第11景:『私は、情操教育番組に召喚されたのかもしれない』
――この世界は、なかなかに厄介である。
空は薄曇り。石畳はぬめりと湿っており、建物の角には花鉢と絵本のような飾り棚。波音と歯車の音が交互に響く。
まるで児童文学の世界に紛れ込んだかのようだ。
――いや、違うな。なんか、情操教育に良さそうな児童文学世界だ。
色彩はパステル寄りで、やけに優しい。窓枠にはアンティーク風のアイアン装飾。建物の意匠も、明らかに必要以上に凝っている。「#おしゃれ海外カフェ」感すらある。
これはもう、確信していい。
――ノスタルジーに寄せている。
だが、待って欲しい。
そもそも、児童文学の“対象年齢”とは何歳だ?
誕生からせいぜい数年。ノスタルジーから最も遠い存在である。いったい何に郷愁を感じろというのか。胎内回帰でもさせるつもりか。
絵本編集者が3人、会議室でコーヒーを啜りながら、「子どもたちにも、SDGsの大切さを……」などと語り合っている情景が目に浮かぶ。
いわゆる、"大人の心にも響く児童文学"。
――結果、5歳児が置いてけぼりである。
ページをめくる母親の隣で、幼児がぽつりと呟く。
「でもママ、この子ごはん食べれないのに、なんでママは、お昼ご飯のマック残して捨ててたの?」
目を潤ませて読んでいたママが、散らかしっぱなしのマックの袋から、全力で目を逸らす。
そういう類の作品に、私は詳しい。
――そして何より……娘が居ない。これが大問題だ。
私はかつて、自分勝手な理由で十二の命を造り、そして捨てた。
その罪が赦されるとは思っていない。だからせめて、創造主ではなく“パパ”として向き合う――そう決めて以来、私は娘たちのもとへ押しかけ、頼まれてもいない父性を示して回っている。
――その尊い父娘交流の結果、だいたい殺されかける。
つまり、娘が居なければ、私は“パパ”としての存在意義を発揮できない。
いや、確かに病床の少女はいる。だが現状、彼女はあくまで“病に伏す患者”だ。
この状況で「さぁ娘(仮)よ、パパの面白い話を!」などとやったら――完全に鬼畜である。
そして、さらに言えばツッコミが居ない。
私は基本的に、ボケる側の人間である。科学者であろうが父親であろうが、そこだけは一貫している。
ゆえに私という存在を物語として成立させるには、私が何かするたび「いや、おかしいだろ」と常識側へ引き戻す人間が必要なのだ。
私が好き勝手に踏み外し、彼らが読者に代わって殴り戻す。それがツッコミ。
つまり今、この場には――私のボケを処理できる人材がいない。
ならば、どうするか。
――そう、モノボケである。
――――
「……あの、先生」
スヴェルカが困ったように言った。彼の頭部は宙に浮かび、胴体は机の向かいに座っている。
「まぶしいんですけど」
私は無言で卓上ランプの光軸を調整した。レンズがぎらりと光を返し、スヴェルカの顔面らしきものに直撃している。
「すまないが、これは情報を乞う際の正式スタイルなのだ。我慢してくれたまえ」
「はあ……。もちろん、ご協力は致しますけど、なぜ、わざわざ不快な思いをさせられるんです?」
「様式美というやつだ」
私はそう答え、傍らの木皿に手を伸ばす。
「カルバサを食べるか? 昼間についでに入手しておいた。本来はカツ丼なのだが、この街には無かった」
スヴェルカの瞳が、ぐるりと一回転した。
「……ちゃんと情報提供のお礼もあるのですね? 不快にさせたり、もてなしたり。先生の世界の常識は、謎です」
「我々の世界では、情報とは光と栄養の両方によって引き出すものだ。つまり、尋問と食事はセットということだな。論理的だろう?」
「そもそもランプが強すぎませんか……。青花紙が焦げそうなんですけど……」
「視認性重視でな。最新の技術である」
私は堂々と嘘をつきながら、ランプの明るさをさらに一段階上げた。
こうして私は、この絵本的世界においても、エモ演出だけに支配されることなく、自らのペースを取り戻すのである。
――さて。
ここからは、“科学者”としての情報収集。そして、“パパ”としての立ち回りに備えた、布石の打ち直し。
ギャグと理論の二刀流を始動する時だ。
――第12景へ……




