第66景:『情報整理編:胎内という構造』
「仮説を語る前に、まずはキミと前提を共有したい」
私は足を組み直し、視線を定めた。
「街で集めた情報、エモツェたちに聞いた話。そこから、ある程度の確信を得た事象がある。私の仮説は、それらを前提条件として組み立てている。
情報の比率としては、エモツェの証言が3割、文献調査が2割。残りの5は、どデカい声で話すおばちゃんたちの井戸端会議だ」
パムェトナは椅子に背を預けたまま、淡く眉を動かした。
「……それ、仮説じゃなくて“口コミレビューのまとめ”になってない?」
「彼女らの洞察力は侮れない。たとえば“あそこのパン屋は3日で潰れるわよ”という予測の精度は、予知能力者にも勝る」
「……学術的に扱うには、“根拠:噂”は心許ないわね」
――うむ、言われてみれば確かにその通りである。
しかし、立ててしまった仮説はどうしようもないから続ける。
学会講演の最中に、自説の矛盾に気づいてシドロモドロ。それは幾度となく見てきた、科学者という生き物の日常風景だ。
「まずは、この街についてだ」
言葉の切れ目で、わずかに彼女の指が止まる。
「この街は、人体を模している。そのことは、キミも気づいているだろう」
私は声を落ち着けながら、続ける。
「フラヴァ区は頭部。知識と判断の中枢。中央のトルハ区は心臓、つまり胸部。他の区画も、配置と機能に類似点がある」
「……そうね。理由まではわからないけど、それは感じていたわ」
パムェトナの声は変わらず低く、だが呼吸がひとつだけ深くなる。
「そして、より正確には“胎児”だ」
その言葉に、パムェトナの眉がわずかに動いた。無意識の反応。だが確かに、反応だ。
「……タイジって?」
私は静かに頷いた。
「そう。我々の世界における"人間の始まり"。まだ生まれる前の、女性の胎内にいる時の姿だ」
ほんの少しだけ天井を仰ぎ、そして、呼吸とともに言葉を整えてから続ける。
「この街の資源は、自動発生する。農業も狩猟採集も、採掘もない。必要な物は必要な時に、ブジホ区……つまり"腹部"に供給される。電気も水道も、どこから来るのか不明。だが……街の内側に満たされている。
……まるで、臍の緒を通じて栄養や酸素を供給されるかのように」
私は背筋をわずかに正し、語調を静かに締めた。
「この街は、外に対しては閉じている。戦争もないし外敵もいない。だが、内部では確実に広がっている。
ただし、従来の都市拡張とは違う。街の外を開墾し、区画を増やすのではない。建築が先に進められ、それを追うように空間が開く。結果として、街全体の面積が拡大する」
少し声を抑え、結論を口にする。
「……これは、胎児が細胞を増やし、成長していくプロセスによく似ている。もしくはパン生地の二次発酵。私はだいたい、あれをうっとり眺めて日が暮れる」
パムェトナはほんの少しだけ顔を上げ、静かに言った。
「次からはパン生地に許可をとりなさいね。……あなたの視線は、存在がセクハラよ」
私はそれに鼻を鳴らしてから続ける。
「潮騒に似た音。胎内音。その響きに包まれた街は、まるで…まだ名もない鼓動。ぬくもりの中で守られ、満たされていく。ただ在るだけで愛され、育まれている世界」
私はそう呟いてから、口角をわずかに持ち上げた。
「詩的な表現だと思うかね?」
「ええ。あなたが語るにはリリカルがすぎるわ」
「だが直感的な比喩は、構造を捉えるのに有効だ。複雑なものほど、理解にはイメージの媒介が要る」
私は一枚の地図を思い描くように、言葉を重ねていく。
「トラムの路線は"大動脈と大静脈"。ターミナルは"大動脈弓"と言ったところか。外に繋がる路線はなく、循環するだけのルート。水路は“リンパ液”あたりかな」
私はそこでひと呼吸置き、パムェトナの表情を探る。手はまだ動かしているが、こちらに興味は向けている気配がある。
「……次に、この街の“住人”。つまりキミたちについてだ」
彼女は、ページを捲る手を少し緩めた。私は、語調を整える。
「この街の住人は、建物や施設、職能や制度など、"この街の構造や役割"に合わせて現れる。誰一人として、街の外から来たものはいない。……私を除外してだがね」
「……そうね」
パムェトナは積み上げた書類の影で頷いた。私は数歩、書架の列をゆっくりと歩きながら続けた。
「そして、キミたちは生存に食事を必要としない。栄養の補給も、排泄も。不可欠なプロセスではない。時計塔が動いてさえいれば、活動ができる」
「……」
パムェトナは何も言わなかったが、それを否定する素振りも見せなかった。
「私はこれを、こう解釈している。住人たちも、"この街の一部”なのだと。まるで、血管を通じて養分や酸素が運ばれる細胞組織。あるいは免疫細胞のように」
言葉に重さが乗る。
「……極端すぎる比喩ね」
パムェトナが淡く返す。
「だが人体に例えた街の構造と、うまく重なるだろう? 比喩を使えば、複雑な因果の考察を省ける。……もっとも、私のは場合には比喩に趣味の話を使った結果、そのまま“趣味トーク”で本題を見失う事も多いがね」
パムェトナは淡々と、手元のカードにペンを走らせながら呟いた。
「……査読コメントに、“主観の暴走により検証不能”と書いておいてあげるわ」
私は、少しだけ肩をすくめてから続けた。
「そして、その存在理由は、キミたちが決めたものではない」
「……どういう意味?」
「キミたちの中にある、本能。この街を“完成させたい”という欲求。キミたちは、その欲求に従って、そう動く」
パムェトナは腕を組み、椅子にもたれかかるように姿勢を変えた。無言で何かを考えている様子だったが、私はそのまま話を続けた。
「……それを不思議に思ったことは?」
「……いいえ。人には生活が必要。生活のためには、職が要る。つまり、街を完成させると言う目的を共有することで、幸福と平和が維持されてるわ」
「それは本質ではない。キミたちは"したいからしている"。それが答えだよ」
それは、外から来た私にとって意味の断絶だった。だが、我々の世界でも多くの哲学者が挑んだ"人はなぜ生きるのか"という命題の模範解答でもある。
「……では、第三の項目に移ろうか」
私は再び息を整える。
「この街の建設が滞っていることは?」
「聞いているわ。工業ギルドの報告で。空間の拡張が止まり、建築が一部停止していると」
私は頷く。
「それを、"この街自身が成長を拒んでいる”と考えると、しっくりこないかね?」
パムェトナの視線が、こちらに向いた。
「……拒む、というのは?」
「例えば、我々が未完成の構造を調査した際、突如としてその区画が収縮した。まるで、成長を拒む理由を我々に知られたくないかのようだろう?」
パムェトナは静かに息を吸ったが、特に表情は変わらない。
「その報告も聞いてるわ。でも……街が意思を持ってるとでも?」
「我々の世界ではよくある"例え話"だ。自然災害や世界の構造を擬人化する。"神"というありふれた概念だよ」
その言葉に、パムェトナは返さなかった。沈黙は、書架の合間に流れる空気と同化し、やがて意味を持つ。
「そして、最後に語るべきは、あの少女だ」
私は、声の調子を抑えたまま、パムェトナの視線を受け止める。
「実体験したのだよ。あの子の容体が良くなるにつれ、街が動き出す様子を。……時計塔も、住人も、街の建設も」
パムェトナの瞳が、わずかに揺れた。否定ではない。それは、何かを“思い出している”目だ。
「そして、キミも含めた街の住人は、意識の深い部分で時計塔の少女と繋がり、意識を感じ取っている。まさに、彼女こそが人々の中心的存在だ」
パムェトナは黙っていた。だが、それは“拒絶”の沈黙ではなかった。その表情には、わずかに戸惑いと……同意に似た気配が宿っていた。
「……そしてここからは、私だけが持つ情報だ」
私は、一歩踏み出す。彼女が引かないことを、確認するために。
「前提として話すが、無理に信じなくてもかまわない。この後の仮説に対する、私自身の思考の起点として、聞くだけ聞いてくれれば良い」
パムェトナの姿勢は変わらない。椅子にもたれたまま、ただ静かに聞いている。
「私は、この街の外から来た。だが、自ら望んだわけではない。そして、偶発ではないと考えている。私は、“役割を果たすために"この街に呼ばれた」
「……それが、あの子を治療することだと?」
「そのように結論づけている。タイミングも経緯も、あの少女と無関係とするには無理がある」
私は白衣の内ポケットから、ポータルを取り出した。
「これは“ポータル”という装置だ。空間構造の輪郭を、おおまかにトレースできる。……精度はさほどではないがね」
パムェトナの視線が、ゆっくりとそれに移った。
「解析結果はこうだ。この街の外側にも、確かに“空間”がある。しかも、その座標系は私たちの世界と一致している」
私はポータルを懐に戻し、もう一度だけ彼女の目を見た。
「つまり、この街は我々の世界の“内側”にある。座標系を共有しつつも、隔離された空間だ」
書架の中に風が吹いたような気がした。どこかでページがめくれた音がしたが、誰のものでもなかった。
私は静かに口を結び、そして宣言した。
「私は、これらの前提をもとに仮説を立てた」
書架の前で、白衣のポケットに手を突っ込み、パムェトナと正対する。
「いまから始まるのは、その再確認。つまりは……“謎解き編”だ」
――第67景へ……




