第24景:『インスティナの秤』
ブジホ区。
この街の北部に位置する、商業と流通の中枢。駅の扉を抜けると、正に“商業の中心区”といった様相だった。
曲線装飾のファサード。淡いミントグリーンやサーモンピンクに塗られた外壁が、朝の光を柔らかく弾いている。歩道と車道の区切りは曖昧で、人と荷車と会話が交差していた。
「やっぱり、なんか違いますねぇ。街の感じが」
スヴェルカが、やや遅れて街路に出ながら呟いた。
私は彼の言葉に頷く。
「そうだな。流通の気配がちゃんとある。ここには“動いている通貨”のにおいがする」
「それって、どんな匂いなんです?」
「コインの金属と紙幣のインク。あと、打算と嘘と脂汗のブレンドだな」
「うわぁ、悪意がすごいです……!」
石畳を、目鼻のついた書類たちが行き交う。ネクタイを巻いた耳長の男たちは、糸電話で誰かと話しながら擦れ違う。鞄の中から煙を漏らす影法師が、信号もない交差点を渡っていく。
だが、装いはグレーや焦茶のビジネススーツ。やや古風ながらも、明らかに第二基底の方に近い。
商業区の街並みも、我々の世界のいわゆる“市場”ではない。石造りの低層ビルが並ぶ、第二基底世界の古都のビジネス街だ。
「では、スヴェルカくん。商業ギルドへの案内を頼む」
「お任せください! こっちです!!」
迷いなく進むスヴェルカの背を追う。
「そういえば昨日、トラムに初めて乗ったなどと言っていたが……この区画に来たことは?」
「ありません! というか、トルハから出たのが昨日初めてです!」
「……それで、よく道案内ができるな」
彼はビー玉のような瞳を細めて、頭を掻いた。
「いやぁ……それほどでも」
いや、賞賛ではなく不安の表明だったのだが、嬉しそうに照れてるスヴェルカには言わないでおく。
ともかく、通りを奥へ奥へと進んでいく。石畳の道路は緩やかな坂になっており、左右には三階建て程度の直線的な建物が並ぶ。
大きな荷車を引いている者も多いが、商店はまばらだ。この辺りは、市場というより商取引の舞台らしい。
「先生、あそこです。あの建物が“商業ギルド”のはずです」
スヴェルカが、通りの奥にあるひときわ大きな建物を指さす。
淡い藍色の石材で組まれた、古めかしくも厳格な構造。正面の柱には、“INSTITINA・VÁHY”と彫られている。――ギルド長の名、そして“秤”。なかなか穿ったネーミングだ。
建物の前には秤のオブジェ。右の皿には積まれた硬貨。左には、開かれた分厚い辞典。吊り棒は水平につり合っている。
「……貨幣と知識を、等価に置く吊り天秤、か」
私は目を細めて呟いた。スヴェルカが、頭だけでそれを見上げる。
「お金か勉強か、どっちが大切か? みたいなオブジェですね」
「むしろ、“両方を維持してこそ価値がある”という意味だろう。どちらか一つが無くなれば、もう片方も滑り落ちる」
「え、こわい……」
私は扉の前で一息ついた。そしてスヴェルカの頭をぽんぽん叩きながら言った。
「では頼んだぞ。中に入って、インスティナにアポを取ってきてくれたまえ」
「……えっ?」
ピクリと耳が跳ねた。
「ええっ!? またですか!? 先生、パムェトナさんの時と同じ展開じゃないですか!!」
「うむ。だが、今回は正真正銘の“ダメ元”だ。断られて当然。まあ、また門前払いだろう」
「だったら行かせないでくださいよ!!」
「まあまあ。試すだけだ。終わったら、あそこのカフェで待っていてくれ」
私はテラス付きカフェを顎で示しつつ、懐から銀貨をひとつ渡す。
「私は他で、やる事があるのでな。今度は本物の用事だ。ほら、お小遣いだ。紅茶でも飲んでいてくれたまえ」
「やっぱり! 図書館のときはウソ……というか、そのお金も私の財布のやつじゃないですか!」
「そのような細かい点にこだわっていては、商業社会では生き残れない。経済は信用で回っている」
「……すでに信用が破綻してる気がします……」
私は背を向け、手をひらひらと振る。
「任せたぞ、案内役兼掃除当番兼出納係兼外交担当」
「え? さすがに肩書が飽和している気が……」
スヴェルカの声が遠ざかる。私はそのまま、カフェの反対方向へと歩き出した。
……まあ、どうせダメだろう。だが、がんばれ。それでこそ、スヴェルカだ。
――第25景へ……




