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【PV公開中】『トラムの夢の街』  作者: 矢崎 那央
第二旅程『Láskavá』
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15/86

第15景:『Budoucnost〜未だ来ぬ世界〜』


 朝がきていた。


 空はやはり、ぼんやりと白いままだ。雲は流れず、陽光も角度を持たない。それでも、夜とは違うとわかるだけの変化が、この街にはあった。

 詰所の窓を開けると、冷えた空気が一気に入り込んだ。私は、ひとつ深呼吸して、振り返る。

 ベッドの上、少女は静かに寝息を立てていた。頬の紅潮は消え、呼吸も規則的。薬の効果は明らかに出ている。

 もちろん、心内膜炎がたった一晩で完治するはずもないが――いまのところ、状態は安定していた。


 私はオルローグに一枚の銀色の円盤を手渡す。


 「これは、私のポータルだ。……ただし、ここでは転移機能は使えない。だが、最低限の通信回路だけは通るはずだ。緊急時には、これで呼べ」


 オルローグは黙って受け取った。懐中時計の片眼が、ゆっくりと私を見た。

 言葉はなかったが、それで充分だった。


 「彼女の容態は、また午後に確認に来る。……では、調査に出る」


 私は白衣のポケットを整え、ドアノブに手をかけた。その背中に、小さな声が重なる。


 「……先生」


 オルローグが、ためらうように、けれど確かに言った。


 「ありがとうございます」


 私は、答えずに扉を開けた。――それは、父として受け取るには、充分すぎる言葉だった。


————


 昨日と同じトラムの駅に戻る。

 針は動いている。スルドツェの鐘は偶に時を告げていたものの、まだ正しい時刻を指してはいない。

 だが、それだけで街の空気が微かに柔らかくなった気がする。


 スヴェルカは、なぜか朝からテンションが高かった。


 「トラムに乗るの、はじめてですっ!」

 

 お前、案内人ではなかったのか?

 私は頭をかしげつつ、昨日よりもやや年季の入った車体に乗り込んだ。

 木の床は、少し傾いていた。緩やかに光を透かす窓。真鍮の取っ手が、かすかに朝露で濡れている。


 カタン、と揺れて、トラムが出発した。


 「さて……目的地は、フラヴァ区」


 「はいっ、Mozek駅で降りてくださいね。図書館は、議政堂のすぐ隣です」


 私は頷き、シートに深く腰をかけた。

 スヴェルカも隣に並ぶ。頭だけが窓辺に浮き、短い胴体がちょこんと腰を落としている。

 しばらくの沈黙のあと、スヴェルカが訊いてきた。


 「先生……昨日から気になっていたのですが……」


 「ふむ?」


 「その……“パパ”というのは、いったい何なんですか?」


 良い質問だ。実に良い。

 問題は、それを私に聞いた時点で、正答が帰ってくるとは限らないということだ。


 「パパとは“娘を造りし者”、そして愛する者だ」


 「……造る、のですか?」


 「まあ、私のケースは特殊だが、概念的にはそうだ。人は自ら望み、次世代を自分たちで産み出し、そして未来に繋ぐ」


 「すごいです……先生の世界では、人は自然に現れるわけではなく、人が人を作るのですね」


 "作る"と言うと齟齬があるな。

 しかし人類は――というより生物は、自らの分身によって、存在を残していく。生物が生物足り得る、もっとも基本的なメカニズムだ。


 「でも、そんなことして……どうするんですか?役目もないのに、次々と人を作るんですよね?」


 トラムの窓が、街路の高いファサードを流していく。壁の色は黄土や錆びた藍、ところどころに描かれた意匠の一部が、陽光に透けていた。

 

 私は答える。

 

 「歴史を積み重ねていく。過去から未来へ。……我々はそうやって生存してきた」


 「でも先生、子供を後世に残していくなら……その未来って、いったい何が起こるんでしょう?」


 私は、少し笑った。


 「それはわからない。だから、“未だ来ない”世界なのだ」


 スヴェルカの頭が、くるりと私の顔を向いた。


 「不思議ですねー。その未来っていうのは、いつ終わるんでしょうか?」


 「それも、わからない」


 私は、ゆっくりと窓の外を指でなぞった。


 「その点では、なぜ自分たちがここに居るのか知らないキミたちと……大差ないよ」

 

 スヴェルカは黙っていた。首はないが、視線のようなものを感じる。

 やがて、彼は少し小さな声で言った。


 「……先生の世界では、怖くならないんですか?」


 「何が?」

 

 「……終わりがあるって、わかってるのに……“生きよう”ってすることが」


 私は、息を吸い、吐いた。


 「――怖いさ」

 

 トラムが、緩やかにカーブを描く。その先に、灰青色の駅名標が見えてきた。


 『Mozek』


 「だがそれが、我々が選んだやり方だ。終わりがあると知っている。だがしかし、だからこそ続けようとする。それが人間というものだ」


 チリン……と、ベルが鳴る。スヴェルカは、目を瞬かせた。


 「先生……」


 「なんだ」


 「……ごめんなさい、よくわかりませんでした」


 「それでいい。私もいま、だいぶ誇張して言ってた」


 私は、席から立ち上がった。朝の空気が、ドアの隙間から流れ込んでくる。


 「さて……『“知”の区画、フラヴァ区へようこそ』とでも言ったところか」


 ドアが開き、足元の石畳がきしむ。街の風が、ゆっくりと頬を撫でた。

 次は、図書館へ。ここで、この世界と少女の“正体”に繋がる、最初の扉が開かれるはずだ。


――第16景へ……

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