第14景:『パパは今日も娘に飢えている』
時計塔の夜は静かだった。
精製を終えた薬瓶は、棚の上で小さく燐光を放っている。オルローグは変わらず、黙って少女の傍に立っていた。
私は、椅子の背に白衣をかけ、詰所の椅子を並べて横になった。天井の梁が、ゆっくりと呼吸しているようにすら見える。
「ふぅ……さて、少し寝るか」
――と、思ったのだが。寝られない。眠気はある。疲労もある。だが、精神がざわついていた。
実のところ私は、ここしばらく他所にお泊まりをした経験がほとんど無いのである。
そしてもう一つ、大きな原因は。――この場所には娘が居ないのである。目覚めたら「パパ、おはよっ♡」と無邪気に跳ねてくる誰かがいない。夜中にトイレへ行ったついでに、くっついてくる誰かもいない。
……いや、そんな娘、最初から居ないのだが。
我が娘たちといえば、ケリとツッコミを容赦なく叩き込んでくる姉娘。うっかり毒殺してくる妹娘。人体の急所を正確無比に切り裂こうとしてくる末娘。
ほかにも――そんな、実に魅力的で愛らしい少女たちばかりである。
そして、そもそも我が娘たちは全員別々に暮らしている。だが、ここは異世界。心の距離的に、なんか遠い。
私は寝返りを打つ。そして、ふと思う。なぜ私は、こうも“パパ”と呼ばれたいのか。
――――
――私は、とある物語のラスボスだった。
他人の人生を踏みにじり、自分の望みだけを押し通し、最後には世界そのものを巻き込み滅ぼしかけた。物語の最後に主人公たちが倒すべき、実に由緒正しいクソ野郎である。
そして――救われた。あろうことか、この私が自ら造り出した異形の娘によって。
もちろん、それで私の罪が消えたわけではない。赦されたわけでもない。ただ、かつて研究素材としか見ていなかった存在が、最後には、この私をひとりの人間として抱き留めてくれた。
私はそこで、ようやく気づいたのだ。
私はずっと、欲しがってばかりだった。誰かに満たしてほしい。誰かに必要としてほしい。誰かに、自分のために生きてほしい。
だから命まで造っておきながら、その命に何かを与えようなどとは、ろくに考えもしなかった。
ならば。今度は、私が与える側……つまり、"父"となろう。
私はむくりと起き上がった。
「守り、育て、困ったときには手を貸し、間違えたら叱られ、時には殺されかけても翌朝にはケロッとして朝食を用意する――」
若干、後半の父親像がおかしい気もする。だが些細な問題だ。
「そう。私は、パパとならねばならん!」
そのとき。
「……ぱぱ……?」
壁際で浮かび寝していたスヴェルカが、寝言のように小さく呟いた。
「違う。お前ではない」
返事はない。スヴェルカはそのまま、すやすやと眠っている。
私はひとつ頷いた。
「よろしい。明日からはスヴェルカに、ツッコミの“イロハ”を叩き込むことにしよう」
――そのとき。
背後から、かすかな音がした。
私は顔を上げ、振り返った。少女のベッド。寝息は浅く、だが、まぶたが、ぴくりと震えた。
それは、ほんのわずかな動きだった。けれど、それはたしかに――
「夢を、見ているのか」
私は椅子を引き寄せ、再び少女の傍に座った。その額に手を置く。熱は下がり、汗も引いてきている。
「……やはり、治癒速度が異常だ。だが、それで良い」
私はそう呟いたあと、机の下から昼間買っておいた瓶入りカルバサを取り出した。
「……キミが誰なのかはどうでも良い。起きたら娘(仮)として、ちゃんと“おはよう”を言うこと。いいね?」
私は、未だ会話したことすらない彼女に問いかける。もちろん、返事はない。それでも私は――。
私は、そっと少女の小さな手に自分の指を重ねた。指先は、まだかすかに熱を帯びていた。
この街がどこなのかはわからない。この少女も、誰とも知れない。しかし、彼女は既に我が娘のひとりだ。
私が……そう決めたのだ。
テーブルの上、部屋のランプが微かに揺れていた。
――第15景へ……




