↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第五旅程『Emoška』
PR
61/86

第61幕:『それでも、幕が開くなら』


 しばらくは、黙ってふたりでベンチに座っていた。


 風は弱く、光源はまだ低い。

 エモシュカはマントに包まりながら、膝に額を乗せ、目を閉じていた。

 仮面のない彼女は、音を立てなかった。呼吸も、身じろぎも、気配すらも控えめ。まるで、"誰にも見つかりたくない"とでもいうふうだ。


 「……あの…先生」


 ようやくその口から、言葉がこぼれた。


 「この街って……みんな、どこかで“役割”を持ってますよね?」


 私は、曖昧に頷いた。この手の問いは、答えを求めていない。ただ、聞いてほしいのだ。


 「インスティナさんは、流通で街を回して……。ラスカヴァさんは、トラムで人を運んで……。ルースカさんは、街を作ってる……」

 

 彼女の声は淡々としていたが、どこか乾いていた。だが、その後の言葉では、ほんの少し呼吸が揺れた。


 「……わたし、劇場……のオーナーですけど。演劇って“街を支える役割”じゃなくて……あの……ただの……“飾り”…なんですよね。なんかこう、ないならないで大丈夫……みたいな」


 そう言って、彼女はマントの端を握りしめた。そして、そのまま小さく笑う。


 「……だから…わたし…。誰かに、"キミの役割は重要だ"……って言って欲しいなって。そんなふうに……思ってて」

 

 朝の風が、マントの裾を揺らした。その動きに合わせるように、彼女の声は少しずつ、解けるように続く。


 「……でも、演技って……"本当の自分を隠す"ってことだから……。それを必要とされたら……それはそれで……“本当のキミ”はいらないって言われてるみたいで……」


 「……ふむ」


 その考えは、人によっては"めんどくさい考え方だ"と感じるだろう。……というか、私も今まさに、"ぶっちゃけこの女めんどくせーな"と思っている。

 だが多かれ少なかれ、人間とはジレンマを抱えて生きている。

 

 「ならば、仮面など外せばいいのではないかね? "本来の自分で劇をこなし、それが必要とされる"。理想的だろう?」


 彼女は、静かに笑った。


 「……それができりゃ、苦労してませんって……」


 仮面は、まだ膝の上にある。まるで自分の顔の一部みたいに、ずっとそこに置かれていた。

 

 「でも昨夜…先生は……素顔のわたしからも、……ちゃんと話、聞いてくれたから……」


 エモシュカは、ふと顔を上げた。その視線は、まだ不安げだったが、それでもまっすぐだった。


 「……なんか、ちょっとだけ、救われました」


 ――私は、しばし黙った。

 返すべき言葉はあるのだろう。しかし、それが整いすぎていると安っぽくなる。これも、ある種のジレンマだ。

 だが、ようやく口を開く。


 「……ふむ、つまりキミは、“社会的承認を必要とする寂しがり屋の演劇クラスタ”だったわけだな」


 「……もうちょっと言い方ってもんがあると思うんですけどぉ!?」


 「だが間違ってはいまい?」


 「……う、まぁ、否定はしないですけど……っ」


 彼女は苦笑したまま、フードの縁をいじる。

 そして、空を見上げた。ゆっくりと明るみを帯びてきている。


 「……そろそろ、始発、来る時間ですね」


 「そうだな」


 エモシュカは、ゆっくりと立ち上がる。マントをひとつ払い、仮面をバッグの中へとしまう。

 昨日のような演出は、もうない。ただ素の彼女が、そのままの姿で、夜明けに向かって立っていた。


 「……じゃあ、行きますね。ありがとうございました、先生」


 私は頷いた。

 彼女は、ゆっくりと歩き出す。足取りは、昨夜よりも軽い。

 だが少し歩いてから、ふと足を止める。そして、少しだけ振り返った。

 

 「……あの、先生」


 声は、そのままの彼女の声。


 「……わたし、他のエモツェの感情って、なんとなく感じ取れるって……言ったじゃないですか」


 「うむ。“エアリプ感知型センサー”だったな」


 「いや、その言い方はアレなんですけど……はい」


 彼女は小さく肩をすくめ、ほんのり照れたあと、すぐ真顔に戻る。


 「……さっき。ラスカヴァさんが、先生のこと……考えてました」

 

 私は、少しだけ眉を上げる。


 「ふむ、どんな考えだね?」


 「……あっ、そこまでは。でも、すごく、こう……“嬉しそう”でした。それで、たぶん……今日も、出勤前に……お見舞いに来ると思います」


 「……ほう」


 「だから、できれば出発する前に、病室で待っててあげてください……」


 風が、彼女のマントをそっとなでた。


 「……あの人、言葉が不器用だから……ちょっとでもタイミング逃すと、ぜんぶ飲み込んじゃうと思うんです」


 エモシュカの声に、わずかな優しさが混じる。

 昨日までは“演者”だった彼女が、今は誰かの感情を代弁する“橋渡し”として、そこに立っているようだった。


 「……ふむ、忠告、感謝する。キミは“仮面の使者”としてはポンコツがすぎるが、“受信機”としては有用だ」


 「そこまで言わなくていいんですけどぉ!?」


 彼女は少しむくれたように肩をすくめ、それでも微笑んだ。


 「……じゃあ、行きますね」


 そう言って、改めて歩き出す。


 「……エモシュカ女史」


 その名を呼ぶと、彼女は一瞬立ち止まった。振り返りはしなかった。


 「思考がループするときは、他者との対話が有効だ。私の考察が必要なら、また来たまえ。仮面は外してな。パッドは……任意で構わん」

 

 「うぅ……その最後だけいらない〜っ!」


 そう言い残して、彼女は手だけ振りながら、駅の方へと歩いていった。

 足音が遠のく。その背中はただ、"誰かのために、ほんの少し役に立ちたい"と思う、ひとりの女の子の背中だった。

 

 ――私はベンチから立ち上がり、ひとつだけ息を吐いた。誰かの役に立ちたいと願う気持ち。この街に生まれ、この街に縛られながら、それでも。

 舞台に立ちたいと願った彼女の姿を、私はどこかで、懐かしく感じていた。


 始発の音が、遠くで響いた気がした。


 

――第62幕……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。