第3話 安全な国の夜
結局、リリは九条邸にやっかいになる事になった。
陸は気分的には楽になったが、何となく釈然としていなかった。
「(リリって何者なんだ? イリジウムの携帯なんて、一般人は持ってないぞ?)」
陸は自室に割り当てられた部屋のベッドの上で呟く。
「しかし、ユーリの奴、連絡付かないとか言いながら、リリとは連絡付くんだ……。あいつ、何してんだ?」
ユーリは去年高校卒業と同時に、海外の会社に入社してしまった。
まあ、それにはいろいろ事情があったのは聞いていたが……。
「でも、あんなに英語下手なのに海外の会社に入社できるんだな……俺も頑張ってみようかな……」
そう呟いてベッドの上で寝返りを打つ。
そして改めて室内を見回す。
陸の為に用意された部屋は、普通のホテルより遥かに豪華だった。
「これ、本当に客用か……?」
ふかふかのベッド。
広い室内。
高そうな家具。
庶民の陸には落ち着かない。
「……まあ、考えても仕方ないか」
そう呟きながら、陸は天井を見上げる。
だが脳裏には、褐色の肌をした無表情の美少女と、衛星通信端末の映像が妙に焼き付いて離れなかった。
◆
一方、リリ。
食事の後、客間に案内され、今はベッドの上に腰かけていた。
「話に聞いていたのと違う」
ユーリから聞かされていた日本の話と、今自分が置かれている状況が全く一致しないのだ。
改めて部屋の中を見回す。
広い……あまりにも広い。
大きなベッド。
分厚い絨毯。
装飾の施された家具。
壁には絵画まで飾られている。
しかも、この部屋は客間らしい。
「日本人ってみんなお金持ち?」
かつて麻薬カルテルに拉致された時、確かボスがこんな屋敷に住んでいた記憶がある。
リリは窓際へ移動し、静かにカーテンをずらす。
外には広い庭園。
照明の場所……警備員の配置……監視カメラが数台稼働している事を確認する。
「麗華の家ってマフィア」
そう結論付けた。
「考えすぎ?」
いや、用心に越したことはない。
リリは先程部屋の中を確認したことを思い出す。
監視カメラ、盗聴器、マジックミラー……。
とりあえず、それらは設置されていなかった。
リリはベッドの毛布を丸めて布団の中に押し込む。
まるで人が寝ているような形に。
そして自分は窓際の隅に上着を敷いて、そこに座って目を瞑る。
「(此処なら外部から侵入されても対処できる……)」
廊下の向こうから、微かに足音が聞こえた。
その瞬間、閉じていたリリの目が静かに開く。
歩幅は一定。
人数は一人。
金属音なし。
「……メイド」
再び静かに目を閉じる。
もし敵なら、今の時点で窓から脱出していた。
そしてリリは、いつでも目覚められるよう浅い眠りにつくのだった。
◆
麗華は眠れずにベッドの上でゴロゴロと転がっていた。
「(おかしいですわ……何で目を瞑るとアイツの顔が浮かんでくるのかしら……)」
そして冷静に考える。
「今日は色々あり過ぎましたわ」
陸に従妹がいたこと。
その従妹の紹介で、あんな美少女が陸の元を尋ねてきたこと。
そして……。
「あの子、綺麗すぎますわ……」
同性だからこそ分かる。
整った顔立ち。
褐色の肌。
長い睫毛。
まるで人形みたいな完成された雰囲気。
しかも陸は、空港で完全に見惚れていた。
「むぅ……」
面白くない。
非常に面白くない。
「わたくしが知らなければ、あの二人は一月近く一つ屋根の下で……うううう」
麗華は顔を真っ赤にして毛布へ潜り込む。
「そ、それに外国の方は愛情表現が大胆だと聞きますし……」
麗華はまだ、それが何なのか理解していなかった。
数秒後、毛布からそっと顔を出す。
「……明日、詩織に相談しましょう……」
そう呟いて、麗華は眠りにつくのだった。
◆平和を確認中
次の日の朝。
今日は平日なので、陸と麗華は学園に通う。
登校する前に食堂に案内される。
九条家の食堂は、ホテルの高級レストランみたいだった。
長いテーブル。
整然と並ぶ銀食器。
焼きたてのパンの香り。
和食も洋食も用意されており、メイド達が静かに給仕を行っている。
「(朝からこれかよ……)」
陸は強い場違い感を覚えていた。
一方、リリは無表情のまま周囲を観察している。
出入口。
窓。
使用人の人数。
立ち位置。
癖みたいなものだった。
朝食の場で麗華がリリに尋ねる。
「今日はどういたしますの?」
「ん……観光。ユーリにお勧めを聞いてある」
「そうですか」
麗華はそう言って、視線を早乙女に向ける。
早乙女が静かに頷く。
「今日は、わたくしたちはご一緒できませんが、是非日本を堪能してくださいね」
「わかった」
リリは小さく頷く。
リリは、自分の足で日本を見て回りたかった。
街の構造。
人の流れ。
治安。
逃走経路。
南米とは何が違うのか。
自分の目で確かめたかったのだ。
麗華とリリが会話している間、陸は無言だった。
話に入れる雰囲気ではなかったからだ。
「……」
助けを求めて早乙女さんに視線を向ける。
明らかに視線が交わっているのに、早乙女さんは陸を見ていなかった……処世術と言う奴か。
「(お嬢様と一緒に登校したなんてばれたら、何を噂されるかたまったもんじゃないぞ……)」
陸の予想は当たるのだが。
食事も終わり、麗華がリリに話しかける。
「移動の心配もありませんわ。車を手配しておきますから」
「ん、今日はいい。自由に動きたい」
麗華は一瞬だけ何か言いたげな表情を見せる。
本当なら、自分が案内したかった。
だが今日は授業がある。
「……そうですか。帰りは大丈夫ですか?」
「うん。GPSに登録した」
「……」
何を登録したのかはよく分からないが、大丈夫そうだった。
「では、また今夜、お会いしましょう」
「ん」
リリは食堂から出ていく二人を見送る。
そして改めて部屋の中を見回す。
監視カメラ。
盗聴器。
侵入口。
死角。
昨夜の時点でも確認したが、改めてチェックする。
「(此処にも監視カメラや盗聴器らしきものは無かった……)」
窓の鍵も問題ない。
廊下を通る使用人の足音も規則的だ。
「(食事に薬も混入されてなかったし……暫く安心させてから?)」
リリは無表情の下でそんな事を考えていた。
平和な日本。
だが彼女はまだ、その“平和”を信用できずにいた。
◆
リリは部屋の戻り、着替えをする。
七分丈のズボンに、タンクトップとシンプルなブラウス。
足元にはバックスキンのコンバットブーツ。
ミスマッチな組み合わせだが、此処は日本だし、リリのスタイルがそれを不自然に見せない。
ウェストバッグに小物を放り込めば出来上がりだ。
「ユーリが言ったことが本当か……試す」
リリはそう呟いてほんの少し微笑んだ。
◆
九条邸の玄関を出ると、屋敷の周囲を警察官たちが警護していた。
それを見てリリは思う。
「(やっぱり九条はマフィア……決まり)」
そのまま出かけようとすると、警官の一人がリリに話しかけてきた。
「すいません。九条家のお客様ですか?」
「……」
リリは黙って頷く。
「こちらの屋敷は特別警戒の対象となっており、身分証の確認を行っております。ご協力を」
口調は穏やかそうに言いながら、警官の目つきは真剣だった。
リリは黙ってウェストバッグからパスポートを取り出す。
警官がそれを検める。
「リリ・バートレッドさん……アメリカの方なんですね」
リリはじっと警官を観察する。
「(ホルスターの中は38スペシャル……リボルバー)」
既にリリの中で最悪の状況が想定されていく。
「(手を掴まれたら行動しよう)」
リリが決断した時、警官が顔を上げた。
「ご協力感謝します。外出の際、毎回確認が発生しますが、お許しくださいね」
そう言って警官は丁寧にパスポートを返してきた。
リリが生まれ育った地域での警察官や軍隊は横暴の塊だった。
こんなに丁寧に接しされた事など無かった。
だから、どう対応していいか分からず、受け取ったパスポートをウェストバッグに乱暴に放り込む。
それを見た警官が申し訳なさそうな表情を浮かべる。
リリが不愉快な気分になったと誤解したのだ。
リリは何となく気まずくなり、足早に九条邸を離れる。
リリは一度だけ振り返る。
警官は既に別の警備へ戻っていた。
「(……背中を向けても撃たれない)」
そんな事に、リリは少しだけ戸惑っていた。
リリの一日は困惑で始まったのだった。




