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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第三旅程『Instina』
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第23景:『目覚めの呼吸』


 静かだった。


 ……いや、音はしている。歯車の回転音と、波の音。どちらも確かに響いているはずなのに、それはただ、背景のように身体を包むだけだ。


 私は、目を開けた。ベッド代わりに並べた椅子の上で、ゆっくりと身を起こす。

 塔の天井から伝わる、規則正しい歯車の音。木材の噛み合う音と空気の軋みが連なり、どこか遠くで心臓が動いているようだった。

 その向こう、外から――微かに、波の音が聞こえてくる。

 ――塔の上から、海は見えない。それでも街には、静かでやさしい波音が満ちていた。

 椅子に座りなおして、上背を伸ばし、木の床に足を下ろす。そのまま、右手を伸ばした先。


 そこに――いた。


 ベッドの上で毛布にくるまった、小さな寝息。あの少女は、穏やかな顔で眠っていた。

 昨日よりも、呼吸が安定している。皮膚の色も、脈の感触も、視診上の状態もすこぶる良好。

 ――この子は、確実に回復している。ならば……この街は?

 私は立ち上がり、詰所の扉をそっと開いた。斜め上に浮かぶ歯車の連なりに、ふと目をやる。梁の合間を抜けて、ビーチ材の歯が静かに噛み合っていた。

 ひと歯ずつ、木目に光がなぞられ、その隙間から表面をなめるように朝の光が差し込んでいる。


 わずかな間を置きながら、

 ――ゴ……ン、と、低い音が響く。


 そのどこか湿った音は、空気に染みこみ、しばらく遅れて、耳に届く。

 足元には、石造りの片持ち階段が階下に続いている。熱膨張の緩衝、あるいは排熱のためだろうか。壁には所々、真鍮の線が埋め込まれ、脈絡もなく迂回している。

 それはまるで、血流を模したような――いや、神経配線のような――。


 階段を数段下ると、塔の窓から、街が見えた。昨日の朝までは、まるで死んだように静まり返っていたはずの街並み。

 けれど今――建設中の市場に、小さな人影が見える。

 屋台の屋根を組み立てる者。トラムのレールに何かを注いでいる者。店先に煉瓦を並べている者――。

 それぞれの動きは緩やかで、統制もない。だが、確かに“動き出して”いた。


 私は手すりを握り、しばしその光景に見入る。――やはり、あの子の容態とこの街は、リンクしている。


 「おはようございます!!先生!!」


 階段の下から、ぱたぱたと軽い声が響いく。スヴェルカだった。


 「今朝の、先生の分のお湯も沸かしておきました! あと、階段の埃もちょっとだけ……」


 頭が斜めに傾いたまま、胴体からふわりと滑るように浮かび上がっている。


 「朝早くからずいぶんと張り切っているな。ナチュラルにテンション高いのは、非常に教育的だ」


 「へへっ!あの子が目覚めたのが、うれしくてですね!」


 私は目を細めながら、ピコピコと尾を振るスヴェルカの背後に目を向けた。まだ薄暗い塔の通路を、かすかに靴音が響いてくる。通路の奥、背筋を伸ばしたその人影が、静かに歩いてきた。


 「おや、オルローグくんも早いな。というか、キミは睡眠を必要としないのだったな」


 金属の足音。左目に嵌め込まれた懐中時計が、かすかに光を返している。


 「おはようございます、先生……あの子の容体は?」

 

 「うむ。視診、脈拍、皮膚色、呼吸音、全て良好。この回復速度なら、明日には動けるかもしれないな」

 

 私はそっと、背後の部屋を振り返った。

 静かな寝息。白い毛布にくるまれて、あの少女は、穏やかな夢の中にいる。


 「先生は、今日もお出かけですか?」


 スヴェルカが箒で階段を掃きながら、こちらに顔を向ける。


 「ああ、今日は他の調律者……エモツェの誰かを訪ねよう。……街と繋がる少女、少女と繋がるエモツェ達。最優先で情報を聞き出したい相手だ」


 「なら!わたしがご案内します!他にもできることがあれば、なんなりと!」


 「ふむ……なら出納係を任せよう。キミの待遇を削って育児予算に回してくれ」


 「はい! がんばって、変動費を固定費名目で計上しますっ!」


 「よろしい。見事な経営者マインドだ。私も見習おう」


 私は笑みを浮かべ、階段を下りながらスヴェルカの頭をぽんと軽く叩いた。しかし、私が言っておいてなんだが、それで良いのかスヴェルカ。


 私は階下で身支度を整え、朝の空気を吸い込みながら、塔を出た。


 「では、今回の旅路も、優雅かつ理知的にスタートしようか」


 ふと、塔の最上階の窓を見上げると、少女が手を振っていた。白い毛布を肩にかけたまま、あたたかい笑顔で。

 時計塔を背に、ゆったりと歩きながら、大通りを挟んで並ぶ建物を見回す。街も、ゆっくりと目を覚ましている。


 「――先生!トラム!!来てますっ!」


 しばらく道を進み、スルドツェ駅に向かう坂道の中腹。スヴェルカが、こちらに近づいてくる車両を指さして叫ぶ。

 フワフワ浮かぶ丸っこい手。相変わらず構造不明だ。

 スヴェルカは相変わらずの全力疾走。私はやや早足で駅に向かう。

 駅に到着し、スヴェルカがピョンピョンと跳ねてアピール。

 私は満足げに頷き、我々の目前にゆっくりと停車したトラムの扉を開けた。

 動き出した街。動き出した心臓。動き出した物語。であれば、この街の深部に踏み込む時だ。


 「スヴェルカくん、切符は買ったか?」


 「もちろんです!出納係ですから!」


 「それはそれは。財布はどこに?」


 「すでに、先生の白衣のポケットにです!」


 「すばらしい。見事な手際だ」


 私はここでは無一文なのだ。

 財布を貸して欲しいと言ったのは私だが、それで良いのかスヴェルカ。

 私はトラムの座席に腰を下ろした。車内は昨日と異なり、乗客がチラホラ。しかし、みな人の姿はしていない。座席の布地にはレースのような文様が編み込まれ、天井には植物のツルを模した装飾が揺れていた。


 短く笛が鳴り、車両がなめらかに走り出した。


 「で、先生!今日はどこに行くんですか?」


 スヴェルカが対面に腰かけながら尋ねてくる。


 「そうだな……ブジホ区、商業ギルドの代表“インスティナ”を訪ねよう」


 「インスティナさんって、ちょっと怖いんですよね。“商魂の擬人化”って言われててですね……」


 「ふむ。面識は?」


 「ありません!またもや噂だけです!」


 「素直でよろしい」

 

 私は苦笑しながら窓の外に目を向けた。

 街の風景が流れていく。街並みは、ゆっくりと動き出している。舗道には清掃用の水がまかれ、細い排水路をさらさらと音が流れる。開いたシャッターの奥では、棚を拭く店主の姿。


――――――


 しばらくトラムに揺られていると、降車駅が見えてきた。プラットフォームには、犬顔のスーツ姿が数人。鼻を鳴らしている。

 トラムが減速し、車体がわずかに傾く。


 「さて、降車だ。ブジホ区に到着だな」


 「はいっ!」


 スヴェルカは勢いよく飛び降り……車止めに足を引っかけて転んだ。


 「い、いたたたた……でも大丈夫です!今日は着地しました!」


 「それを“大丈夫”と定義するあたり、キミのメンタルは尊敬に値する」


 さて、次はこの街の経済の中枢への面会だ。

 商業ギルド代表、インスティナ……。果たして、何を知っているのか。



――第24景へ……

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