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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第四旅程『Růstka』
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35/86

第35景:『火花と羊と、現場の流儀』


 鉄骨の骨組みの中で、火花が散っていた。その中心にしゃがむ影がある。逆光に揺れる溶接面体。ラインに沿って走る火花の先で、鈍く赤く、鉄が融けていた。

 建設途中の施設の屋上――そこに“彼女”はいた。

 現場詰所の作業員に案内され、我々がその姿を認めたのは、その溶接がちょうど終わった瞬間だった。

 遮光面を外した女性が、汗をぬぐう。ショートジャケットの袖をまくった腕には、煤と火傷痕。膝をついた作業ズボンには、飛び散ったスパッタと古いオイルの跡。金属片とオゾンの匂いが、潮騒の気配をかき消していた。


挿絵(By みてみん)


 「ルースカさーん、お客さんっすー! スルドツェの時計守の、オルローグさんって人」


 陽気な声に、彼女の肩がびくりと動いた。


 「おらぁ!作業中って言ってたのに! なんで人入れてんの!? 火の粉かかったらどうすんの!?」


 ――火の粉よりも鋭い怒声。だが、不思議と、不快ではない。

 怒鳴っている声には、爽やかさと快活さを感じさせる響きがあり、作業員を案じる優しさもある。

 少女はぴくりと肩をすくめたが、そのあと――ぽかんと、口を開けたまま、怒鳴った方角をじっと見つめていた。

 そして、ぽそりと呟く。

 

 「この声……ちょっと好きかも」

 

 ……うむ、なんかわかる。


 「ったく……溶接中に近寄んじゃないわよ。アーク光で眼が焼かれたら大変……ん?」

 

 こちらを振り返る。鋭い目元に、横長の瞳孔が覗いた。


 「……アンタ。オルローグじゃないよね? ……代理かなにか?」

 

 声は低く、鋭く。完全に警戒モードだ。


 「彼の代行的何かしら、と言っても差し支えは少しあるか無いか的な者だ」


 私は堂々と嘘をつきながら、白衣の裾を払った。

 ――嘘のコツは、返答に迷わないことと、“真実とのギリギリの境界線”を突くことだ。

 つまり、“真実と嘘の絶妙なハーフアンドハーフ”。父性と詐術は、紙一重なのである。


 「彼と面識があるとは初耳だ。それならば、オルローグ氏に同行を頼んだ方がよかったかね?」


 「いや、時計塔の修理に行ったときに一度顔を見ただけ。向こうは覚えちゃないでしょ。……でもまあ、アンタ。オルローグと知り合いのようだし、いいか」


 だが、警戒の色は緩まない。当然だ、部外者を職場に入れるのだ。現場監督者としては慎重であるべきだ。

 しかし――彼女の視線が、私の右隣に動いた。少女の存在に気づいた途端、その態度が変わる。


 「……は?」


 まばたきひとつぶんの沈黙。次の瞬間、彼女はバチバチだった溶接面を脇に抱え、軽やかに走り寄って前屈みになった。


 「ちょっと!? あなた……誰!?」


 「……あの、せんせいの、むすめの……」

 

 少女は突然の接近に、ちょっとだけ腰を引いた。上目遣いで視線だけ動かし、ぎこちなく笑う。


 

 「……な、なによぉ……なにその仕草……かっわいい……」


 「うわ〜〜〜……何この子……マジ可愛い……。

 え、どうしよ。え? 抱いていい? いや、手だけでもいい?」

 

 彼女は手袋を外しかけたが、はっとして止めた。そのまま、自分の手を見る。


 「……あっぶね。現場の油でベタベタだったわ……いやでも……でもぉ……」


 ――完全に、崩壊していた。


 ここに来て、私は確信した。この街における“父性のバフ”は、想像以上に強力である。


 少女が一歩下がり、私の袖をぎゅっとつかむ。私は、彼女の後ろに立って、軽く一礼した。


 「失礼。娘がちょっと天使すぎるもので」


 「認める。これは天使……。いやむしろ……天災……」


 女は額に手を当て、ぐらつく膝を踏みしめた。……これはもう、全身で“推している”。つい先ほどまでの警戒は、どこかに吹き飛んだ。


 「で?」


 ようやく、私の方へ向き直る。表情は戻っているが、頬がまだゆるい。


 「何の用?」


 ………む……?


 そこで、私はようやく気づいた。私は、用事の内容を……。

 いや、正確には――“どういう切り口で話題を切り出すか”、一切考えていなかった。

 無警戒なままトラムに乗り、娘と手を繋ぎ、駅に降り立ち、現場に来て……


 ……今、ここにいる。


 私の思考は、少女の容態、そして“おてて”に99%を割いていた。残り1%で"今日のお昼はカレー"の方針を固めていた。――完全に盲点だった。


 選択肢はある。

 『オレはこの世界の外からやって来た。アンタに、確かめたいことがある』――それ系のアレだ。

 だが、そこからシームレスな会話は進むまい。……いや、ワンチャンいけるか?

 ここまで、そのテンプレでやってきたのだ。そのまま流れで……。

 しかし…いや、まて。落ち着け。そもそも優先すべきは、話の切り出しではない。


 “おてて”である。


 考えるべきは、どちらに重きを置くべきか。――答えは明白だ。

 

 だが、そろそろ進行も意識すべきだろう。

 私はひとつ息を吐き、鞄を背負い直した。少女の容態と“おてて”に99%を割いている思考のうち、1%をストーリーへ向ける。

 なぜなら、お昼はカレーと決まったのだ。これ以上そこに脳のリソースを割いても、ルーの濃度と具材にしか行きつかない。もはや思考の徒労である。


 自分で言うのもなんだが、我が頭脳は優秀だ。たとえ1%でも、"ぴゅう太"くらいの演算能力を発揮する。

 あの、8bitの伝説的マイコンだ。起動音に感動し、BASICで「おっぱい」と打ち込んだあの感動を少年たちの心に刻んだ、偉大なるマシンである。

 ――我が心のぴゅう太は、今、確かに目を覚ました。


 さて、である。何から話を切り出すべきか。いや、何を話すべきかすら、実はまだ――


 「……なんか、言いにくそうだね」

 

 私は、すっと顔を上げる。ルースカが、こちらを見ていた。


 「ま、いいよ。ちょうど休憩入れるつもりだった。場所、変えよっか。事務所、使っていいよ」

 

 その言葉に、少女がこちらを見上げた。ほんの少しだけ、不安と嬉しさが混じった瞳。私は彼女の視線に、そっと頷いて応えた。

 彼女の手を、もう少しだけ強く握る。


 ――さて。物語進行はグダグダだが、同行者は最高だ。

 ならば、今この瞬間も、旅の一歩である。



――第36景……

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