第19景:『羊角の駅長』
トラムが、ゆるやかに減速する。
見えてきた駅名標 には『Oblouk』の文字。トルハ区画の中央に位置するターミナル。この街で最も大きな駅という話だが……。
――ゆるいブレーキ音。トラムはゆっくりと、その駅に停車する。
「ふむ、車内に乗客は我々だけ。降車ボタンを押した覚えはないが……」
「だれか、乗ってくるんでしょうか?」
スヴェルカが、頭だけで左右を見渡す。
次の瞬間、扉が開いた。コツ、コツ、と音を立てて誰かが乗ってくる。
黒い駅員の制服。桃色の長髪。膝丈のスカートに、制帽。無言でこちらへと歩み寄り、我々の座席の前に立った。
スヴェルカの尾がぴくりと跳ねる。
いいぞ――そういう細かなリアクションが場を繋ぐのだ。
「え? えっと、どなたでしょう……?」
スヴェルカの声が、ほんのわずかに上ずる。私も思考を警戒に切り替える。静かな制服美女の登場は、だいたいトラウマかヒロインかの二択だ。なお私は、これまで後者になった試しがない。
私は顎に手を添えながら、静かに問いかけた。
「ふむ……キミは?」
その女は、一言も発せず、ゆっくりと帽子を取った。
そこに現れたのは羊のアモン角。よく見れば、瞳孔はどこか儚げで落ち着いた、横長の三日月型だ。
「……なるほど。察したよ」
「えっ? ええ!? な、なにがです!?」
慌てるスヴェルカを横目に、私はため息混じりに呟く。
「調律者のひとり、名前は……ラスカヴァ氏……かな?」
女が、初めて口元を緩めた。
「正解よ」
スヴェルカが大きく目を見開く。
「え、えっ!? えぇぇ!? え、ラスカヴァさんってあの……!? トラムの駅長の……えっ? えっ!?」
発話が“え”と“!?”だけで構成されている。まるで”タツノオトシゴの絵文字を出力して”と指示された時の生成AIである。
「おや、スヴェルカくん。昨夜の話ぶりでは、見知った様子だったが」
「え、いや、あの、それはっ……あくまで……噂で……」
「ふむ。知ったかか」
「うぐっ……!」
スヴェルカの浮かんだ頭が、ぷしゅうとしぼんだ。体ごと小さくなっていくような錯覚すらある。
――さて。彼女が何者かはわかった。問題は、その次である。
なぜ、このタイミングで現れた?何の用だ?なぜ、私を“知っている”?
ラスカヴァは、ボックス席の向かいの座席に静かに腰を下ろした。制服の裾が揺れ、滑らかに整えられた膝が重なる。黒いタイツに包まれた脚が、音もなく組み替えられた。
気配は柔らかく、それでいて油断ならない。声を発するまでに、ほんの数秒の“溜め”を挟むのが癖らしい。
「さて……」
私は、手すりに肘をついて身体を傾ける。
「キミは、なぜ私たちを知っている?なにか、用件でも?」
ラスカヴァは答えず、指を組んだ。白く長い指が交差し、掌を伏せたまま前屈みなる。肩にかかっていた桃色の髪が、滑るように前へと落ちてきた。
静かで、柔らかい動きだ。
「……あの子が、意識を取り戻したからよ」
彼女の声音には、感情の震えはない。けれど、言葉の選び方はやさしい。
「まずは、お礼を伝えたかったの」
「ほう、オルローグくんあたりから連絡が?」
私は、やや意地の悪い笑みを浮かべて問う。
「いいえ。そうじゃない」
彼女は静かに首を横に振って、耳元の小さなピアスをわずかに揺らした。
手の中で制帽を転がしながら、窓の外へ視線を逸らす。長い睫毛の影が、頬の上をすべるように動いた。
「……あの子が“強く想った”から」
その声には、かすかに眠気にも似た響きがあった。まるで、夢の続きを語るような口ぶり。
「想った?」
「たぶん、一刻も早く、あなたたちに“ありがとう”を言いたかったのね。その想いが、私に届いた。それだけ」
私はわずかに身を乗り出す。彼女の制服の胸元にある金属徽章が、トラムの灯りを受けて小さく反射する。
「なるほど。ではつまり――」
私は、口元に手を当てた。
「ラスカヴァ女史。キミは、あの子と人格を共有していると?」
「そこまで強いリンクじゃないわ」
ラスカヴァは、唇をわずかに曲げた。喉の奥のほうで鈴のような音がかすかに鳴る。笑ったのか、息を洩らしたのか、判断がつかない。
彼女の肌で光が反射し、羊毛のような柔らかい粒子が揺らめく。
――この街の者たちはみな、肉体と夢の境界を縫い合わせて生きている。そんなことを、ふと思った。
「でも……あの子が強く想ったり、願ったりしたこと。それを私は感じ取ることができるの。……気持ちの“波”みたいなものよ」
「それで、私の顔も、ここを通ることもわかった……と」
「ええ。正確な仕組みは、私にもわからないの。……ただ、“そうなっている”としか言えないわ」
ふむ。興味深い。想念ベースの感知機能。非言語的な情動共有。“電波ではない何か”を受信しているのか……。
だが、ここは突っ込まない。今は観察すべきタイミングだ。
「詳しく話を聞くことは可能かね?」
「時間は取れるわ」
ラスカヴァは、立ち上がることなく答えた。組んでいた足をそっと崩し、両膝を閉じた姿勢で、膝の上に帽子を戻す。
「でも、私は駅長。この駅を離れるわけにはいかないの」
「ならば――私が降りよう」
「え?」
スヴェルカの浮かんだ頭が、椅子の背からひょこり飛び出す。
「せ、先生!? わたし、早くスルドツェに戻りたいです!あの、いったん、あの子の顔をみてから戻ってきても……」
「私もはやく顔をみたい。だが――」
私は静かに、スヴェルカに向き直った。
「すまないが、私は"今このタイミング"で、ラスカヴァ女史と話をしなければならないのだ。キミは先にスルドツェに戻ってくれ。大丈夫だ、戻る道はわかる」
浮かんだ頭が揺れ、尾がしょんぼりと沈む。
「そんなことできませんよ……私も降ります!」
……まったく、けなげというか、言うことを聞かないというか。
「……まぁいい。ならば共に降りよう。だが、私が彼女と会話する際は静かにしてくれたまえ。ツッコミは三回まで許す」
「えっ、なにそれ!? ひどい縛り!」
「――一回目」
「えぇぇっ!? 今のカウントに入ってるんですか!?」
「二回目だな」
「ずるいずるいずるい!!」
スヴェルカがわかりやすくパニックを起こしながら、トラムの出口方向へ滑っていく。
私は静かに席を立ち、ラスカヴァに視線を戻した。
「それでは、お時間を少々いただこう。羊角の駅長殿」
ラスカヴァは、何も言わず、帽子を胸に抱え直した。
その瞳は、やはり笑ってはいなかったが――なぜか、“応じる”という意志だけが、明確に伝わってきた。
――第20景へ……




