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第8話 九条の門前


「お、お母様」



 麗華の背筋がキュッと伸びる。


 そこに現れたのは麗華の母親、九条綾香だった。



「お巡りさん方のお仕事はよう分かっておりますえ」



 綾香は柔らかな口調で話し掛ける。



「せやけど、うちのお客人を門前で囲まはるんは、少ぉしやり過ぎやおへんやろか?」



 静かな声だったが、それが却って圧力を感じさせる。



「しかしですね……どう見てもあの格好は」



 年輩の警察官が、それでもと食い下がる。


 そこへ被せるように言葉を重ねる。



「その子ぉが、お巡りさんに助けぇ求めはったんどすか?」


「……いいえ」



「ほな、こうしまひょ」



 綾香は軽く手を叩く。



「このお二人は、間違いなく九条家のお客人どす」


「せやさかい、何ぞ問題がありましたら、うちへ言うて頂ければ、きちんと対応させてもらいますえ」



 そして警察官の顔をじっと見つめる。



「まだ犯罪に巻き込まれはった……ちゅう訳でもおへんのでっしゃろ?」


「それとも……」



 綾香は柔らかく微笑む。



「どうしても、うちのお客人を連れて行かはりますの?」



 その声は底冷えするぐらいに低い声だった。



「……どうしはります?」



 綾香の声が夜気の中に静かに落ちる。


 門前に集まっていた警官達の間に、張りつめた沈黙が広がった。


 誰も軽々しく口を開けない。



 九条家。


 その名前が持つ重みを、この場にいる全員が理解していたからだ。



 年輩の警察官の額に、じわりと汗が浮かぶ。


 その時。


 年輩の警察官の無線機が鳴る。



「……失礼します。……はい、こちら……」



 警察官は一歩下がり、無線に応答する。


 しかし、その姿勢は先程までとは明らかに違っていた。



 背筋が伸び、まるで上官に叱責を受けている部下のように、硬い表情になっている。



「……はい。ですが現場判断としては……」



 そこで言葉が止まる。


 無線の向こうから、強い口調で何か言われたのだろう。



 やがて警察官は小さく息を吐くと、静かに無線を下ろした。



「解散だ。これ以上、九条家に迷惑をかけるな」



 周囲の警察官達の表情が変わる。


 納得した者は少ない。



 だが、誰も逆らわない。


 パトカーの赤色灯だけが、無言のまま夜の門前を回り続けていた。


 最後まで残ったのは、朝リリに声を掛けてきた警察官だった。



「お騒がせいたしました」



 彼は静かに頭を下げる。そして振り返る事無く立ち去っていく。


 リリは車内で大きく息を吐くと、運転手に声を掛ける。



「感謝」


「えっ」



 唖然とする運転手をしり目にリリはタクシーを降りる。


 そして腕組みをしている麗華に歩み寄る。



「今、帰った」


「『今、帰った』じゃありませんわっ!!貴女一体何をしたんですのっ!!」



 リリは知っていた。


 こういう目をしている時の人間は面倒くさい事を。


 リリは麗華に背中を向けると、もう一度タクシーに近づく。



 そしてポケットから紙幣を丸め、輪ゴムで止めただけのものを取り出すと、運転手に渡そうとする。



「な、何をしているんですのっ!!」



 それを見咎めた麗華が騒ぐ。



「賄賂」


「駄目ですっ!!」



「なぜ?」


「何故でもです!! あー、もう、早乙女っ!!何とかしなさいっ!!」



 早乙女は静かに一礼してから、運転手に何かを話始める。


 そして最後に後部座席から、件の少女が降りてくる。


 確かに警察が無視できないような格好だった。



 お人好しの陸は、すぐに上着を脱いで彼女の元に駆け寄る。



『よかったら、使って』



 そして上着を彼女にかけてあげる。


 つたないスペイン語だったが、少女には通じたようだった。



 びっくりしたような表情で、陸を見つめる。


 陸は視線を彼女の足元に向ける。


 裸足で、所々出血している。



『ちょっと、ごめんね』



 陸は少女の膝の後ろに手を回すと、ひょいと持ち上げる。


 所謂、お姫様だっこである。



『足、痛いでしょ。少しだけ我慢して』


『……はい』



 少女は小さく頷く。


 その一部始終を見てしまった麗華の顔色が真っ青になる。



「(わたくしだって……一度しか……うううっ)」



 急に動かなくなった麗華を見て、今のうちにと動き出すリリ。


 しかしその前方に、綾香が立ち塞がる。



「ここやと落ち着きまへんなぁ。お中で、ゆぅっくり聞かせてもらいまひょか?」



 リリは知っていた。



 こういう目をした人間に逆らってはいけない、という事を。



 ■戦場帰り、女子高生になる


 有無を言わさない綾香の圧力に負けて、今は応接室に全員が集まっている。


 ただし、件の少女は治療と汚れを落とすために浴室に連れていかれたので、此処にはいない。



「さて、どこから説明してもらいましょうか?」



 綾香の視線がリリに向けられる。



「せやけど、その前に……その物騒なモン、こちらに預けてもろてもよろしおす?」



 綾香が静かにそう言った瞬間。


 応接室の空気が僅かに張りつめた。



 リリは特に躊躇する様子もなく、腰の後ろへ手を回す。


 そして次の瞬間。


 黒い金属の塊が、静かに応接机の上へ置かれた。



 カツン



 重く乾いた音。


 それだけで、その場にいた全員の表情が変わる。



「拳銃っ!?」



 麗華が思わず声を上げる。


 陸も息を呑んだ。


 小型のリボルバー。


 だが、素人でも分かる。



 それが本物の『死の道具』だということを。


 しかし綾香だけは、表情を崩さない。



「……随分と物騒なもの持ってはりますなぁ」



 柔らかな口調。


 だがその目は、拳銃の状態を冷静に観察していた。


 安全装置。


 撃鉄。


 シリンダー。


 慣れている者の視線だった。



 リリはそんな綾香をじっと見つめる。



「(……この人、やっぱり危険)」 



 本能的にそう判断していた。



「これでタクシーの運転手を脅したんですね?」


「魔法の言葉が効かなかった……レイカに教わったやつ」



「えっ?」


「だから、ソレを使った。ソレの方が早い」



 あまりにも自然な口調だった。


 まるで、『鍵が開かなかったから別の道具を使った』くらいの感覚で話している。



 陸は思わず目を押さえる。



「日本では『拳銃』は無い……ユーリはそう言ったけど、嘘……簡単に手に入った」


「いや、普通は手に入らないからねっ!?」



 思わず陸が突っ込む。


 リリは不思議そうに首を傾げた。



「でも、持ってた」


「それは相手が反社だからだよっ!!」



「はんしゃ?」


「……説明が難しいなぁ……」



 陸が頭を抱える。


 そんな二人を見て、綾香が小さく口元を隠して笑った。



「ふふ……随分と大変なお友達が出来ましたなぁ、麗華」


「わ、笑い事ではありませんわ、お母さまっ!!」



 麗華は真っ赤になりながら反論する。


 しかし綾香は楽しそうだった。


 久しぶりに、娘がこんなに感情をむき出しにしている。


 それが少し嬉しかったのだ。



「では、今日の行動を教えて下さる?」



 リリは綾香に言われると、素直に話し始める。



「新宿に行った……スペイン語が聞こえて、そこに行った」



「怪しい撮影をしてたから、アイツを連れて逃げた。タクシー乗った」



「後は皆知ってる。警察に囲まれた」



 沈黙。


 説明が壊滅的に足りない。


 部屋の中のリリ以外の全員が、同じ事を思った。


 綾香は軽くこめかみを押さえる。



「……つまり、その子を助けはったんどすな?」


「ん」



「ほな、その撮影しとった連中っちゅうんは、どないな連中やったんどす?」


「げんぶかい……とか言ってた」



「『玄武会』……どすか……」



 綾香の目が僅かに細くなる。


 空気が少し変わった。



 九条家としても、無視できない名前なのだろう。


 すると、不意にリリが立ち上がる。



「じゃ」


「……じゃ?」



「騒ぎを起こした……悪かった」



 リリはそれだけ言うと、部屋を出ていこうとする。


 その背中を見て、麗華の顔色が変わった。



「誰が出て行けなどと言いましたかっ!!」



 応接室に声が響く。


 リリが足を止めた。



「九条家の客人を……いえ、わたくしの大切なお友達を放り出す事などいたしませんわっ!!」



 麗華の目には涙が浮かんでいた。


 悔しいのか。


 悲しいのか。


 自分でも整理できていない。


 だが一つだけ確かなのは。


 リリに出て行って欲しくなかった。


 その気持ちだけだった。



 陸もどうしてよいか分からずに麗華とリリを交互に見るしか出来なかった。


 すると見かねた様に綾香が麗華に話しかける。



「麗華、少ぉし落ち着きなはれ」


「ご、ごめんなさい……お母さま」



 そして綾香は、ゆっくりとリリへ視線を向ける。



「リリさん。麗華も言うてましたけど、ここを出て行く必要なんてあらしまへんえ。悪いようにはしまへんさかい、安心しとくれやす」



 リリは、信じられないものを見るような目で綾香を見つめる。


 対する綾香は、相変わらず柔らかな笑みを崩さない。



「まぁ、今すぐ全部きれいに片付く訳やおへんけど……そこは、うちらで何とかしますえ」


「……分かった。感謝」



「ほな、うち、ええ事思いつきましたえ」



 嫌な予感がした。



「リリさん、長期休暇中や言うてはりましたなぁ。一月くらいどす?」


「うん」



「ほな、その間、麗華と一緒に学園へ通いなはれ。短期留学生っちゅう形で」


「「えええええっ!?」」



 陸と麗華の声が綺麗に重なる。



「リリは学生じゃない」


「そんな事ぉは知ってますえ。……ところで、リリさん、おいくつどす?」


「……十七」


「「えええええっ!?」」



 再び陸と麗華の声がハモった。



「ちょうどよろしいやないの。それに、日本っちゅう国を知るんやったら、同じ年頃の子ぉらと一緒に過ごすんが一番どすえ」


「うんうん、我ながら、ええ考えやわぁ」



 綾香だけが、一人満足そうに頷いていた。



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