第28景:『ギルドは閉まる前に叩け』
私はカップを置き、ひとつだけ確認する。
「オルローグくんを詐称してはいるが……。……スヴェルカくん。今朝からの我々の行動に、それ以外には違法性はなかったな?」
「“違法性”のハードルが低すぎると思うんですけど……たぶん、大丈夫……です」
「うむ、よろしい。つまり、私が"オルローグでない"ことさえバレなければ大丈夫だ。そこだけは、くれぐれも注意してくれたまえ」
私は立ち上がり、カフェの椅子を静かに押し戻した。午後の光が傾き、街路の石畳に影を長く落としている。
「ギルド本部の閉庁時間は間もなくだ。欲を言えば、今日中にインスティナ氏と会っておきたい」
スヴェルカはぽそりと呟いた。
「でも先生? あの虫みたいな機械……ロッカ…なんとか? あれがあれば、インスティナさんを尾行して、一人になったところで話しかけるとか、できたんじゃないですか?」
私は、振り返りもせず答える。
「キミは、一人きりのときに見知らぬ男から、『オレは異世界からやってきた者だ。アンタに話がある』と話しかけられたら、どうするかね?」
「……無視か追い返すか、通報ですね」
「だろう?」
前を向いたまま、ヒラヒラと手を振った。
「つまり、直接交渉には空間と形式が要る。肩書きと時間、そして“相手が断れない理由”をセットで用意して初めて、話ができる」
スヴェルカが尾を引きずりながら追いついてくる。
「じゃあ……今から、ギルドにまた行くんですか?」
「ああ。だが今回は、話が違う」
既に閉庁準備に入りかけているギルドの扉を潜り、受付カウンターに肘を置く。
「向こうが、こちらに興味を持っている。我々はただの“訪問者”ではなく、“目をつけていた怪しい会社の新任社長”なのだ」
私が受付で「オルローグだ。ギルド長に面会を――」などと職員に話しかけている横で、スヴェルカは、不安げに尾を揺らした。
「……あの、それってつまり……」
言いかけた彼の言葉が、途中で止まる。
ギルド本部の正面玄関。閉庁時間が迫る中、戸締まりを始めていた係員たちの背後――その奥から、コツコツとヒールの音が鳴り響いてきた。
受付の空気が、わずかに張り詰める。
振り向いたその先、夕光の差すホールを、ゆっくりと歩いてくる長身の女。長く広がる黄色の巻き毛が肩から腰を撫で、ひときわ白いシャツの胸元が、その歩みに合わせてわずかに揺れた。
数粒のボタンが外され、金のネックレスが日差しに揺れる。黒いスラックスの動きに合わせて、脚の線がくっきりと浮かぶ。
彼女の歩みに、誰も声をかけない。その空気が、すでに立場を物語っていた。鋭く、そして見透かすような視線の奥の虹彩には、横に引き裂かれたような瞳孔が刻まれている。
まるで、商売の匂いと嘘の気配を同時に嗅ぎ分ける、“秤の目”。
そして、巻き髪の間からのぞいた側頭部。そこには、あの少女と同じく螺旋を描く角が、髪の中に埋もれていた。
精緻で、小さな飾りのような――。
これは、間違いないだろう。彼女が“エモツェ”だ。
私は気づかれぬように目を細め、スヴェルカが小さく息を呑むのを感じた。その女は、書類を軽く持ち上げながら、受付をかすめてこちらに向き直る。
「ホンマはなあ――」
その声は、艶のある低さと、訛りの鋭さを同時に備えていた。
「ワイ、残業せーへん主義やねんけどな」
女の視線が、私に向けてピタリと止まる。
「せやけど今日の昼間、例の会社の“新任社長さん”がギルドで怪しい処理しとったいう報告があってな」
スヴェルカがびくっと震える。
「ほんで、たまたまそこの受付で“会わせろ”言うてるアホがいたら――」
彼女は、書類で口元を隠すようにして笑った。
「さすがに会わんわけにはいかんやろ。……名義貸しは、犯罪やで?」
私は少しだけ肩を竦めてみせた。
「なんと、それは驚きだ。この会社、詐欺だったのかね? いやはや――」
右手を胸に添え、大げさにため息をつく。
「まるで気づかなかったよ。私は哀れな被害者だな。全く、やれやれだ」
「嘘つけや」
即答だった。関西の人間特有の、秒で斬るやつである。
……この人、強い。
スヴェルカが頭を抱えた。その隣で、女が口元だけで笑う。私も、口の端を少しだけ上げた。
「――まあ、だが。被害者であろうが加害者であろうが、話す価値がある情報を持っているのは、事実だ。違うかね?」
彼女の目が、わずかに細められる。
「……中、入ろか」
その背中が、ギルドの重たいドアへと向き直る。私はスヴェルカの頭をポンポンと叩いてから、歩き出した。
――商業ギルド長、インスティナ。この街の金を握る者は、商人の目でこちらを“値踏み”していた。
――第29景へ……




