第41景:『問いと、歪みのはじまり』
「風力ポンプとして建てられる……はずの施設よ。でも、いまだに完成してないの」
外には、建設用仮設足場も残っている。だが、工具や資材などは見当たらない。"残している"と言うよりは"解体してない"が、より正しい表現だろう。
「ルースカ女史、これは"これ以上作れない"というより、単に"作りかけ"と言うように見えるが」
「てっぺんに登ってみたらわかるよ。行ってみな」
その言葉に促され、私は少女を彼女に預けてから、無言で階段を上がる。最上段まで登りきり、周囲の街を見渡した。
……やはり、この辺りも同じだ。いや、風車塔から見渡した場所よりさらに酷い。
陸橋は、これ以上伸ばせば明らかに建築物にぶつかってしまう。玄関は三方を建物に囲まれており、街路に出る術がない。建物の外壁からは、唐突に階段が突き出している。
私は、視線を巡らせながら、ふと腕を持ち上げた。空に向かって、右手を伸ばしてみる。
――けれど。指先が、途中で止まった。
「……なんだと?」
頭上には、何もない。空が広がるだけ。だというのに、私の腕は、ある地点から先へ進まなかった。押し返されるわけでもない。ぶつかるわけでもない。――ただ、“止まった”。
ただ、神経がふっと消えたように、意志が先へ届かない。まるで、その先には"意味がない"と告げられたかのように……。
私は、しばらく手をそのままにして、ゆっくりと肩を下ろした。
「……まるで、オープンワールドのフィールド端だな」
境界線が可視化されているわけではない。それでも、ここから先はないと身体が理解してしまう感覚。
私は再び、街へと視線を巡らせる。
「誰も止めてない。でも、進まない。街が止まりたいから、止まった……か」
足場を下りながら、私は都市全体に漂う静けさを意識した。地上に戻ると、ルースカが腕を組んで待っていた。
「ね? アタシが言った意味、わかった?」
「……この街は、これ以上大きくなるのを拒んでいる。横にも縦にも……だ。この街の営みが終わるのが嫌なのか、住人が消えてしまうことを憂いているのか。……あるいは、完成してしまうことで“生まれ落ちる”ことを恐れているのか……」
そのとき、少女がそっと袖を掴んだ。
「せんせい……。ここにいると、なんか……怖いの」
少女は、そう言いながら少し俯いた。
「……ううん、違う。こわいっていうより……」
言葉を探すように唇が動き、それでも出てこなくて。しばらくして、かすれるように続けた。
「……不安なの」
私はその手を包み込むように握り返した。
「キミがそう感じたのなら、きっとそれは大切な“この街の気配”なんだろう」
私はそう告げ、もう一度塔を見上げる。――この街は、完成……いや、"誕生"を望んでいない。ならば、私は"その理由"を探らねばならない。
しばしの静寂ののち。
「……せんせい。
先生って、この街を調べて、“元の世界に戻る方法”を探してるんだよね?」
少女の声は、風よりも静かだった。私の思考は、完全に途切れた。――たった一言。それだけで……。
返答しようと口を開きかけたが、音にならないまま、喉の奥で詰まった。
「……そしたら、せんせいは……」
少女が顔を上げた。その視線に、いつもの無垢な透明感はなかった。
袖を握る手。小さな指が、さっきよりもずっと強く白衣を掴んでいる。感情というものが、物理的に表出する。まさにその感覚。
「……あたしを、おいて……帰っちゃうの?」
私は言葉を探した。……が、見つからなかった。私の中に、答えが存在するのだとしたら、それはどこかに隠れていて、まだ見えていない。
彼女は、泣かなかった。泣く代わりに、笑おうとした。けれど、その笑みは頬の途中でほどけた。瞬きを我慢するように、瞳がかすかに光っていた。
……他人の気持ちを察することが得意とは言えない私だが、その意味くらいはわかる。
私はそっと手を伸ばす。肩に触れた瞬間、彼女は何も言わず、すっと胸元に身を預けてきた。拒むでも逃げるでもなく――ただ、そこにあるべき形のように。
そのぬくもりは軽くてやわらかく、そして、どうしようもなく重かった。白衣の裾を掴む小さな手は離れず、わずかに震えていた。眉は下がりながらも、口元だけが笑おうとしていた。
その歪みが、なにより痛かった。
「……そのときが来たら、ちゃんと君に、聞くよ」
それは、どうしようもなくあいまいな答えだった。だが、私の口から出せる限界だった。
少女は、胸の中でひとつ頷いた。呼吸が合う。私と彼女の、心臓の音が重なる。ただ、それだけのことが、痛かった。
――私は、科学と論理を重んじる科学者だ。だが、この瞬間において論理など何ひとつ役に立たない。
だから、空を見上げた。陽は相変わらず柔らい、塔の構造にも影はさしていない。どこからくるのか曖昧な光が、街を包んでいる。
帰還手段は見つける。それは変わらない。――だが見つけたとして、その先は?
心のどこかに小さく芽生えていたその思考を、いま、強く意識していた。
――第42景へ……




