第17景:『失敗と撮れ高』
ベンチの端に、私は音を立てて腰を下ろした。
忍び寄ったつもりはなかったが、スヴェルカはビクリと肩を震わせた。
「……あっ、せ、先生……!」
ぎこちなく振り返った頭が、こちらを向く。その表情は――完全に終わっていた。
「あ、あの、わ、わたしは、その……っ」
言葉にならない音が、喉の奥から漏れている。そのたびに、涙がボロボロとこぼれ落ちた。
目の下は真っ赤に腫れ、頬はしっとり濡れている。その顔はもう、「落ちたプリン」並みに見ていられなかった。
「……面会の約束は……で、出来ませんでした。わ、わたしは、わたし……わたし……はっ!!」
叫んだ。喉をつぶすように。私は、わずかに溜息を吐きながら、ピシャリと応じた。
「――だろうな」
スヴェルカが、びくりと身体を縮こませた。
「図書館が公共施設であり、かつ職員の気さくな対応が期待できるのなら、あるいはとも思ったがな。しかし、実質的に“議政の中心”たる施設だ。政治機構が併設されている以上、一般人が気軽に入れるわけがない」
私はベンチにもたれ、指を組んで空を仰いだ。
「ふらりと現れた旅人が、要人とあっさり面会し、意気投合する――そんな展開があるとすれば、それは児童文学の中だけだ。残念ながら、この世界は割と現実寄りらしい」
「……あの、それって……つまり?」
スヴェルカの声は、消え入りそうだった。
「つまり――全て見ていた、ということだよ」
「……っ!?」
スヴェルカの顔が、音もなく崩れ落ちた。涙腺が再起動し、止めどなく流れ出す。
「じゃ、じゃあ……わたしは、いったい何のために……っ!?」
私は、あえて少し間を置いた。そして、静かに口を開いた。
「――撮れ高の為だ」
「…………へ?」
「この絵本的世界観において、ギャグ描写というのは貴重なのだよ。なにせ風景が綺麗で、街並みに哀愁があり、登場人物もみな活気がない。そういう世界にこそ、君のようなリアクション担当が必要なのだ」
「……りあくしょん……?」
「うむ。君の献身、涙、そして滑稽なまでの頑張り。画面的にとても良かった。私はそれを高く評価している」
スヴェルカの頭が、ぐらりと揺れた。脳が事態を理解しきれず、処理を放棄したらしい。
「……そ、それって、つまり……私は、わたしは……バカみたいに……っ!」
「いや、まったくその通りだ。だが、君のそのバカみたいな必死さこそが、物語におけるエモーショナルなバッファなのだ。……重要な役割だ」
「うぅぅぅぅぅぅ……!!」
スヴェルカが、ぷるぷると震えながら、ベンチに突っ伏した。尾が「しょぼん」と音を立てそうなほどに垂れ下がる。
……かわいい。
私はそっと頭を撫でた。それだけで彼はまた涙を流した。
「……いい子だ、スヴェルカ。キミは、この世界における最強のファクターだよ」
その言葉が褒め言葉だったのか、単なる爆弾だったのかは、本人にも、私にも、定かではない。
「ですが……結局は……パムェトナさんには……お会いできませんでした……」
スヴェルカが、ベンチの端で項垂れながらつぶやいた。泣き疲れたのか、頭部が微かにぐらぐらと揺れている。
「……どうしましょうか……」
私は、膝の上で指を組み、わずかに首をかしげた。
「“どうしよう”とは……すなわち、“他に手はあるか?”という意味の質問か?」
「ええ、まぁ……はい……」
「ふむ、ではお答えしよう」
私は少しだけ背筋を伸ばし、声に軽やかな芝居を乗せた。
「強行突破、という手段がある」
スヴェルカの浮かんだ頭がビクンと跳ねた。
「し、侵入するんですか!?」
「忍び込むだけなら、さほど難しくはなさそうだ。あの建築構造なら死角も多く、窓の錠前も古式ゆえ、開錠も容易。仮に警備を呼ばれたとしても、この世界でも魔術は機能している。蹴散らすのは、造作もない」
「け、蹴散らすって何をですか!?」
「彼らだ」
私は親指で、図書館のほうをクイッと示す。
「私に体術の心得が無いわけではないが、多数の警護人員を相手に立ち回れるほどの無頼漢ではない。よって、使用する武器は限定される。唯一にして最大の切り札、それは――」
私は左手を掲げ、指をぱちんと鳴らした。
「この手のひらから撃ち出す、触れた者を“無に還す”消滅光波だ」
「えええええええ!?」
「簡単に言えば、触れた瞬間に対象は粒子化して空に舞う。わりと綺麗だぞ。光の演出もある」
「そんなの、そんなのっ! 良いわけないじゃないですか!!」
「だな。この絵本的世界観において、複数の首無し死体を転がすわけにはいかん。倫理的にもビジュアル的にも、トラウマだ」
「当たり前ですっ!! その“判断が冷静なだけに怖い”のやめてください!!」
「ふむ、となると――消去法で、次の手はただ一つ」
私はぴしりと人差し指を立て、宣言した。
「――帰宅決定である」
「か、帰るんですか!?」
――――――
トラムのプラットフォームには、誰の姿もなかった。頭上には低く曇った空。足元には古びた時刻表。昼を回っているせいか、街の音も少し遠く、空気は少しだけ緩んでいた。
スヴェルカは、どこか所在なげに浮かびながら呟いた。
「……そういえば、オルローグさん。通信、来ませんね。もう、帰る予定の時間……過ぎてるのに……」
うむ、声に元気がない。……なんかしょんぼりしてるのも、ちょっとカワイイ。
私はそっと紅茶のカップを置いた。
「当然だ。私は、ポータルの使用法を彼に一切説明していないからな」
「……先生は鬼畜ですか?」
「それは否定するが、似た類の何かであることは否定しきれない」
スヴェルカが心底うんざりした顔で私を見る。
いや、もはやそれすら力尽きた目だ。感情が出力限界を超え、完全に燃え尽きた炭のような。
「まあ、こちらから連絡しよう。少女の容態も気になるしな」
私は立ち上がり、懐からポータルを取り出した。
スヴェルカが、隣でそっと呟いた。
「……でも、私……なにも役に立てませんでした……」
「そんなことはない」
私は応じながら、にやりと口の端を上げた。
「キミは、実に美しい敗北を演じた。それは立派な成果だ」
「……先生、それ褒めてます?」
「もちろんだとも。人の心を打つのは、成功ではなく“全力での失敗”なのだからな」
――そして、ひとり満足げに頷いた。
――第18景へ……




