第34景:『胎動の街で、種を蒔く』
東の未完成区画、駅名標に"ナーレジュ(Nalez)"と書かれた駅で降車し、私は首を傾げた。
――整っている。
建物の陰に隠された奥のほうでは、まだ建設が進んでいるのかもしれない。しかし、駅前の街路はすでに舗装され、建物もほぼ仕上がっていた。ファサードの意匠は統一され、街灯すらも配置に迷いがない。いますぐにでも、入居できそうですらある。もはや、未完成というより、未公開とでも呼ぶべきか。
「ふむ、私はこの街の胎動を見に来たつもりだったが。 この胎児は、もう爪が生えているようだな」
私は白衣の袖を一つ払って、隣の少女へと視線を向けた。
「ここから、どうするの?」
彼女は少し首をかしげ、真っ直ぐな目で私を見つめてくる。その仕草の端々に、“外を歩くこと”が日常になり始めている気配があった。
「まずは、ルースカ氏との接触方法を探る。話ができれば、この街の構造的な“未来”が見えてくるが、いきなり面会とはいくまい。今日は交渉の“種”を蒔ければ、目標は概ね達成だ」
「じゃあ、誰に種付けするの?」
「うむ、非常に無邪気で愛らしい反応であり、単語構造としては無理もない誤用だ。だが、その表現を外で使うと、私の社会的信用は爆散するので控えてくれたまえ」
「爆散できるだけの社会的信用が、まだ残ってるなんて……さすが先生!」
「どこに敬意があるのか分からない褒め方だが、ありがたく受け取っておこう」
「ふふ……じゃあ、今日の先生は播種係さんね!」
少女はそう言って私の手を握った。指先は細く頼りなげだが、あたたかい。
――尊い。非常に尊い。
尊さの分だけ、神経回路が一つずつ破壊されていく音がした。
駅を出て数分。すぐに仮設のプレハブが現れた。外壁には、鉄製のホースと通風口。半開きの扉の前では、赤いヘルメットを被った作業員が二人、肩越しに周囲を何度も振り返りつつ、ネズミに似たヒゲをひくつかせながら、何やら図面を見ていた。
――工業ギルドの現場詰所と見て間違いない。ラスカヴァに確認した情報とも一致する。
私は迷わず中に入り、開いたままの扉をノックする。
「失礼。スルドツェの時計守、オルローグという者だ。ルースカ氏と面会したいのだが」
名乗るやいなや、中の作業員が手元の記録を一瞥し、
分厚い前歯をちらりと覗かせて頷いた。
「あっ、はい! この時間は、親方は他所で作業中の予定になってるんで。ご案内します」
「……………」
私は何も言わずにドアの縁に手をかけ、そして天を仰ぐ。
ふむ、これは……まさかのテンプレ。
異世界に突然現れた男が、酒場で一悶着。偶然居合わせたギルドマスターが『何の騒ぎだ?』からの、『ほう、君は面白い男だ』で執務室直行。
――それ系のあれ。
ここへ来て私は、そのテンプレの中を歩かされている。
「すぐ会えそう!よかったね、先生!」
少女がぱたぱたと小走りになりかけ、私は白衣の裾を押さえながら引き留める。
「だが……充分に警戒せねばならない……」
「でも早く会えたら、先生も助かるでしょう?」
駅から伸びる舗装路の先。未入居の店舗の窓に反射する朝の光の中を、手を繋いで歩く。
「うむ、確かに。目的に最短距離で近づけているという点では極めて幸運だ」
私は胸元で腕を組み、空を見上げるように朗々と語り出した。――それは、テンプレを背負ってしまった者の業である。
「だが、このままテンプレに乗り続ければ、次に言われるのはこうだ。『君をギルドで特別に、はからおう』」
「特別に、はからわれちゃうんだ……!」
彼女は、夢見る乙女の表情で目を輝かせた。
「うむ、そして五つ跳びで“S級冒険者”に任命される」
「うんうん!」
「それはもう、“社長が気に入った”だけで中途採用され、社内教育すっとばして初日から部下五人を抱えたプロマネを任されるようなもの」
「わぁ!転職サイトの15秒CMみたい!」
私は少しだけ拳に力を入れる。
「社内ツールのログインすらまだなのに、“明日の納品、どうなってる?”と聞かれ、Slackでは”イキリたんこぶ"と呼ばれ絵文字付きの陰口が飛び交う」
「存在そのものがスタンプ化されてるなんて、素敵!」
我々のすぐ前を歩く作業員。丸く幅広い尻尾を静かに揺らす背を追って、低層のビルの角を曲がる。
「だが、それを“運命に選ばれし者”として歓喜するのが、テンプレ主人公の務めなのだ……」
数段の段差を飛び越えて、彼女はくるりと振り返った。
「じゃあ、地雷の真上で感涙してるのね!」
「だからこそ、今のこの展開が“仕様”ではなく“バグ”である可能性を、どうしても拭えない」
「側からみたら心臓が縮むけど、本人が気づかず笑顔なら、それって幸せなことだね!」
「うむ、恐るべき詩的肯定力だ!」
案内人に続き、鉄製の階段をのぼり、扉を押し開ける。そこは、正にいま溶接中の建築物の骨組み。そこで一人の女性が、溶接面体を握りしゃがんでいる。
空気が微かに震えている。あれは、気質そのものが持つ圧だ。
作業員が、何の気負いもなく声をかけた。
「ルースカさーん、お客さんっすー! スルドツェの時計守の、オルローグさんって人」
――間。そして、返答が轟く。
「おらぁ!作業中って言ってたのに! なんで人入れてんの!? 火の粉かかったらどうすんの!?」
苛立ちと集中力が混ざったような声。鋭くて、荒々しくて、でもどこかリズムのいい怒声。
私は今回、実にあっさりと……次なるエモツェの元へと辿り着いたのである。
――第四旅程『Růstka』へ……




