第20景:『駅長室という名の魔境』
駅の階段は、石でできていた。
幅は広く、曲がりも少ない。だが歩いている間、周囲から音が一切しない。
「なんだか……不思議な駅ですね……」
スヴェルカが、小声で呟く。
すれ違った“駅員らしき存在”は、三体。全員、顔がない。帽子を目深にかぶり、白い手袋をつけて滑るように移動していた。あの運転手と同じ、夢に出たらビビるタイプだ。
「ふむ。調律者は、みなキミのように“あの子”とリンクしているのかね?」
ラスカヴァは、数歩前を歩きながら答えた。
「“調律者”と呼ばれると、ちょっとくすぐったいわね」
くすりと笑うその声は、少しだけ裏返った。駅長というよりは、女学生のような響きだ。
「私たちは、自分たちを“エモツェ”と呼んでるの」
「ほう。中二病をこじらせたようなネーミングだな。嫌いじゃない」
私は頷きつつ、さっそく本題に入る。脱線は……しても良いが戻れるうちに戻っておくべきだ。これは旅と会話の鉄則である。
「で、質問の答えは?」
「答えはNo。私だけよ」
ラスカヴァはそう言って、踊り場で一度立ち止まる。
「他の子たちも、多少の共感はあるみたいだけど……。あの子と、ここまで強く繋がってるのは、たぶん私ひとりだと思う」
ふむ、そうか。
あの子が目覚めた今なら、パムェトナあたりにも思念が――と、わずかな期待を抱いたが。
“なんとなく通じてる”程度では信頼されまい。私も行きたくない学会の日の早朝は、”なんとなく中止になる”気がするが、それを信じた事は一度もない。
私たちは、ホームの端にある鉄扉の前に立った。ラスカヴァが無言で鍵を取り出し、手慣れた動作で錠前を外す。
「……入って。少し散らかっててごめんなさいね」
彼女の背に続いて、私は駅長室へと足を踏み入れた。
――その瞬間、私は心の中でひとつの問いを自らに投げかけた。
「……“少し”……?」
ツッコミは、条件反射だった。
部屋は、散らかっていた。いや、散らかっているというより、散らかりに埋没していると言ったほうが正確だろう。
書類、書類、書類。
棚の上に。机の上に。果ては床にまで堆積していた。おそらく時間と圧力が加われば、地層になる。
そして、その堆積の頂点にはスナックの袋と、空のコーヒーカップが鎮座していた。
「……あ、おう……」
私は、なんとも言えない声を漏らし、思わず一歩引いた。
私も、片づけが得意なタイプではない。ラボの机など、“積むか捨てるか”の二択で生きている。
だが私は、文明の崩壊を感じた時点で一度リセットする主義だ。定期清掃の概念くらいはある。たぶん。
――これは……ない。
「こんなに書類の山では、参照時に困るのでは?」
私は、あくまで冷静に問うた。大人として、知的に、敬意を込めて。決して、“思わずガチで引いた”とは認めない。
ラスカヴァはあっさり答える。
「だいたい、下のが古い日付のやつだから。大丈夫よ」
「……なるほど。“積層式アーカイブ”方式……なるほどなるほど……」
――それ退化では?
この女、一見すると知的で端整。黒タイツに落ち着いた制服、所作も柔らかくて好印象。
……だが中身は、書類の地層にポテチを埋める系人間だったとは。
見た目がきっちりしている人間ほど、ギャップは深い。初デートを完璧にこなし、いざ彼氏を部屋に呼んだら干からびたカップ麺とカビた加湿器が出迎えて、幻滅されるやつだ。
――この駅長、油断ならぬ。
私は、なんとか椅子を確保して腰を下ろした。座面に積まれた紙は、くるくると丸めて床へ。床ならセーフである。
「さて……話を聞こうか、ラスカヴァ駅長」
彼女は、対面の椅子に腰を下ろす。背もたれには寄らず、前屈みに長い指を組んで。
そのとき、黒いタイツの脚がすっと組み替えられ、肩から垂れた桃色の艶やかな髪がひと筋、ふわりと胸元に滑り落ちた。
……うむ、実に美しい。だが問題は、その髪の先にポテチの袋があったという事実である。
「……あ、あの。私は、どこに座れば……?」
スヴェルカがそろりと入ってきて、困り果てた声を絞る。私は何気なく、来客用のテーブル横を指差した。
「ん? そこに――」
言いかけて、止まった。
――もう一脚の来客用の椅子の上。そこには、書類の神が降臨していた。
高さ、角度、安定感。すべてが絶妙な“紙の祭壇”。
私とラスカヴァの視線が、紙山の頂点でピタリと交差する。スヴェルカは無言のまま、そっと“隙間”にお尻を滑り込ませた。
――えらい。だが、それでいいのか、スヴェルカ。
私はひとつ咳払いをし、口元を軽くぬぐう。
……よし、場は整った。語らう準備はできている。
「さて、月並みな質問ではあるが……」
私は真正面に視線を向ける。
「キミは初対面の私について、どれだけ知っている?」
ラスカヴァは、組んでいた指をゆるめることなく、静かに答えた。
「……“あの子”から、ほんの少し伝わってきた気持ちだけ。あなたが街の外から来た人で、あの子を助けたってことも」
「ほう」
私は頷き、片肘をテーブルについた。
「つまり、キミはこの街以外にも世界があると知っていたと?」
ラスカヴァは視線を少し伏せてから、再びこちらを見た。その横長の瞳孔が、黒曜石のように濡れていた。
「……知らなかったわ。でも、なんとなくは、思ってたの……。この街の外には、何があるんだろうって——」
私は、うっすらと笑みを浮かべた。
「なるほど。立派な逸脱思考だ。つまり、“考えてしまった”わけだね」
「ええ。だって……私たちは、ずっと街を完成させるために働いてる」
「ふむ、それがキミの……というよりこの街の住人の行動原理かね」
「そう、私たちはみんな、この街を完成させたいと思って暮らしてる。トラムも市場も、そのために動いてる。……でも、ふと考えてしまったの。……“それが終わったら、どうなるの?”って」
「終わったら……?」
「……私たちは、きっと消える」
その言葉は、あまりに静かで、確信に満ちていた。
「この街の住人は、必要だから生まれる。駅ができたから、駅員たちも生まれた。役目と一緒に……。だから、その役目が終わったら、当然いなくなる。それが自然でしょう?」
スヴェルカが、眉をしかめてラスカヴァを見た。
「そ、そんな……でも……じゃあ、みんなは……」
ラスカヴァは、柔らかく目を細めた。
「……たぶん、みんな、気づいてないと思う。あるいは、なんとなく思ってるけど……考えたくないのよ」
「でも、それって……」
スヴェルカが、困ったような悲しいような、複雑な表情で口を挟む。
――我々の世界でも“なぜ生きて、子どもを残すのか”と問われたら、回答に困る者の方が多いだろう。
進化論や生物学、経済学に哲学。後付けの理屈は山ほどある。だが、それは本質ではない。
「この街では、“なぜ街を完成させるのか”なんて、誰も考えない。だって、生きるって、そういうことなんだから」
スヴェルカは、返す言葉を失っていた。
私は、指を軽く組み直しながら問う。
「つまりエモツェたちも、自分たちが何者なのか……知らない……と?」
「ええ、知らないわ」
ラスカヴァは顔を上げ、まるで遠くを見るように視線を逸らし、足を組み替えた。
「でも、私は知りたいと思ってる。……私たちが何なのか。この街が何なのか」
彼女の目は、真っ直ぐだった。その言葉の芯にあるのは、純粋な“知的欲求”。
――つまり、最も厄介な燃料だ。
「……だから」
彼女は椅子からわずかに前に乗り出し、こちらを見つめて言った。
「もしわかったら……ねぇ、私にも教えてね?」
私は、少しだけ視線をそらし、ふぅと短く息をついた。
「……ありがとう。非常に、意義のある会話だった。あと、言えた義理ではないが、ゴミは片付けるように」
「それは余計よ」
彼女はくすっと笑った。視線の奥に、ほんの少し“あの子”と同じ揺らぎを感じた気がした。
――第21景へ……




