……根拠は?」
「では逆に聞こう。この図書館の所蔵数は、いま何冊だ?」
「昨日の更新時点で……37万2千と24冊」
「それだけの本を、街の住民だけで生産できると思うかね? 街は広く、人口密度も高い。だが、多く見積もっても百万人規模だろう」
パムェトナは口を閉じた。だが、否定はしない。私は続ける。
「この街には出版社がないどころか、ジャーナリズムの影もない。というか、これらの単語すらキミは聞いたことないのではないかね? 本来、これらなくして情報の生産と流通は不可能だ」
「……そうね、聞き覚えのない言葉よ。そして、この街には情報を流通させる概念はないわ。必要な人が必要な時に、図書館で複写する」
「ならばなおさら、個人が記す記録だけで、この規模の蔵書は成立しない。ここにある情報は、"この街の誰かが記したもの以外"が大量に混ざっているはずだ。違うかね?」
パムェトナは再び黙る。
「さて、次の仮説だ。今度は文明と科学について」
私は指を一つ立て、机越しに向かい合うパムェトナを見下ろす。彼女は山積みの資料をめくる手を止めず、ちらりと視線だけこちらへ寄越した。
「この街に……宗教がないことに、キミは気づいているか?」
彼女の手が一瞬だけ止まり、細く目を細めた。
「………それも、知らない言葉だわ」
「そう。宗教体系。世界の構造解明への根本的かつ最初のアプローチだよ。人は“なぜ”を知りたがる。それに答える初期解法だ」
パムェトナは書類を揃える手を止め、顔は傾けたまま、知的探究心と猜疑の混ざった視線をこちらに向けた。
「装飾、暦法、慣習、祝祭……あらゆる文化の根底には宗教があるはずだ。自然科学すらも、祈りと禁忌から始まった。だがこの街にはそれが“ない”」
パムェトナは沈黙したまま、視線だけは外さない。
「極めつけは言語体系や単語だ」
私は前へ出て、彼女の机の角に両手をついた。
「キミは、“ヤバい”という言葉の意味は分かるかね?」
「……バカにしてるの?」
少しだけ眉を上げ、パムェトナは今度は応じた。
「もちろん、そんなつもりは無い。これは極めて重要な問いだ」
彼女は、小さくため息をついてから答える。
「“危険”とか、“立場が悪い”って意味。でも、“すごい”って意味で使う人も多いわね」
「そこだよ」
私はパチンと指を鳴らし、机の縁を軽く叩いた。
「それはおかしい。この世界には性風俗という産業はなかった。買売春自体も無いのかは知らんがね。"ヤバい"の語源は性風俗から来ている」
パムェトナは目を瞬かせる。
「……セイフウゾク?」
「詳細を説明した際のキミのリアクションに興味はあるが、ここは控えよう。今は検証が優先だ」
立ち上がり、書架の方へ歩を進める。彼女の視線が背中に刺さるのを感じながら、並ぶ背表紙に指先を滑らせた。
「そして"鬼畜と鬼"。これらも宗教のないこの街では誕生のしようがない単語だ」
私は言葉を選ぶように、わずかに目を伏せる。
「多くの言葉には“語源”がある。だがキミは、それを知らない。キミが知らないなら、この街では誰も知らない。つまり、“語源”という概念自体が存在しない」
――そして、いよいよ“これ”を口にする時が来た。
言ってはならないと、どこかで感じていた。だが、この街を解き明かすために、避けては通れない。
「生物が音で意思を伝える現象は珍しくない。だが“言語”は、それらとは明確に違う。それ自体が歴史を持ち、文化と紐付けられている。一文字、一語に至るまで、そこには由来と変遷があるはずだ」
――そう、これは誰がどう見ても地雷……。異世界界隈において、この話題に正面から突っ込むのは、ただの空気読めない奴だ。
だが私は、空気より論理を重んじるべき科学者だ。そして、禁忌よりテンションを優先するタイプの科学者でもある。
すなわち、禁忌のメタ発言。――“異世界なのに言語が一緒問題”である。
私は決意を固めるため、少し呼吸を溜めた。
「他の文明とたまたま一致する可能性など、ゼロに等しい」
パムェトナを真っすぐに見つめ、キッパリと言い放った。
……そう、基本的に異世界の住人は、説明も前置きもなく日本語で喋る。
“翻訳魔法”が登場すればまだマシ。『うっ……頭の中に……! 何故か唐突にこの世界の言語と知識が流れ込んできたッ!!』みたいな演出が入れば、それはもう優等生である。
しかし、それでも主人公の必殺技を見て『これが最強の雷魔法……文字通り、神が成す咆哮……!!』とか、うっかり言っちゃったりする。
なにが『あんたに"ヒール"なんかもったいないわ。踵蹴りで充分よ!!』だ。おい待て。“Heal”と“Heel”をかけた親父ギャグ、翻訳通ってねーだろそれ。
そして、資料の列から一冊を抜き取りながら、私は続けた。
「この文明は、育まれたものではない。“用意された”ものだ」
書を手に机へ戻り、パムェトナの目を見た。
「この街の住人は、おそらく初等教育程度の知識を初めから持って生まれる。そして、学術的構造や専門知識は、専門書や論文の形で突如として図書館に現れる」
ページを一枚めくったまま、パムェトナはこちらを見つめている。もう、指先は動いていない。
「……だが、キミは宗教や性風俗に関する知識を持たなかった。この街の"知"を司るキミが……だ。つまり、偶然に流れ着いた知識ではない。流入時点で、フィルタリングがなされている」
「……つまりあなたの仮説では、この街の文化も文明も、街の外から意図的に持ち込まれたもの……ということになるわね」
私は振り返り、わずかに笑った。
「ようやく会話になってきたな。そう、この街の仕組みは、複製でできている」
「複製……どこから?誰によって?」
「その仮説は、後ほど話そう」
私は静かに言い、パムェトナの表情をうかがった。だが彼女の瞳は、読めないままだった。
それでいい。私は“確信”を得るために来たのではない。“答え合わせ”の精度を上げに来たのだ。
「……では、次の仮説だ」
私は椅子から立ち上がり、再び書架の前に歩を進めた。手に本は取らない。ただ、背表紙の並びを視界に置くことで、思考の輪郭をなぞる。
「今度は、この街の“始まりの姿”について」
背後から返答はない。だがパムェトナの沈黙には、さきほどまでとは異なる密度があった。
「先ほど、キミは“この街に住んで十五年、図書館に勤めて十二年”と言ったな?」
私はゆっくりと振り返る。
「それは、おかしい」
パムェトナは分類票を重ね直していた。細い指が、一枚一枚を几帳面に揃えていく。だが、手元を見てはいない。
「この街の住人は、“役割”に応じて施設とともに現れる。職業選択の自由は、基本的にはない。なら司書は、この図書館とセットのはずだ」
唇が、わずかに動いたように見えた。だが、声は発されない。
「そして、この街の始まりは時計塔とその周辺。街全体の人口をまかなえるはずもない。いたのは、ごく少数の“始まりの住人”だけだったはずだ」
私は机に戻り、ページの閉じられた書物にそっと指を添える。その重みを手のひらで受けながら、言葉を重ねた。
「……ラスカヴァは"駅とともに駅員が現れた"と語った。だが、自分自身については言及しなかった。そして、ルースカは、この街の最初の姿を知っていた……」
「故に、その始まりの住人こそがキミたち。……すなわち、エモツェだ。……違うかね?」
パムェトナは、無言のまま眼鏡の位置を正す。
「そして、もうひとり。スルドツェに住む少女も、最初からそこにいたはずだ。……だが、いまの姿ではない。おそらくは新生児、あるいは乳幼児の姿で。ルースカが、あの子に気づかなかったのは、そのためだよ」
彼女のまつげがわずかに伏せられる。
「この街には、子供がいない。あの子を除いてはな。ならば、"子育て"もないはずだ。だが……スヴェルカは言った。“あの子は、街のみんなで育ててる”と」
私は少し間を置き、言葉の輪郭を柔らかく整える。
「“世話してる”ではなく、“育ててる”と」
天井近くにある大時計の軸が、わずかに鳴る。その音が、室内の静寂に深く沈んだ。
「この街で、あの子だけが"成長する存在”。それは他の誰にもない、時間の経過だ」
私は一歩だけ前へ出る。
「つまり、仮説はこうだ。この街は3つの存在から始まった。1つはスルドツェ。もう1つ、キミたち“エモツェ”。そして最後の1つ、時計塔に置かれた赤ん坊」
パムェトナの睫毛がふるりと震える。口を開きかけたが、そのまま閉じた。
「……最低限の衣服も一緒にあったかどうかは、あえて言及しないでおこう。キミたちの尊厳のためにね」
私はわずかに口元を歪めて、冗談めかす。パムェトナは無表情のまま、視線だけを向けてきた。
――しばしの沈黙があった。
パムェトナは手元のカード束に視線を戻し、一枚だけを抜き取る。その上を、細い指が静かになぞる。
「……私が黙っていても、どうせ教えるでしょうね。たぶん、エモシュカあたりが」
カードの角がわずかに反る。彼女の声は、淡々としていた。
「だったら……私の口から答えておくわ。私たちの尊厳のためにね」
彼女は顔を上げ、正面からこちらを見据えた。
「……服は着ていたわ。最初からみんな、ね」
言い終えたあと、パムェトナはまた視線を落とした。
――私は、ただ小さく頷いた。
「答え合わせはここまでだ。ここからはキミも知らないであろう、この街の“謎”に関する仮説を語るとしよう」
私は腰を下ろし、ゆっくりと視線をパムェトナに向ける。
「キミは、ただ聞いてくれればいい。相槌をもらえると……なお嬉しい」
パムェトナは、一瞬だけペンを止めて、こちらを見た。
「……なぜ、それを私に話すの?」
私は肩をすくめ、微笑を浮かべた。
「自己検証だよ。考えというものは、言葉にすることで形を得る。黙考だけでは輪郭が曖昧なままだ。そして、独り言では寂しい。……図書館の片隅で、『哲学こそが我が伴侶……』とブツブツ呟いている男がいたら、キミはどう思うね?」
パムェトナはペンを止めずに、ほんのわずかに眉を寄せる。
「……『哲学にも、相手を選ぶ権利があれば良かったのに』…かしらね」
「……ふむ、キミらしい」
そして私は、言葉を選ぶように書架の天井を見上げる。
「それに、この街で“最も多くの記録を読み、最も多くの思考を見守ってきた人物”に対して話すことに、意味がないとは思えない」
パムェトナは目を伏せ、また静かに筆を走らせはじめた。
「……わかった。聞くだけなら」
「それで充分だ」
私は指を組み、背筋を正す。
街の調律者、エモツェですら知らない領域に、足を踏み入れる。
まずは、その準備段階。ここからは、"情報整理フェーズ"である。
――第66景へ……




