第52景:『病室の午後』
まだ、回復には少しかかるようだ。
とはいえ、衰弱はしていても致命的なダメージはすでに癒えている。おそらく、あと半日程度。適切な栄養と水分さえ得られれば、夕刻には行動できるようになるだろう。
ガチャ。
扉が開いた音。続いて、そっと靴底が床を滑るような足音が近づいてくる。私のために、食事を運んできた看護師だ。指先まで柔らかな白い毛の両手が、配膳台をそっと押し出す。わずかに沈みこむ足取りとともに、温かな香りが届く。
「ありがとう」
彼女はにこりと微笑み、長い耳をふわりと揺らす。声は返さず、小さく一礼すると、白い背が風を孕むようにひらりと扉へ向き直る。
扉が閉まった。私は静かに、食事に手を伸ばした。
この世界では、生きるための食事は必要ない。点滴による栄養補給の設備もない。だが、インスティナの手配で、意識のない間にも栄養と水分が経管補給されていたらしい。
ありがたい……流石に無栄養では、肉体の再生はままならないからな。
だが、改めて咀嚼と嚥下を伴う動作の一つ一つが、いまは妙に実感を伴っている。
「……ふう、美味い……」
思わず、小さく漏れるように声が出た。やや味は薄いが、滋味のあるスープと、柔らかく煮込まれた穀物。食感は頼りないが、喉を通る温かさが、胃の奥にまで染みていくようだ。
そうして、食事を終えてからおよそ1時間――扉の向こうに、再び気配が集まった。
「せ、せんせい!まだ生きてますか?」
「……失礼します」
「患者の回復具合、見に来ただけやからな〜」
「失礼するわよ〜」
「……うるさくて、ごめんなさいね」
順番も秩序もあったものではない。個室とは言え、それほど広いわけでもない病室に、続々と人影がなだれ込んできた。
スヴェルカ、少女、オルローグ。続いて、インスティナとルースカ。その後方から、ラスカヴァがやや離れて入ってきた。
……こうして見ると、なかなか壮観である。
「……ふむ。いわゆる“にぎやかな回復祝い”というやつかね」
私はそう呟いて、ゆっくりと背を伸ばす。そして、最初にルースカへと視線を送った。
「ルースカ女史。どうやら私は、キミの手によって運ばれたと聞いている。この通り、命を繋げてもらった。礼を言わせてくれ。ありがとう」
ルースカは一瞬だけ目をそらし、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「別に……死なれたら後味悪いだけよ。アンタが死ぬと、たぶんコイツらめんどくさくなるし」
私の方を見たまま、肩越しに親指で後ろを刺す。言葉とは裏腹に、その声はどこか柔らかく、そしてどこか……安心しきったような響きがあった。
その様子を見て、インスティナがニヤリと笑う。
「ふぅん? “ワイらがめんどくさい”やなんて言い方、ルースカにしてはやさしすぎるやん?」
「うるさい、黙ってなさい。商売女」
「ビジネスウーマンやって。ちゃんと呼びなや、タダ働きの現場女将」
「そっちこそ、ギルドの裏でこっそりタバコ吹かしてる暇あったら、作業工程の帳簿チェックくらいしなさいよ」
「毎朝してますゥ〜。何ならアンタより早いですゥ〜」
――始まった。
私は苦笑混じりに息を吐き、隣に控えていたスヴェルカに目配せをした。
「……ふっ、にぎやかでよろしい」
「はいっ! まさに、ですねっ!」
スヴェルカが一層うれしそうに頷いた。
少女はといえば――またしても私の白衣の裾を、そっと摘んでいる。
その小さな指先に、私はそっと手を重ねた。
「……さて。せっかく皆がそろっている。この機会に、いくつか情報の整理と共有をさせてほしい」
私はそう言って、小さな銀色の円盤を胸元で軽く振った。
「たとえば、“私がなぜ生き延びたか”。その理由が、見えてきた」
――第53景へ……




