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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第二旅程『Láskavá』
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22/86

第22景:『第七世代の少女』


 時計塔――スルドツェ。その最上階、時計守の詰め所。

 私は、意識をこちらに向ける少女の前に座った。その手をとる。細く、軽い。そして微かな熱が残っている。


 「まずは名乗ろう。私の名前は――」


 「……知ってます」


 少女は、少し照れくさそうに笑った。


 「せんせい、ですよね?」


 ……先生は、名前ではない。それはあくまで職能の呼称だ。


 ――これは、ボケか?


 笑顔はやわらかい。声も、透き通っている。だが、それだけで早計してはならない。幼さ故の無垢を、天然ボケと履き違えてはいけない。

 それは似て非なるものだ。

 無垢さとは、思考が選択を知らぬ状態であり、天然ボケとは、選択を超えて跳ぶ在り方である。結果は似ているが、起点が違う。回路が違う。

 違和感や理不尽に触れたとき、それを内在思考に取り込み飛躍するのか、あるいは是正し秩序に戻そうとするのか。その“受け止め方”こそ、ボケとツッコミの分水嶺なのだ。


 ボケかツッコミか。その判断を焦ることは、教育的虐待にすらなりうる。


 少女はカップを両手で抱えたまま、ぽやんと笑った。


 「ありがとう。せんせいのおまじないが、ちゃんと効いたんです……」

 

 私はまばたきを止めた。


 「ふむ……おまじない?」


 「夢のなかで見てたんです…。先生が、机の上に、白い粉とか茶色い水とか並べて、すっごい真剣な顔でお祈りしてたの」


 「……いや、祈ってはない。加熱と中和だ」


 「それで、そのお薬の瓶を、空に掲げて、“われはここに在り、理をもって命を救わん”って、空に宣言して……」


 「一言もそんな中二系詠唱はしていない。あと掲げたのは視差と沈殿確認のためだ」


 少女はうっとりした顔で、「……神さまみたいだった……」とつぶやいた。


 ――このやりとり、尊い。……美しき詩的表現と、無垢さの混在。思わず口の端が緩んでしまう愛らしさ。

 が……わかってきた。――この子……話聞いてない。

 医学とまじないは違う。パスツールに謝った方がいい。あと、南方仁にも。……まあ、彼は彼でフレミングに謝るべきだが。


 「ふむ。それでキミの名前は?」


 少女は、そっと首をかしげた。


 「なまえっ……て……?……“わたし”のことを、呼ぶための“ことば”?」


 少女は、胸の前で両手を組んで、少し考える。


 「……なら、いまは“この子”……。だって、みんながそう呼んでくれるから。そう声をかけられるたびに、わたしは、ここに居るって思えるの」


 そう言って、自らの胸に手を当てた。

 その答えは、あまりに自然で。まるで“自分に名前がない”ことを、不思議とも思っていない。……スヴェルカたちに聞いた話と一致している。


 ……なるほど。そう来たか。この反応、間違いない。この子の才は、天然ボケだ。


 この子は、心の中に"自分の世界"がある。

 幼さ故の無垢とは違う。彼女は、対話を”詩”に変換する回路を持っている。

 ”詩”とは、意味の逸脱による芸術であり、詩人はツッコミたり得ない。


 「えっと……お水、おいしかった。……ありがとう」


 少女は、コップを両手で抱えながら、そう言った。


 「いえ、かまいません」


 オルローグが答え、コップを受け取る。

 私は横目でスヴェルカの様子をうかがう。彼は「良かったですね」と無邪気に微笑んでいた。


 ……あまりにも不憫だと、わたしは思った。


 なぜなら、もう私とこの少女の“役割”は決まった。

 二人でボケ倒し、オチは全てスヴェルカに押し付ける。

 これが、この世界における最適解。


 ……間違いない。


 私は拳を握りスヴェルカを見つめる。この哀れで不憫な生き物の精神が擦り切れたとしても……私は、この子の”父”として修羅となる覚悟がある。


 「さて……症状は快方に向かっているとは言え、引き続き安静が必要だ。父娘の交流は、ひとまず小休止とする」


 彼女は、ぽかんとした顔で私を見つめた。


 「……”オヤコ”……ってなんですか?」


 「……ふむ?」


 これは、想定外……いや、想定して然るべきだったか。

 この街には親も子も存在しない。“生まれた”のではなく“現れた”存在なのだ。


 「……よくぞ訊いてくれた」


 私はいつものように両手を広げ、朗々と語った。


 「父娘とは、娘とパパの関係を示す。娘とは、無条件に愛される者、そしてパパとは……無断で愛する者である。つまり、私はパパである。そしてキミは娘。故に私たちは父娘なのだ!!」


 少女は、一拍置いてから、やわらかく微笑んだ。


 「……じゃあ、"メンタリスト"とか”脳科学者”みたいな”言ったもん勝ち”のやつなのね?」


 「誇れる権威が何も無い人が、それっぽく名乗っただけの肩書でも……“信じてくれる誰か”さえいれば、それはもう、ほんものと一緒よね……」


 「そのとおり。一度会ったら友達、毎日会ったら兄弟。私が決めれば、父娘だ」


 彼女は嬉しそうに微笑む。


 「“いま1番注目されてる女優”みたいで……素敵。どこの誰が決めたか一切わからないのに、自分で選んだ気がする不思議な魔法だもの」


 そう言って、再びふわりと目を細めた。

 

 ――やはり、彼女は詩人だ。ボケを否定も受け流しもせず、ふわりと肯定する。

 これは、つまり天然ボケ。今のも、ボケツッコミとして成立していない。


 汐里奈くんならば、『無断でってなに!?あたしの意向は!? たとえ命の恩人でも親族関係は発生しないから!

 ノット・イコールだから!!』


 ミナセくんならば、『親子かどうかは役所が決めんだよ!! ”ターゲットロックオン”だけで、俺を勝手に息子にしてんじゃねぇ!!』

 

 ――と、こう来るはずだ。だがしかし、この子の言い方、何か引っかかるものを感じる…….。

 私は椅子を押し戻し、立ち上がる。


 「さあ、もう一度眠ると良い。起きたら二人で、スヴェルカの虐待プランを立てよう」


 「なんですか!!それ!」


 スヴェルカが飛び上がる。少女は目をぱちりと瞬かせ、微笑んだ。


 「……正気とは思えない発想だけど、“仲良しの証”ね」


 少女は少しだけ首をかしげて、にこっと笑った。


 「だって、“このくらいなら仲直りできる”ってわかってないと、そういうこと言えないもの」


 そして嬉しそうな笑顔で。


 「でも実際にやったら、ふつうに検閲」


 ――私は、全身に鳥肌が立った。


 ……今のは……まさか……!?


 「大丈夫だ。スヴェルカを倍働かせれば、福利厚生費は据え置きで生産性は倍だ」


 「無理です!!なんですかそれ!!“経営者だけが得をする理論”じゃないですか!!」


 スヴェルカの悲鳴。そして、少女は彼に笑いかける。


 「数学が九九のニの段で止まってる人の発想だとしても、がんばりが報われるって信じてる人にとっては、“ありがとう”って言葉でどこまでもがんばれるもんね」


 そして静かに微笑んだ。


 「でも……“がんばり”が有限リソースだってことに、気づかなきゃだけど……」


 ――これは……!!

 

 「ど、どうしたんですか?先生……また震えてますよ?」


 私は応えなかった。ただ静かに、拳を握りしめた。


 ――これは、ツッコミとは言いきれない。――しかし、ダブルボケでもない。それなのに、明確に“笑いの構造”が成り立っている。


 「……まさか……これは……」


 少女は、こちらを見上げる。不安そうに、でもどこか温かく。

 私は……理解した。

 

 「これは……ぺこぱスタイル……!!」


 「ぺ、ぺこ……?」


 スヴェルカが戸惑う。


 「……これは……新たな潮流……いや、“未来”そのものだ……!」


 「先生……意味がわかりません……」


 私は、少女を見つめた。


 ――これが、“新世代”か。

 彼女の本質は“天然ボケ”ではない。“ツッコまないツッコミ”、そして“共感型ツッコミ”。

 このふたつを併せ持った、ハイブリッド型……!


 私はこれまで、『詩人はツッコミたり得ない』と考えていた。……いや、思い込んでしまっていた。

 だが、天然ボケとは、ルールや常識に囚われない“飛躍”。

 しかし“詩”とは、世界の“ズレ”を見抜いた上で、あえてそれを越えてゆく表現だ。つまり言い換えれば――詩人とは、“本質”や“秩序”を、誰よりも理解している者だったのだ。


 ……時代も、変わった。現代の若者は、”叱られ慣れていない”。

 かつて、ツッコミとは“親しさゆえの否定”だった。……叱ることは、愛情の裏返し。

 しかし、いまの若者にとっては、”否定される=自尊心を削られること”。だからこそ、ボケを一度受け入れ、そして優しく訂正することが“愛情”になった。


 私は、古いツッコミの枠組みに囚われていた。

 ツッコミとは、否定であり、暴力であり、鋭さであると――そう、信じて疑わなかった。


 ――だが今。少女は、ボケを咎めない。受け入れ、微笑み、そっと包むように導いていく。――これこそが、“ニューエイジ”の形。


 未来は、ここにある……!!


 「……ありがとう、娘よ……」

 

 私は、少女の前に跪いた。

 

 「私は……また一つ、パパとして成長できた……」


 少女は、きょとんとした顔で私を見つめていた。

 だが、それでいい。この子との対話は、私の人生すら書き換えてしまったのだ。


 私は今、静かに確信している。私はこのために、この街に導かれたのだと。



――第三旅程『Instina』へ……

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