第37景:『設計と感触と、カレーの重さ』
私は、軽く咳払いをして姿勢を正した。
「本題に入る前に、少し話したい。アイスブレイクも兼ねてだ」
――アイスブレイクは重要である。それを怠るのは、婚活初回でいきなり「年収は?親との同居希望あります?」と切り込むのと同義だ。
正直なのは良いが、やるならもっと上品に。「ペットは好き?」で生活力を探り、「旅行は好き?」で経済力のレンジを測り、そして、「年末年始はどう過ごしてる?」で家族構成と距離感を判定すべきだ。――私はそういう人間を、“社交性MRI女子”と呼んでいる。
ルースカが、カップを口元に運んだまま眉を上げる。
「……いまからアイスブレイクしますって宣言する人、初めて見たわ。オッケー、聞くだけ聞く」
「前置きは紳士の嗜みだ。“いまから面白い話します!”と宣言することで、スベっても“努力賞”がもらえる。つまり、心理的社会保障制度である。」
隣でクッキーを齧っていた少女が、そっと顔を上げる。
「それって素敵! 富の再分配で、強制的にみんな善人になれる……優しい監視国家ね!」
「うむ、弱者でも"苦笑い"という、最低限の健康で文化的立場を得ることができる」
ルースカは笑いをこらえつつ、視線を少女へと移した。その横顔は、さっきまでの現場監督とは別人のように柔らかい。
「ルースカ女史。キミはこの少女を知らなかったのかね?」
「ん? あっ、ごめん。有名人だった? そりゃそうよね、主演級の可愛さだもん。ごめん、アタシ演劇とかあんまり見ないのよ」
「そうではない。この子はスルドツェに住む、言わばこの街の“中心”だ。この街の住人は全員、彼女の気配を感じていると聞いた」
少女はクッキーを半分に割りながら、視線を泳がせた。ルースカは少しだけ沈黙し、唇を結ぶ。
「……ああ、そういうことか」
彼女は、ゆっくりカップを置いた。その音が、薄い空気を震わせる。
「これ……あんまり人には言ってないんだけど、いっか。
その子の“意識”っていうの? それ、アタシは感じてない。たぶん、この街でアタシだけ」
空気が、少しだけ重くなった。
「なるほど……つまり、全員が“ひとつの何か”を共有している中で、君だけが“独立した回線”にいるわけだな」
「そ。たぶんアタシ、構造的に“絶縁材”なんだと思う。でも、悪くないよ。声が聞こえてない分、手を動かす音がよく聞こえるから」
その言葉に、少女が顔を上げた。
「……すてき。ちゃんと、自分の音を聴いてるんだね」
ルースカはわずかに頬を緩め、照れ隠しのように髪を耳にかけた。
「褒められると、ちょっとこそばゆいな。――で、本題ってやつ。そろそろ聞かせて」
「ふむ。では一つ、確認を」
私は背もたれに軽く寄りかかり、指先を組む。ここからが、核心である。
「キミは、ラスカヴァ女史から、“この街の外”の話を聞いたことはあるか?」
ルースカの指がぴたりと止まった。
「……“外”ね。そんな話の切り出し方ってことは……」
彼女は、まっすぐこちらを見た。その目に、一瞬だけ火花のような光が走る。
「アンタは、そこから来たとでも言うつもり?」
「察しが良いな」
ルースカは肘を机にのせ、片手で頬杖をついた。
「アンタはオルローグを騙ってた。ってことは、ソレ系の学者かギルドの組員じゃない。そして、まだギルドの一般窓口は開いてない。てことは、アタシがここに来てることを知ってるのは、他にはトラムの運転手と、その上司のラスカヴァだけ」
ルースカはコーヒーカップを置くと、後ろ手にまとめていた髪ゴムを外す。肩までの髪がほどけ、汗に貼りついていた前髪が頬へ流れ落ちた。
「運転手が乗客の情報をベラベラ喋るわけない。なら、アンタはラスカヴァから聞いた。でも、変な思想団体に彼女がアタシのことを話すはずがない。つまり……」
彼女は目を細め、口角をゆるやかに上げる。
「ラスカヴァを口説けるほどの誰か。……ってことは、その“外の世界”ってやつの関係者か、そう言ってラスカヴァを騙してる詐欺師」
「ふむ、筋が通っている。だが、私は口説いてはいない。ただ、彼女と一緒にトラムに乗っただけだ」
「あんたの、その胡散臭さだけで、“異世界人か詐欺師”って判断しても良いけどね」
彼女は肩をすくめて笑い、コーヒーをひと口。私は、静かにカップを置いた。
――詐欺師。
みんなに言われる。かつて、ラスボスだった頃ならまだしも、真面目に改心した後ですら、である。
統計的に見ても、“詐欺師とか言われる率が異常に高いパパ"という新ジャンルの確立である。
私は遠い目をして、窓の外に映るクレーンの腕を眺めた。……あれが吊っているのは、鋼材ではなく、私の社会的信用かもしれない。
「キミは、"ややこしい話は苦手"と言っていたが、“嫌い”であって“不得手”という意味ではない、ということかな?」
「……ん? まあね。アタシ、駅長みたいに上品じゃないけどさ。話に喰らいつける程度には頑張ってるつもり」
「……駅長……?」
私は、カップを持ったまま硬直した。
――駅長? 上品?
数秒の沈黙。私の脳内で、回路が軽くショートする。
――上品な駅長……?
その二文字が、ラスカヴァと結びつくまでに私の脳は驚くほど時間を要した。
“上品な知性派”という属性と、出会って2日の男を夜の部屋に招く"ふしだらな汚部屋女子”という属性が、脳回路で断線していたらしい。
「……ふむ、ラスカヴァ女史のことか」
「ほかに誰がいるのよ」
ルースカが呆れたように笑う。
「ま、詐欺師でもいいけどさ。用件だけは聞いて、あとはこっちで判断するよ」
ルースカは笑いながら、コーヒーカップの縁を指でなぞった。ふむ、彼女はどうやら、理屈で話すタイプらしい。
これは助かる。
かつて哲学者は、他者を説得する三要素として「論理」「情熱」「信頼」を並列に置いた。だが、それは誤りだ。この三つは序列であり、ヒエラルキーだ。
人の決断は、ほとんどが“信頼”でできている。その上に“感情”が層をなし、“論理”はその頂に乗る飾りであり、外側を覆う化粧石にすぎない。
人は信頼だけで動く。根拠がなくても、信用できると感じれば命だって預ける。逆に、信頼がなければ、どんな情熱も空回りする。
論理など、ただの後付けの飾りだ。ほとんどのことに、“あれば尚良い”程度の装飾品。
――だが、ごく稀に序列を逆転させる者がいる。
論理を冷静に見極め、それを礎に信じるか否かを自分で決め、情熱をトリガーとして動く。ルースカは、まさにそのタイプだ。
この街において信拠の一つもない私には、ありがたい存在である。
……なお、元の世界でも、私は何故かいつも信頼を築くのに失敗する。詐欺師とか言われる。情熱もあるのに、それすら信じてもらえない。
ルースカは、そのままコーヒーカップを持ち上げる。
「いいわ、話してみな。外の話ってやつ、聞いてあげるよ」
コーヒーの香りが、静かな部屋に広がる。少女は両手で紙パックを持ったまま、こちらを交互に見ていた。
――どうやら、核心への扉は開いたようだ。私が脳内のぴゅう太も、ここでようやく全力運転である。
――第38景へ……




