第9話 制服という名の戦場
綾香から解放されて、用意された自室に戻る途中。
長い廊下を陸とリリが並んで歩いていた。
九条邸の廊下はホテルのように広く、夜になると静かだ。
足音だけが規則的に響いている。
「ねえ、リリさん。リリさんってユーリの同僚だよね?」
「うん。リリがお姉さん」
「お姉さん?……ああ、先輩ってこと?」
「ん」
短いやり取り。
だが陸は少し驚いていた。
リリは年上に見えない。
むしろ自分と同じか少し下くらいに見える。
そんな少女がユーリの先輩なのだ。
「ねえ、答えられる範囲でいいんだけどさ」
「?」
「リリさんの会社って何してる会社?」
「秘密。守秘義務」
即答だった。
「だよね」
陸は苦笑する。
予想通りだ。
むしろ答えられた方が怖い。
「じゃあ別の質問」
「ん」
「その仕事、何年くらいやってるの?」
リリは少し考える。
「リリでいい」
「え?」
「リリさんじゃなくて」
「……分かった。ありがとう」
陸は少し笑った。
「じゃあ俺の事も『リク』で」
「ん」
小さく頷く。
それからリリは何でもない事のように言った。
「社員になって七年」
「えっ」
陸が立ち止まる。
リリも足を止めた。
「さっきの質問」
「ああ、それは分かるけど……」
陸は頭の中で計算する。
十七歳。
七年前。
つまり……。
「十歳?」
「ん」
「十歳から社員?」
「無理やり入れられた」
「無理やりって何」
「拾われた」
「拾われた?」
「ん」
「……」
陸は黙った。
聞けば聞くほど危険な香りがする。
これ以上聞いてはいけない気がした。
本能が警鐘を鳴らしている。
「(十歳の子供を社員にする会社ってなんだよ……)」
ユーリの勤務先について少し知りたいと思っていた。
今は知りたくなくなった。
一方で、リリは別の事を考えていた。
「(リクは変)」
質問をする。
答える。
すると笑う。
また質問をする。
答える。
また笑う。
怒らない。
警戒しない。
利用しようともしない。
戦場ではありえない反応だった。
「(笑い方がユーリによく似てる)」
そう思うと少しだけ安心した。
ユーリが信頼している理由も分かる気がする。
リリはそんな事を考えていた。
◆
「お母さま。なんで学園に通わせるなんて言い出したんですか?」
「あら。ええ考えやと思うんやけど」
「リリさんの都合だってあるではありませんか」
「それは分かってますえ」
綾香は優雅に紅茶を口へ運ぶ。
「せやけど麗華、よう考えてみなさい」
「?」
「たった半日で誘拐事件を解決して、警察まで呼び寄せて、拳銃騒ぎまで起こしたお人やえ?」
「うっ……」
「麗華。あの方を、ほんまに貴女だけで何とか出来ると思うてはるの?」
「そ、それは……」
綾香は小さく笑う。
「リリさんは、とても素直なお人どす」
「ええ」
「せやけど、素直さと行動の間にあるはずの壁が、あのお人にはあらへんのや」
「……」
「思たことをそのままやってしまわはる」
「正しいと思たら止まらはらへん」
「このまま自由にしておいたら、また何か大きな騒ぎを起こさはるやろなぁ」
麗華は反論できなかった。
「だから、貴女が色々教えてあげたらええんよ」
「私が?」
「日本のことも、お友達との付き合い方も」
綾香は穏やかに微笑む。
「学園いう場所はなぁ、勉強だけする所やおへん」
「……」
「きっとリリさんにとっても、かけがえのない時間になると思うんや」
しばらくして綾香は楽しそうに笑った。
「それに……」
「?」
「こんなにハラハラしたんは久しぶりどす」
「お母さま?」
「お父様と駆け落ちした時以来やろか」
「は?」
「ふふふ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 今、とんでもない事をおっしゃいませんでした!?」
「さあ、どうやったやろなぁ」
■戦場帰り、制服に敗北する
次の日の朝。
リリはあるものを前にして固まっていた。
『制服』
自分には縁のないものだと思っていたもの。
戦闘服や軍服も制服には違いない。
だが、目の前のそれは全く別物だった。
白いシャツを手に取る。
薄い。
あまりにも薄い。
光に透かせば向こう側が見えてしまいそうだ。
「(こんなに薄い……何も防げない)」
刃物も。
銃弾も。
破片も。
何一つ。
次にリボンのようなスカーフを見る。
「(用途不明)」
止血帯にもならない。
ロープとしても短い。
結び方も分からない。
靴を見る。
軽い。
驚くほど軽い。
つま先を指で押してみる。
「(鉄板が入ってない)」
安全靴ですらない。
最後にスカートを見る。
しばらく無言。
「(こんなに短いスカート……履いたことが無い)」
リリは再び停止した。
どう考えても足が露出し過ぎている。
茂みを通過したら傷だらけになる。
戦術的に問題がある。
その時だった。
コンコン。
ドアがノックされる。
「リリさん。用意できましたか?」
麗華の声。
「……」
返事がない。
リリは制服を見つめたまま固まっていた。
「リリさん?」
沈黙。
「開けますわよ」
ガチャ。
ドアが開く。
そこには……制服一式を前に、下着姿で硬直しているリリの姿があった。
「レイカ……無理」
助けを求めるような目だった。
誘拐犯を単独制圧した人物とは思えない。
「無理って……着替えるだけですわよ」
「無理」
「リリさん……」
「……」
数秒の沈黙。
麗華は額を押さえた。
「分かりましたわ」
深いため息。
「お手伝いします」
「あう……」
◆
数分後。
「右腕を通してくださいまし」
「ん」
「次は左ですわ」
「ん」
リリは着せ替え人形のように従う。
途中で何度も止まる。
「苦しい」
「ボタンを閉めただけですわ」
「動きづらい」
「普通ですわ」
「弱い」
「服の感想としてどうなんですの、それ」
なんとか制服を着終える。
最後にスカート。
リリは落ち着かない様子で裾を引っ張った。
「ねえレイカ」
「なんですの?」
「日本ではみんなこんな短いスカート履く?」
「これはそんなに短くありませんわよ」
「?」
「もっと短くして履いていらっしゃる方もおりますわ」
「ぱんつ見えない?」
「見えませんわ」
「ほんと?」
「ほんとです」
「日本人すごい」
何がすごいのかは麗華にも分からなかった。
◆
最後にスカーフを結ぶ。
鏡の前に立たせる。
リリは無言で鏡を見る。
黒髪。
褐色の肌。
鳳城学園の制服。
そこに映っているのは、間違いなく女子高生だった。
少なくとも外見だけなら。
リリはその場で一回転する。
裾がふわりと揺れた。
「……」
「どうですの?」
「弱い」
「だから服の感想としてどうなんですの」
麗華は思わず突っ込んだ。
だが改めて見てしまう。
長い脚。
高い腰の位置。
引き締まった腹部。
均整の取れた体つき。
「(なんという体型ですの……)」
雑誌のモデルと言われても信じる。
同年代とは思えない完成度だった。
「(これで本人に全く自覚が無いのですから反則ですわ……)」
一方のリリは鏡を見つめたまま呟く。
「変」
「何がですの?」
「自分じゃないみたい」
その言葉に、麗華は少しだけ目を細めた。
「大丈夫ですわ」
「?」
「今日から慣れていけばよろしいのです」
リリは鏡の中の自分を見る。
戦場ではない。
任務でもない。
軍服でもない。
初めて着る制服。
その姿は少しだけ不思議で。
少しだけ、悪くない気がした。
「……んんっ、さあ、食事にしましょう」
麗華は話を切り上げると食堂に向かうのだった。




