第29景:『取引のはじまり』
インスティナに案内された部屋は、銀行の応接室のような趣だった。
黒光りする長椅子。年季の入った壁面装飾。天井には木組みの梁が剥き出しで、古さと格式が同居している。
私は、遠慮なく椅子に腰を下ろした。スヴェルカも、部屋の片隅で“荷物のように”小さくなっていた。
インスティナは書類を抱えたまま、ソファの向かいに座る。脚を組み、眼鏡を外しヒラヒラ振った。
「……ほな聞こか。オルローグくん、やったか。あんた、いったい何者なん?」
――ふむ。この質問の答えは、もう決まり切っている。
「パパだよ」
「帰れ」
ぴしゃりと即答された。――まぁ、これは試運転だ。私は肩をすくめ、真面目なトーンに切り替える。
「この街の外から来た、異界の訪問者。科学者であり魔術師、たまに医者っぽいこともする。そして現在、目下――」
私はスヴェルカが差し出した書類を、机にすっと滑らせた。
「例の詐欺会社の“新任社長”だ」
インスティナは書類をざっと一瞥し、鼻で笑った。
「見事なまでの地雷会社や。帳簿の整合性ゼロ。資産の実体ゼロ。“虚無の中で金が泳いどる”ってやつやな」
「同意する。だが私は、泳ぐ金を追って、この会社の内部構造と資金経路を把握した」
私は懐から、数枚の折り畳まれた紙束を取り出す。そこには、簡易にまとめたフロー図と、ホース・フライが記録したやりとりの書き起こしログ。
「すべて、会社の内部情報だ。それとまあ、有り体に言えば詐欺の証拠だな。音声と視覚のログもある。詐欺実行者の発言と指示、会話の一致記録、送金タイミング、税回避の意図」
インスティナは、書類に目を落としたまま口を開く。
「アンタ……この詐欺会社の身内やないん?」
「むしろ、潰すために“内部から入った”立場だ」
インスティナの視線が、ようやく私に向く。
「ほな、何が欲しいん?」
「対話の場だ。私はこの街について、いくつかの情報と仮説を持っている。それを商業ギルドの情報と照らし合わせたい――。場合によっては、互いに得をする協力関係も、可能だと思っている」
「アンタの仮説なんて、聞く理由ある?」
私はふと笑い、紅茶のカップに手を伸ばす。
「信じなくていい。ただ――数字と行動だけは、裏切らない」
インスティナはしばらく沈黙し、それから立ち上がる。
「ほな……この会社に関するデータ、まるごとギルドに提出して」
「条件がある。全件提出は、取引成立のあとだ。私は“お土産”を見せに来たが、無料で献上する義理はない」
インスティナは一瞬、瞼を伏せて笑った。
「ホンマ、話が早いタイプやな。……せやけど、ワイは“タダでもろた情報”には信用置かんタイプや」
「それは正しい」
視線が交差する。この女、間違いなくやり手だ。
「協力体制の検討は後ほどで構わない。今日の目的地はただ、“あなたと私は利害を共有できる立場にある”と示せるような対話だけだ」
インスティナは椅子に戻り、脚を組み直した。
「そんだけの材料あんねんやったら……アンタ、もう少し派手に動いた方がええんちゃう?」
私はニヤリと笑った。
「では、派手に行こう。名付けて、“パパの出世街道〜詐欺会社から世界再建へ〜”だ」
スヴェルカが背後にで盛大にコケた音がした。インスティナは、苦笑まじりに呟いた。
「……ほんまアホらしいわ。でも、おもろいのは認める」
彼女は、紅茶のカップをくるくると回す。その動きに合わせて、スーツの袖から覗いたブレスレットが、カランと軽い音を立てる。
「……せやけど、あんた――。さっき“街の外から来た”とか言うとったな?」
私は静かに頷いた。
「ふむ、事実だ。もっとも、この街でそれを証明するのは難しいが」
インスティナはカップを置くと、長く後ろに伸ばした巻き毛に背中を押しつけるように、背凭れにぐっと体を預けた。
「ラスカヴァちゃんの“ゆめゆめトーク”なぁ。カワイイなぁ思て聞いとったけど、あれ――。
……もしかして、ホンマやったりする?」
彼女は、私の目を真っすぐに見つめた。その瞳には、“情報”と“利益”を嗅ぎ分ける獣のような鋭さが宿っている。
「物証があるなら、ワイは“勘定に入れるタイプ”や。“儲かる匂い”がしたら特に…な?」
――なるほど、これがインスティナの“秤”。
疑うも信じるもなく、リターンが見込めるならリスクを取る。実に商人らしい姿勢だ。
「で? アンタの本命の話は、どうせその“外”絡みやろ? 外から来たアンタが、ワイからこの街の内情や仕組みを聞き出したい。ちゃうか?」
私は、肩をすくめて応じる。
「ご明察だよ」
インスティナは、満足げににやりと笑った。そして指を組み、ゆっくりと机の上に肘を置いた。
「アンタの欲しいもんはわかった。ほな、こっちからの条件提示、行くで?」
彼女は、机の上に肘をつき、指先を組んだ。スーツの袖口から覗く金のブレスレットが、動くたびにカチャリと鳴る。
「まず、アンタが今持っとる“詐欺会社の内部資料”な。あれをワイがギルドに提出してもええってことは――。
“ワイが信用できる人物である”と、アンタ自身が認めた上での取引ってことになるわな?」
私は頷く。
「なるほど、ギルドの看板を背負って推薦するわけだ。――それが“重い行為”だと理解してるなら、話が早い」
インスティナは、にやりと笑った。
「ほんま話早いな、アンタ。……せやから、情報だけ残して、トンズラとかされたら困るんよ」
スヴェルカがぴくりと反応する。
「さっきから思ってたんですけど、なんで先生ってこう……“信用される要素が皆無”なのに交渉通っちゃうんですか?」
「“不信感の予測コスト”を削減してあげているだけだよ、スヴェルカくん。つまり、“こいつ信用はでけへんけど、利用はできそやな”って思わせれば、それで勝ちだ」
「なんのフォローにもなってませんよ……!」
インスティナが、カランと紅茶のカップを指先で弾いた。
「ほな、本題な。ワイからの条件は三つ」
「ほう。聞こう」
インスティナは、一本一本、指を立てながら並べる。
「一つ目。この街の“外”のこと、知っとることを可能な限り全部、ワイに話すこと。書き起こしでもええし、地図でもなんでもええ。あんたがどこから来たかを、できるだけ“情報資源”として使える形にしてや」
「うむ。それは想定済みだ。口頭でいいなら、今からでも構わない」
「二つ目。例の会社の“後始末”、全部アンタがやること。ギルドで処理が回るようなもんやない。アンタがやったんなら、最後まで面倒見ぃ」
「もちろん。むしろ、私の方からお願いしたいくらいだ。正直、会計が散らかりすぎてて気持ち悪くて眠れん」
インスティナは鼻で笑う。
「三つ目。ギルドへの恩売りは“ワイ個人”に還元すること。例えばやけど――」
彼女はスヴェルカの方に視線をちらりと向けた。
「アンタの使っとるその変な従者、ワイの部下に貸してくれん?」
私は、すかさず身を乗り出した。
「それは承服しかねる」
「なんでや?」
「割に合わないからだ」
「……ほぉ?」
インスティナの眉がわずかに上がる。声のトーンも一段低くなった。私は椅子に深く腰を落とし、指先を組んで続ける。
「キミから得られる情報は、私にとって非常に貴重だ。だがキミにとっては、世間話の延長程度のものだろう」
私が淡々とそう述べると、インスティナは目を細め、ほんのわずか口角を上げた。その笑みには、色気も挑発もない。あるのは、利得の勘定と交渉の愉悦だけだ。
「……悪うないな。交渉を、ちゃんと“損と得”で考えとる……。そういう男は好きやで」
「残念ながら、ガールフレンドは募集していない。だが、キミが私の娘になりたいと言うなら大歓迎だ」
紅茶を啜りながら告げると、インスティナの笑みが止まった。一瞬だけ……本当に一瞬だけ、“なにゆうてんねん、こいつ”という顔になった。そして、静かに。けれど、重く言葉を返してくる。
「……なるほどな。ほな、こっちがもう一個。天秤にコインを乗せたろ」
机に手をつき、体を少し乗り出したその顔に、笑みはない。
「――あんた、オルローグくんやないやろ?」
空気が、一瞬だけ静止した。私は紅茶に手を伸ばし、口元に運びながら答える。
「ほう、オルローグくんと顔見知りだったか」
「そうやない」
インスティナは、淡々と続けた。
「せやけど、ワイは職業柄、人の顔と名前を覚えるのが得意や。住人全員とは言わん。現にそこの子。……スヴェルカくんやったか? キミは初見や。でも、かなりの人数を記憶しとる。で、少なくとも――“オルローグ”いう名の男は、スルドツェの“時計守”しか知らん」
「ふむ。光栄だね。彼も有名人だな」
「せやけどな――アンタの顔は、当然知らん」
インスティナは、眼鏡を指先で軽く押し上げた。
「ワイの知る限り、“オルローグ”と言う名で、そないな態度の男は一人もおらん。そもそも、"街の外から来た"いう人間が身分証もっとるんはおかしい」
紅茶の香りが、ふわりと鼻腔に立ち上る。私は、軽く肩をすくめた。
「……ふむ、少々というか、かなり迂闊だったか」
「せやろな。“名義借り”も立派な犯罪やで?」
インスティナが意地の悪い笑みを浮かべる。
「――で、その身分詐称、見逃したってもええよ?」
「……交渉として?」
「“条件付き”でな」
彼女は、片手をくるりと回し、スヴェルカの方を顎で示した。
「そこのスヴェルカくん。ワイに“ちょっと貸してくれへんか”って、そう言うたはずやろ?」
スヴェルカの尾が、ピンと伸びる。
「え……まさか、それって……」
私は静かに、紅茶のカップを置いた。
「なるほど……“働き”で返せというわけか」
「そ。ワイ、損得でしか動かんからな」
スヴェルカが、おそるおそる私を見上げる。
「……先生……」
私は、静かに言った。
「やむを得ん。これはもう、労働による罪の贖いと捉えるしかない」
「えええええ!? 僕いつの間にか犯罪者になってるんですか!? オルローグさんを騙ったのは、先生でしょ!?」
「違う。君は私の信用保証だった。キミがいるだけで、私は最低限マトモに見えた。しかし今は……保証が破られた。なら代位弁済が発生するのだよ」
「専門用語でごまかさないでくださいっ!!」
インスティナはくすっと笑い、立ち上がった。
「まあまあ、安心せえ。うちはちゃんと給料出すで? パワハラもセクハラもない、ホワイトな現場や」
「本当ですか!?」
「まぁ、たまに、頭のネジが一本もないクレーマー相手するくらいや」
「それ、絶対ホワイトじゃないですってぇ!!」
インスティナは書類をまとめながら、スヴェルカに無慈悲に告げる。
「ほな、よろしく〜。あ、詳しいことは受け付けで聞いてもろうたら良え」
「え、ええ!?今からですか!?」
「せや。交渉は成立した。なら、動いてもらわんのは、ワイにとって損や。"時は金なり"やで?」
そして、私に一瞥をくれる。
「ほな、これで手打ちってことでええな? “パパさん”」
「……ああ、悪くない秤だったよ。インスティナ氏」
スヴェルカの肩が、そっと落ちた。
――こうして、“スヴェルカ譲渡契約”は成立した。
次は本題。この街の謎に迫る情報交換だ。だが私は、トボトボと扉に向かうスヴェルカが小さく呟いたのを、聞き逃さなかった。
「……なんでボク、いつも、売られるんだろう……?」
――さすがに、少しだけ罪悪感はある。でもまあ、パパにもいろいろあるのだ。そしてスヴェルカ、キミはそう言う役目だ。
私は思わず、「がんばれ、スヴェルカ」と呟きたくなった。だが、思っただけに留めたのだった――
――第30景へ……




