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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第三旅程『Instina』
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第28景:『ギルドは閉まる前に叩け』


 私はカップを置き、ひとつだけ確認する。


 「オルローグくんを詐称してはいるが……。……スヴェルカくん。今朝からの我々の行動に、それ以外には違法性はなかったな?」


 「“違法性”のハードルが低すぎると思うんですけど……たぶん、大丈夫……です」


 「うむ、よろしい。つまり、私が"オルローグでない"ことさえバレなければ大丈夫だ。そこだけは、くれぐれも注意してくれたまえ」


 私は立ち上がり、カフェの椅子を静かに押し戻した。午後の光が傾き、街路の石畳に影を長く落としている。


 「ギルド本部の閉庁時間は間もなくだ。欲を言えば、今日中にインスティナ氏と会っておきたい」


 スヴェルカはぽそりと呟いた。


 「でも先生? あの虫みたいな機械……ロッカ…なんとか? あれがあれば、インスティナさんを尾行して、一人になったところで話しかけるとか、できたんじゃないですか?」


 私は、振り返りもせず答える。


 「キミは、一人きりのときに見知らぬ男から、『オレは異世界からやってきた者だ。アンタに話がある』と話しかけられたら、どうするかね?」


 「……無視か追い返すか、通報ですね」


 「だろう?」


 前を向いたまま、ヒラヒラと手を振った。


 「つまり、直接交渉には空間と形式が要る。肩書きと時間、そして“相手が断れない理由”をセットで用意して初めて、話ができる」

 

 スヴェルカが尾を引きずりながら追いついてくる。


 「じゃあ……今から、ギルドにまた行くんですか?」


 「ああ。だが今回は、話が違う」


 既に閉庁準備に入りかけているギルドの扉を潜り、受付カウンターに肘を置く。


 「向こうが、こちらに興味を持っている。我々はただの“訪問者”ではなく、“目をつけていた怪しい会社の新任社長”なのだ」

 

 私が受付で「オルローグだ。ギルド長に面会を――」などと職員に話しかけている横で、スヴェルカは、不安げに尾を揺らした。

 

 「……あの、それってつまり……」


 言いかけた彼の言葉が、途中で止まる。

 ギルド本部の正面玄関。閉庁時間が迫る中、戸締まりを始めていた係員たちの背後――その奥から、コツコツとヒールの音が鳴り響いてきた。

 受付の空気が、わずかに張り詰める。

 振り向いたその先、夕光の差すホールを、ゆっくりと歩いてくる長身の女。長く広がる黄色の巻き毛が肩から腰を撫で、ひときわ白いシャツの胸元が、その歩みに合わせてわずかに揺れた。

 数粒のボタンが外され、金のネックレスが日差しに揺れる。黒いスラックスの動きに合わせて、脚の線がくっきりと浮かぶ。


 挿絵(By みてみん)


 彼女の歩みに、誰も声をかけない。その空気が、すでに立場を物語っていた。鋭く、そして見透かすような視線の奥の虹彩には、横に引き裂かれたような瞳孔が刻まれている。

 まるで、商売の匂いと嘘の気配を同時に嗅ぎ分ける、“秤の目”。

 そして、巻き髪の間からのぞいた側頭部。そこには、あの少女と同じく螺旋を描く角が、髪の中に埋もれていた。

 精緻で、小さな飾りのような――。


 これは、間違いないだろう。彼女が“エモツェ”だ。

 私は気づかれぬように目を細め、スヴェルカが小さく息を呑むのを感じた。その女は、書類を軽く持ち上げながら、受付をかすめてこちらに向き直る。


 「ホンマはなあ――」


 その声は、艶のある低さと、訛りの鋭さを同時に備えていた。


 「ワイ、残業せーへん主義やねんけどな」


 女の視線が、私に向けてピタリと止まる。


 「せやけど今日の昼間、例の会社の“新任社長さん”がギルドで怪しい処理しとったいう報告があってな」

 

 スヴェルカがびくっと震える。

 

 「ほんで、たまたまそこの受付で“会わせろ”言うてるアホがいたら――」


 彼女は、書類で口元を隠すようにして笑った。


 「さすがに会わんわけにはいかんやろ。……名義貸しは、犯罪やで?」

 

 私は少しだけ肩を竦めてみせた。

 

 「なんと、それは驚きだ。この会社、詐欺だったのかね? いやはや――」


 右手を胸に添え、大げさにため息をつく。


 「まるで気づかなかったよ。私は哀れな被害者だな。全く、やれやれだ」


 「嘘つけや」


 即答だった。関西の人間特有の、秒で斬るやつである。

 ……この人、強い。

 

 スヴェルカが頭を抱えた。その隣で、女が口元だけで笑う。私も、口の端を少しだけ上げた。


 「――まあ、だが。被害者であろうが加害者であろうが、話す価値がある情報を持っているのは、事実だ。違うかね?」


 彼女の目が、わずかに細められる。

 

 「……中、入ろか」

 

 その背中が、ギルドの重たいドアへと向き直る。私はスヴェルカの頭をポンポンと叩いてから、歩き出した。


 ――商業ギルド長、インスティナ。この街の金を握る者は、商人の目でこちらを“値踏み”していた。



――第29景へ……

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