第38景:『未完成のままでいたい街』
「単刀直入に言おう」
私はカップをそっとテーブルへ戻した。
「私は、この街の“外”から来た。元の場所に戻る手段を探している」
ルースカは、驚きもせず、ただ片眉を上げただけだった。
「そのために、私は街の構造を探っている。この街の成り立ちと、完成が何を意味するのかを知りたい」
少女が紙パックを置き、小さく頷いた。私の言葉を、否定も疑問もせず、そのまま受け取る姿は、どこかもう“当たり前のこと”のようだった。
「ふうん……」
ルースカは、少し考えるように頬を指で撫でた。
「つまり、構造の解明ってことね。……あー、インスティナあたりが言いそう」
「彼女は、時計塔と少女を中心とした"街の構造”に違和感を持っていた。ラスカヴァは、“街の外”に興味があると、そう言っていた」
私は背を伸ばし、ソファにもたれた。
「だから聞きたい。この街の違和感に、君自身は答えを探したことがあるかね?」
コーヒーの香りが、また一度、部屋の空気を巻き込む。少女は私の横で、小さな音を立ててストローを吸い、くい、と首をかしげた。
ルースカは、カップを手の中でくるりと回し、静かに呟いた。
「……うん。考えたことはあるよ」
――この街は、“胎児”の構造を模している。潮騒のように響く音は、羊水の中で流れる血の音だ。街路は神経。トラムは循環器。時計塔は心臓。あらゆる機構が、ひとつの生命のために動いている。
だとすれば探るべきは二つ。“この胎児を孕んだ母は、誰か?”
――そして……“この街が産まれたら、何になるのか?”だ。
この街の"完成"が、胎児の"完成"を意味するのなら、その次は"消滅"ではない。"生誕"だ。
産声が上がったその瞬間、私はどこにいるのか。この街の中心たる"少女"は、どうなるのか。そして、彼女たちは、まだここにいるのか。
静かに目を伏せ、私は問いを戻した。
「君はこの街が完成したら、どうなると考えている?」
カチリ、とルースカがカップを置いた音が、答えだった。
「……消えるよ。アタシたち」
少女が、わずかに身を強張らせる。
「なんとなく、じゃない。この街の作りも、仕組みも、そうなってる。完成が目的で、完成したら、終わり。その後の事は、設計も計画もされてない」
「……怖くはないのか?」
私の問いに、ルースカはほんの一瞬、目を伏せた。だがすぐに、顔を上げる。
「怖くない、って言ったら嘘になる。でも……アタシだけじゃない。うちの工業ギルドで働いてる子たちは、ほとんどがそれを理解してる。でも、“それでもやる”って決めてる」
「なぜだ」
ルースカは、小さく笑った。
「そうね」
少女が、そっと手を止める。クッキーのかけらが、皿の上にこぼれたまま、動かない。
「アタシたちは、この街を完成させたい。それがきっと、アタシたちの存在意義なんだよ。街の設計がそう言ってる。アタシの身体は、そう動いてる」
言葉の温度が、不思議に優しかった。強くもなく、悲しくもなく。まるでそれが、ごく自然な“帰結”であるかのように。
「ラスカヴァ女史も同じことを言っていた。街の人々は、街の完成と共に消える。――この街では、それが"生きる意味"だと」
「へぇ、ちょっと意外。この街が完成した"後"のことなんて、街を作ってる側の人間しか、考えてないと思ってた」
そこで、ルースカがふと笑みを消した。少しだけ目を細めて、ほんのわずかに声が揺れる。
「でも……この街はたぶん、“完成したくない”って思ってる」
私は、動きを止めた。
「全体としては進んでる。工事も、街路の整備も、各ギルドの役割も。でも、何かがいつも、ほんの少しだけ足りない。ほんの少しだけ、進まない」
ルースカは、両手を見た。油と傷で汚れた、小さな手。だが、その指先には、確かに“今ここにある命”の手触りがあった。
「……そうだね」
ルースカが、ひとつ息を吐いた。
「見せたげるよ」
視線を向けると、彼女はもう動き出していた。立ち上がりざま、腰のポケットに親指をかけ、軽く体を起こす。動きそのものは軽やかなのに、どこか現場の鉄の匂いを連れてくる。
「アタシがそう思ってる根拠。言葉で説明するより、見た方が早い」
「どこへ行く?」
「風車塔。水路を上段に繋げるために建設中のやつ。まだ縛ってあって動いてないけど……上からなら、街がよく見える。ちょっと歩くけど、大丈夫?」
私は、地図の記憶と照らし合わせて頷いた。確かに、そこなら……。
「……“街の伸びていく先”を?」
「そう。アタシが、この街は“完成したくない”って言った意味。そこからなら、たぶん伝わる」
彼女は壁のロッカーを開けると、来客用のヘルメットを二つ取り出した。
「はい、ちゃんと被って。現場に出るなら、それが最低限のルール」
「心得ている。……娘にも?」
ルースカは少女に目を向け、少し困ったように笑う。
「うん……たぶんブカブカだね。中にタオル詰めよう。予備、あるから」
そう言って扉に向かう足取りは軽い。鉄製の床に鳴る音も、まるでリズムのようだった。広い背ではない。けれどその後ろ姿が、不思議と“大きな空気”を連れている。
私は隣の少女の方へ身を寄せ、低く問いかけた。
「……行けるか?」
少女は少しだけ目を瞬かせ、それから、私の袖をつまむようにして頷いた。
「先生となら、だいじょうぶ」
その声は、まるで安全装置のように私の神経を包み込む。私はそっと彼女の手を取り、ヘルメットにタオルを詰めながら小さく呟いた。
「では、見に行こう。この街が“誕生を拒む理由”を――」
まだ回らぬ風車の、そのてっぺんへ。私たちはこれから、風の止まった未来を見に行く。
――第39景へ……




