第13景:『街の構造と、パパの夜』
日はすっかり落ちていた。それでも、空の雲は散らない。ガス灯に似た街の光が、石畳をやさしく照らしている。
詰所の窓辺に立ち、私は深く息を吐いた。歯車の音はするが、どこか不規則だ。
高台にあるせいか、街の灯りがぼんやりと見渡せる。それはどこか、絵本の表紙のようで――あまりにも整っていて、少し気味が悪い。
机の上では、薬瓶がぬるく輝いていた。先程の抗菌薬の残分。とりあえずは明日の投与分だ。この、ほんの数滴が命綱とは、医学とは優しく、そして残酷である。
スヴェルカとオルローグから聞き出した話を整理する。いや――“彼らの話せる範囲”は、驚くほど狭かった。
この世界に宗教は存在しないという。教義も聖典もなく、礼拝施設もない。それどころか、街の誕生以前の歴史もない。
街の始まりが、この世界の始まりだったのだと、彼らは当たり前のように語った。
「先生、続きを話しても……?」
スヴェルカとオルローグは横並びで座っている。ギュウギュウで、実に狭そうだ。
「そういえば、君らのその配置……。なぜ、そんなに詰めているのだね?」
「なっ!? 先生が先程、この座り方が正式だと……」
そういえば私が言ったのだった。真っ当な抗議だ。理不尽である。
しかし、どんな理不尽であれ、納得した時点でお前たちが悪い。そして、過去の発言に責任を持つのは、過去の私であって、今の私は無関係である。
「ふむ。“そういうスタイル”はさっき終わったのだ。モノボケは天丼に向かない。二度目はクドい」
――もちろん、さっきの尋問スタイルにも意味はない。
だが、“意味のないことを、意味ありげに見せる技術”は、学術会においては非常に有効なのだ。最も必要なスキルと言って過言ではない。
そして私は、意味ありげな顔をするのが異様に得意である。
「……せ、先生の世界の作法は理不尽ですね。でも、よかった……また目が焼かれるかと思いました……」
私は椅子を引き、机に向かい直す。
「さて、君たちの話だが。要するに、この街には宗教もなければ、歴史もない。では、君たちはどこから来た?住人は?」
「“来た”というか……現れたといいますか……」
「現れた?」
「はい。必要な施設ができて、そこに必要な役割が生まれると、自然にその“役割の形をした誰か”もできます」
「それを不自然とは、誰も思わないのか?」
「ええ。……みんながそうなので。なにもおかしいとは思っていませんでした。先生の世界では違うのですね?」
私は口元に手をやる。そして、少し唸った。
――なるほど。教育アニメ的構造だ。
この世界は、まるで子供の想像力と常識の中間点で設計されているかのようだ。法則も背景も、“そういうもの”として処理される。
……いや、我々の世界でも似たような物か。
世界や自分が産まれた意味を、本気で疑問視する者は少ない。哲学的思索の対象とはしても、結局は"そういうもの"として受け入れる。
――だが厄介だ。
この街は、教育コンテンツにしては奥が深い。製作者は時々、「どうせ子供はわからんだろう」と思って全力で悪ノリする。なぜか背景に核融合炉が描かれていたり、妙に具体的な社会背景を匂わせたりするタイプだ。
――ちなみに「がんこちゃん」は、人類滅亡後に繁栄した、遺伝子操作により生み出された知的生命である。
「では、街の構造を教えてくれ。名前、区画、施設、管理者。なんでもいい」
「はいっ」
スヴェルカの頭がぴょんと浮かび、勢いよく解説を始めた。
「まず! この時計塔の名前はスルドツェ。そしてこの辺りが、街の中央区画『トルハ』。一番賑やかなところです。劇場とか、トラムのターミナル……競技場も」
「他には?」
「北側に『ブジホ区』。市場とか銀行とかがあって、お金や商品が動いてる場所です」
「で、南が――」
「『フラヴァ区』! ここは議会と図書館があります。お堅い話はだいたいここ」
「ふむ。では西は?」
「『パーテシュ区』。街の外縁に沿うように広がっています。工場とか倉庫とか……主にこの街を作るための材料や道具を用意するところです」
「ふむふむ……。東は?」
「まだ建設中です。4つの区画を、街からどんどん伸ばして行ってます」
「……トラムは?街の外に出る分岐はあるか?」
「トラムの線路は各区画をぐるっと回って、全部この区画のターミナルで合流します」
「他にターミナル駅はないのか?」
「……この区画にある1番大きな駅のことしか、ターミナル駅とは呼ばないです」
……全ての路線が環状線か。つまり、街の外に向かって伸びる線路はない。
まあ、元より期待しては居なかったが……。
「それからですね!街には、なんとなく“上の人っぽい”五人が居て、方針とかをふんわり決めてます」
「なんとなく……とは?」
ここでオルローグが、懐中時計の針を静かに揺らしながら口を開いた。
「“管理者”ではなく、“調律者”に近いと私は考えています。正式な役職名はありませんが、確かに中心的な役割を担っている者が5名」
スヴェルカが指を……いや、指っぽい動きで尾をピコピコさせながら挙げていく。
「1人目、パムェトナさん。図書館の司書で、物静か〜でこわ〜い」
「2人目、エモシュカ・ヴラーナ ! 劇場のオーナーで、たまに勝手に舞台やってます」
「3人目、インスティナ。商業ギルドの代表」
「4人目、ルースカ。工業ギルドの長で、怒るとすぐ火花が出ます!」
「5人目は……えーと、トラムの駅長、ラスカヴァさん。この人は優しいです」
「調律者……か。君主や首相は居ないと」
なんというか、自治会の強化版みたいな制度だ。中でも図書館司書は情報管理の中核を担っているらしい。
一度会って、情報を得たい……。
私は椅子から立ち上がった。
「明日は、街に出て調査を進めよう。まずはフラヴァ区の図書館に向かおうと思う」
オルローグは、ベッドを見つめていた。表情はないが、懐中時計の眼には優しい光が宿っている。
……ような気がする。
「……あの子はどうしますか?」
「本来なら、医療設備の整った施設に移したいのだがな。ブジホ区には病院があると言っていたな。点滴が出来れば理想的だが……」
「……ありません。病院といっても、薬の処方。それと簡単な手術」
「だろうな。搬送は、まだ体力的にはやめた方が良い……。しばらくは、ここで安静を保とう」
長い話に付き合わせてしまったな、と言おうとしたが、スヴェルカが寝ていた。
浮いている頭だけがゆっくり上下していた。夢の中でも反復横跳びでもしているのか。
――少女の様子を見に行くと、呼吸は落ち着いていた。意識は浅いが、喉もわずかに動いている。……ならば経口投与が可能だ。
私はカップに用意しておいた簡易ORS(経口補水液)をひと匙すくった。
塩と糖、体液と近似した電解質濃度。口の端にそっと触れさせると、唇がかすかに動いた。
彼女の喉が、ゴクンと動く。
「……オルローグくん。嚥下反射は残っている。喉の動きをよく観察し、タイミングを見てこの液を与えてくれ。気道に流れぬよう、頭部はわずかに側臥。ゆっくり、慎重に頼む」
これで最低限の水分と塩分は入った。薬の吸収にも、多少の助けになるだろう。
それでも、目覚めるにはもう少しかかる。明日以降の投与に備え、抗菌薬はもう一度精製しておこう。
「さて……」
私は軽く背を伸ばす。
追加合成に取りかかる前に、もう一度手を拭く。ウォッカでの簡易消毒だ。
「さて、オルローグくん、キミは眠っても構わないが」
彼がこちらを振り向く。
「私は、起きております。というより、私は睡眠を必要としないのです。……この子のそばに居ます」
「頼もしいな。では、抗菌薬の追加合成が終わったあと、私は仮眠を取らせて貰おう。……パパ(代理)として、夜を守ってくれ」
私は言い残し、ランプの芯を整え、再び火を灯した。
一度成功した合成ではあるが、調温装置も攪拌機もない。精製は慎重に進めねばならない。
――夜は深い。
だが、パパに夜勤手当は出ない。24時間営業である。娘の為なら五徹くらいは余裕だが、睡眠が取れるなら取っておく。
睡眠不足では、思考力も判断力も、ギャグのキレも落ちてしまうからな。
――スヴェルカたちから聞いた話によると、病床の少女に名前はない。誰かが産んだわけでも、迎え入れたわけでもない。いつから居るのかも、彼らは知らないと答えた。
ただ気づけば、誰もが彼女を“育てていた”。誰かひとりの子ではなく、みんなの子どもとして。
彼女が何者かも、どこから来たかも、誰も知らない。はじめから"そうだった"。
彼女の看病はオルローグに任せよう。私はせめて、パパと科学者としての誇りと使命感を抱いて寝るのだ。
——第14景へ……




