第22景:『第七世代の少女』
時計塔――スルドツェ。その最上階、時計守の詰め所。
私は、意識をこちらに向ける少女の前に座った。その手をとる。細く、軽い。そして微かな熱が残っている。
「まずは名乗ろう。私の名前は――」
「……知ってます」
少女は、少し照れくさそうに笑った。
「せんせい、ですよね?」
……先生は、名前ではない。それはあくまで職能の呼称だ。
――これは、ボケか?
笑顔はやわらかい。声も、透き通っている。だが、それだけで早計してはならない。幼さ故の無垢を、天然ボケと履き違えてはいけない。
それは似て非なるものだ。
無垢さとは、思考が選択を知らぬ状態であり、天然ボケとは、選択を超えて跳ぶ在り方である。結果は似ているが、起点が違う。回路が違う。
違和感や理不尽に触れたとき、それを内在思考に取り込み飛躍するのか、あるいは是正し秩序に戻そうとするのか。その“受け止め方”こそ、ボケとツッコミの分水嶺なのだ。
ボケかツッコミか。その判断を焦ることは、教育的虐待にすらなりうる。
少女はカップを両手で抱えたまま、ぽやんと笑った。
「ありがとう。せんせいのおまじないが、ちゃんと効いたんです……」
私はまばたきを止めた。
「ふむ……おまじない?」
「夢のなかで見てたんです…。先生が、机の上に、白い粉とか茶色い水とか並べて、すっごい真剣な顔でお祈りしてたの」
「……いや、祈ってはない。加熱と中和だ」
「それで、そのお薬の瓶を、空に掲げて、“われはここに在り、理をもって命を救わん”って、空に宣言して……」
「一言もそんな中二系詠唱はしていない。あと掲げたのは視差と沈殿確認のためだ」
少女はうっとりした顔で、「……神さまみたいだった……」とつぶやいた。
――このやりとり、尊い。……美しき詩的表現と、無垢さの混在。思わず口の端が緩んでしまう愛らしさ。
が……わかってきた。――この子……話聞いてない。
医学とまじないは違う。パスツールに謝った方がいい。あと、南方仁にも。……まあ、彼は彼でフレミングに謝るべきだが。
「ふむ。それでキミの名前は?」
少女は、そっと首をかしげた。
「なまえっ……て……?……“わたし”のことを、呼ぶための“ことば”?」
少女は、胸の前で両手を組んで、少し考える。
「……なら、いまは“この子”……。だって、みんながそう呼んでくれるから。そう声をかけられるたびに、わたしは、ここに居るって思えるの」
そう言って、自らの胸に手を当てた。
その答えは、あまりに自然で。まるで“自分に名前がない”ことを、不思議とも思っていない。……スヴェルカたちに聞いた話と一致している。
……なるほど。そう来たか。この反応、間違いない。この子の才は、天然ボケだ。
この子は、心の中に"自分の世界"がある。
幼さ故の無垢とは違う。彼女は、対話を”詩”に変換する回路を持っている。
”詩”とは、意味の逸脱による芸術であり、詩人はツッコミたり得ない。
「えっと……お水、おいしかった。……ありがとう」
少女は、コップを両手で抱えながら、そう言った。
「いえ、かまいません」
オルローグが答え、コップを受け取る。
私は横目でスヴェルカの様子をうかがう。彼は「良かったですね」と無邪気に微笑んでいた。
……あまりにも不憫だと、わたしは思った。
なぜなら、もう私とこの少女の“役割”は決まった。
二人でボケ倒し、オチは全てスヴェルカに押し付ける。
これが、この世界における最適解。
……間違いない。
私は拳を握りスヴェルカを見つめる。この哀れで不憫な生き物の精神が擦り切れたとしても……私は、この子の”父”として修羅となる覚悟がある。
「さて……症状は快方に向かっているとは言え、引き続き安静が必要だ。父娘の交流は、ひとまず小休止とする」
彼女は、ぽかんとした顔で私を見つめた。
「……”オヤコ”……ってなんですか?」
「……ふむ?」
これは、想定外……いや、想定して然るべきだったか。
この街には親も子も存在しない。“生まれた”のではなく“現れた”存在なのだ。
「……よくぞ訊いてくれた」
私はいつものように両手を広げ、朗々と語った。
「父娘とは、娘とパパの関係を示す。娘とは、無条件に愛される者、そしてパパとは……無断で愛する者である。つまり、私はパパである。そしてキミは娘。故に私たちは父娘なのだ!!」
少女は、一拍置いてから、やわらかく微笑んだ。
「……じゃあ、"メンタリスト"とか”脳科学者”みたいな”言ったもん勝ち”のやつなのね?」
「誇れる権威が何も無い人が、それっぽく名乗っただけの肩書でも……“信じてくれる誰か”さえいれば、それはもう、ほんものと一緒よね……」
「そのとおり。一度会ったら友達、毎日会ったら兄弟。私が決めれば、父娘だ」
彼女は嬉しそうに微笑む。
「“いま1番注目されてる女優”みたいで……素敵。どこの誰が決めたか一切わからないのに、自分で選んだ気がする不思議な魔法だもの」
そう言って、再びふわりと目を細めた。
――やはり、彼女は詩人だ。ボケを否定も受け流しもせず、ふわりと肯定する。
これは、つまり天然ボケ。今のも、ボケツッコミとして成立していない。
汐里奈くんならば、『無断でってなに!?あたしの意向は!? たとえ命の恩人でも親族関係は発生しないから!
ノット・イコールだから!!』
ミナセくんならば、『親子かどうかは役所が決めんだよ!! ”ターゲットロックオン”だけで、俺を勝手に息子にしてんじゃねぇ!!』
――と、こう来るはずだ。だがしかし、この子の言い方、何か引っかかるものを感じる…….。
私は椅子を押し戻し、立ち上がる。
「さあ、もう一度眠ると良い。起きたら二人で、スヴェルカの虐待プランを立てよう」
「なんですか!!それ!」
スヴェルカが飛び上がる。少女は目をぱちりと瞬かせ、微笑んだ。
「……正気とは思えない発想だけど、“仲良しの証”ね」
少女は少しだけ首をかしげて、にこっと笑った。
「だって、“このくらいなら仲直りできる”ってわかってないと、そういうこと言えないもの」
そして嬉しそうな笑顔で。
「でも実際にやったら、ふつうに検閲」
――私は、全身に鳥肌が立った。
……今のは……まさか……!?
「大丈夫だ。スヴェルカを倍働かせれば、福利厚生費は据え置きで生産性は倍だ」
「無理です!!なんですかそれ!!“経営者だけが得をする理論”じゃないですか!!」
スヴェルカの悲鳴。そして、少女は彼に笑いかける。
「数学が九九のニの段で止まってる人の発想だとしても、がんばりが報われるって信じてる人にとっては、“ありがとう”って言葉でどこまでもがんばれるもんね」
そして静かに微笑んだ。
「でも……“がんばり”が有限リソースだってことに、気づかなきゃだけど……」
――これは……!!
「ど、どうしたんですか?先生……また震えてますよ?」
私は応えなかった。ただ静かに、拳を握りしめた。
――これは、ツッコミとは言いきれない。――しかし、ダブルボケでもない。それなのに、明確に“笑いの構造”が成り立っている。
「……まさか……これは……」
少女は、こちらを見上げる。不安そうに、でもどこか温かく。
私は……理解した。
「これは……ぺこぱスタイル……!!」
「ぺ、ぺこ……?」
スヴェルカが戸惑う。
「……これは……新たな潮流……いや、“未来”そのものだ……!」
「先生……意味がわかりません……」
私は、少女を見つめた。
――これが、“新世代”か。
彼女の本質は“天然ボケ”ではない。“ツッコまないツッコミ”、そして“共感型ツッコミ”。
このふたつを併せ持った、ハイブリッド型……!
私はこれまで、『詩人はツッコミたり得ない』と考えていた。……いや、思い込んでしまっていた。
だが、天然ボケとは、ルールや常識に囚われない“飛躍”。
しかし“詩”とは、世界の“ズレ”を見抜いた上で、あえてそれを越えてゆく表現だ。つまり言い換えれば――詩人とは、“本質”や“秩序”を、誰よりも理解している者だったのだ。
……時代も、変わった。現代の若者は、”叱られ慣れていない”。
かつて、ツッコミとは“親しさゆえの否定”だった。……叱ることは、愛情の裏返し。
しかし、いまの若者にとっては、”否定される=自尊心を削られること”。だからこそ、ボケを一度受け入れ、そして優しく訂正することが“愛情”になった。
私は、古いツッコミの枠組みに囚われていた。
ツッコミとは、否定であり、暴力であり、鋭さであると――そう、信じて疑わなかった。
――だが今。少女は、ボケを咎めない。受け入れ、微笑み、そっと包むように導いていく。――これこそが、“ニューエイジ”の形。
未来は、ここにある……!!
「……ありがとう、娘よ……」
私は、少女の前に跪いた。
「私は……また一つ、パパとして成長できた……」
少女は、きょとんとした顔で私を見つめていた。
だが、それでいい。この子との対話は、私の人生すら書き換えてしまったのだ。
私は今、静かに確信している。私はこのために、この街に導かれたのだと。
――第三旅程『Instina』へ……




