第48景:『画楼の通路』
次の枠には、インスティナと応接机を挟んで向き合う私の姿が映っていた。
長い脚を組み替えながら、書類をパチンと束ねる仕草。広がる巻き毛を揺らしつつ、ソファに体を預けて体重をかける動き。そのどれもが、あからさまな思考誘導の手口である。
こちらに視線を向けずとも、意識は明らかに外していない。むしろ、ああいった興味なさげな素振りのときほど、彼女は私の言葉に全処理能力を割いている。
……だが、そのせいで。ボケとツッコミのリズムが、一向に定着しなかった。
せっかくの関西弁。ギャグ遺産として誇るべき言語資源が、あの空間では完全に持ち腐れであった。
ボケるにもタイミングが掴めず、捻り出してもサラリと受け流される。それが、“商業ギルド代表”という存在との戦いだった。
もはや、あれはボケの通信障害。彼女の思考回路には、“マジメな会話中にボケを飛ばす奴”という概念がインプットされていなかったのだ。
つまり私は、未知のフォーマットとして処理落ちしていたのである。
――次の枠。ラスカヴァと、駅長室で向かい合う私。
机の上には、書類の山。どこからどこまでが必要書類かは、彼女本人も把握していないであろう。事務机の片隅には、縁に砂糖が結晶化したまま乾いたコーヒーカップ。部屋の隅には、「捨てるぞ」という決意と、「やっぱやめとこ」が交差した紙の墓標。
ラスカヴァは制服姿のまま、組んだ膝に肘を乗せ、さらりとした流し目でこちらを見つめてくる。
その眼差しは、静かで美しい。そして、流れる桃色の髪の先端が、ポテチの袋を掠めた。
シュールである。
……で、視線を少し横に向けると、1人掛けのソファで、書類の山に挟まれ、小さくなっているスヴェルカがいた。A4用紙に囲まれており、動けば物理的に雪崩が起きそうな状況にあった。
私は思わず、「がんばれ、スヴェルカ」と呟きたくなった。だが、思っただけに留めた。
この部屋に満ちた“機能的カオス”は、もしかすると、この街の鉄道ネットワークにも通じているのかもしれない。
――よろしい、ここまでは問題ない。
しかしここで、ひとつの事実に気づく。どうやらこの走馬燈、時系列を逆に遡っているようだ。
……となれば、次に映し出されるのは当然。この街に来る以前。私がさまざまな方法で生み出した、美しき異形の娘たち。彼女たちの『パパ』として過ごした、愛すべき日々である。
――続く枠。私は、空中に浮かんだ映像の前でうずくまり、羞恥に沈んでいた。
その真正面に、いつものニコニコ顔の我が娘、"マハ"が立っていた。魂の芯を握り潰す、あの“悪意なき笑顔”。
私が『それはちょっと……』『いや、その映像はさすがに……』と懇願する間もなく、彼女はノリノリで上映を続けていた。あれこそ、マハによる情操教育である。
罪深い。記憶というものは、再生するたびにダメージが蓄積するのだ。
――次の枠。私は、猫耳娘ノーニャに蹴り飛ばされていた。
フユキくんたちと輪になって歓談する彼女に、『私もそこに!!』と接近を試みた瞬間のことだった。
ノーニャはスクッと立ち上がり、似合わぬミニスカートを堂々と翻し、そのまま私の横腹に、美しい弧を描く回し蹴りを叩き込んだ。
完璧なフォームだった。肋骨と共に、心も折れた。
――さらにその次。私は、美しき蛾の令嬢、金色姫のおっぱいに顔を埋めていた。
あれこそ、エロコメの真髄である。不慮の体勢変化と衝突がもたらす、“予定調和な事故”――。そうなるように、宇宙が設計されていたのだ。
彼女の腰から広がる蛾の翅。そこから弾ける鱗粉のベール。私はその中に包まれながら、来るべき執行を待っていた。
金色姫は私の肩に、そっと手を添え、微笑みのまま鱗粉を弾けさせる。これは、もはや宗教体験である。
――そして次。私は、天井から吊るされていた。手首には鎖。つまりは、ぶら下がり健康法である。
傍らの机に頬杖をつきながら、狐巫女の九重がつまらなそうにこそっぽを向いていた。その指先で、狐火がふよふよと揺れる。
そして、無言のまま。その狐火が、私の背中に……ひゅっ……ジュ。
慈悲も容赦もない、巫女の鍼灸治療である。
……うむ。オール私。
落ちてても吊られてても、燃やされても埋もれてても、やっぱり私。
――尊い。実に、尊い。我が娘たちとの、愛のこもった父娘の交流風景である。
愛と信頼とスキンシップに満ちた、美しき心のコミュニケーション。
どうだ。まるで、祝祭のようではないか。これぞまさに、温かき家族の姿である。
私は静かに、歩を進めた。
――続く額縁。
ぽやぽや植物娘、フィロレーナの柔らかな胸に、優しく抱きしめられる私。慈愛に満ちた彼女の微笑みの下、私の身体は酸欠の苦しさに少しもがいたあと、ダラリと力を抜いた。
私の背を、長くしなる尾で打ち据えているマーメイド。アクウェリーナ。焚き火の橙色に下から照らされた肢体が、実に艶めかしく浮かび上がる。しっぽがヒンヤリ冷たいのが、地味にイヤである。
蜘蛛娘ヴェルミアの糸に巻かれている私。愛らしき蜘蛛娘の愛の抱擁に巻かれすぎ、目は白目。唇の端から白い泡が流れる。
ゾンビっ娘ロメラ。振り上げた長くしなやかな脚。その先の黒く艶のある鋲付きブーツが、見事な軌道で私の腹部にめり込む。綺麗なフォーム。鋭い踏み込み。非の打ち所がない。
――やはり、オール私である。そして、オール尊い。
父と娘の絆とは、かくも多彩で、かくも暴力的。そして、情熱的なのである。全身の骨が悲鳴を上げても、私は告げよう。
「……尊い」
美しくも、楽しく、尊い日々――父娘の交流が、淡く再生されていた。
――だが。そこで、枠の中の光が、急に沈んだ。
次の映像は――鳥籠だった。
寂しい中庭の中心で吊られた、小さな鉄格子。中には、翡翠色の翼と、それに重なるように眠る少女の姿がある。羽は閉じられ、目も開かない。まるで最初から、そこに閉じ込められるために造られたかのように収まっていた。
そして――その外側。その鳥籠を、ただ黙って見下ろす私がいた。表情はない。感情もない。ただの、冷たい観察者だった。
――これは、私が“パパ”を名乗る以前の記憶。私が、まだラスボスだった頃だ。
さらに枠が切り替わる。
――実験台の上で、逆さに置かれたヴェルミアが脚をばたつかせていた。
あの身体は、まだ完全に安定していなかった。私は、器官の配置と反応速度を確認するように、切り開かれた腹の中で、その臓腑の分解と再配置を繰り返していた。
――次の映像では、アクウェリーナが静かな湖に座り込んでいた。
声も、音も、何もない。ただ、しんとした水面に、尾だけが揺れている。そして、その後ろ姿を残し、私は一人で湖岸を離れていく。何の言葉も、なかった。
――次の枠では、水槽。透明な培養液の中に、ひとつの死体が浮かんでいる。
皮膚が剥がれ、目も口も未形成。それを私は、何の感慨もなくタンクから取り出し、ラボ奥の焼却炉へと向かう。足取りは、ただの搬送作業と同じだ。
――そして、次の光景。重厚な死体安置所の扉が、爆音と共に吹き飛ぶ。煙と粉塵の向こうに現れる、白衣の私。
首と胴が切断されたままの少女の死体が寝台に置かれている。それをヒョイと抱えて、立ち去る。それはまるで、小麦袋でも扱うような手つきだった。
その目は、やはり冷たい。
――そして、通路の最奥。最後の枠。正面に置かれた、まるで大規模絵画のような枠の前で、私は静かに立ち止まった。
――赤い。視界の端が、にじむほどに。
誰かの手が、肩を押さえていた。
村の大人たちの腕。縄の匂い。湿った土。夜のざらついた風が、肺に刺さる。
「やめろッ、離せッ!!」
叫びは風に呑まれる。喉が裂けても、誰も振り返らなかった。
「……まって!!姉さん!! 嫌だよ!! お願い!!……まって…僕を置いて行かないでぇ!!!」
血を滲ませた唇を噛み、私はただ――泣き叫びながら、あの人の背を見ていた。
――我が姉。かつて、世界でいちばんやさしかった人。泣くと、私の代わりに怒ってくれた人。
その姉が、いま、生贄として神殿へと連れ去られていく。
“選ばれた”のではない。“差し出された”のだ。
光の帯に包まれるように、姉は振り返らなかった。代わりに、私が叫んだ。声が届く限り、名を呼んだ。
――あのとき、世界は沈黙した。
人間がどれほど恐怖と理屈を混同するかを、私は理解した。
そして決めたのだ。理屈を超えて、この理不尽を終わらせる方法を探す、と。……それが、私の始まりだった。
肉体を失い、自我を忘れ、構造として漂うことになってもなお、彼女の声を聞こうとしている。
そう、私の罪も、救いも。すべては、ここから始まったのだ。
――第49景へ……




