第22話 落ちたチョコレート
鳳城学園、陸の教室。
休み時間。
クラスの連中が思い思いにおしゃべりやスマートフォンのアプリに夢中になっている。
そんな中を詩織がリリに近づく。
そしてこそっと耳元に囁く。
「……チョコレート。渡さないの?」
「……」
リリの目がほんの僅か泳ぐ。
「(あらあらあら、なんて初々しい反応でしょ……めっちゃ可愛いんですけど)」
詩織の顔から猫髭が飛び出しそうだった。
「……なんか、むずかしい」
リリはそう言うと、またいつもの無表情に戻ってしまう。
「うふふ。青春ですねぇ……」
詩織は満足そうに笑う。
そんな詩織を責めるように麗華が見つめる。
「あらあらあら……麗華ちゃんも何か言いたそうですねぇ」
「何でもありませんわ……詩織、貴女少し悪趣味でいらしてよ」
「……悪趣味とは心外な……」
「ふん。知りません」
「(あらあらあら……こっちはまだまだの様ですね……)」
詩織は陸の方を見る。
陸は次の授業の用意をしているらしく、鞄の中からあれこれ取り出していた。
「(……決戦は放課後の様ですねぇ)」
詩織の愉悦時間はまだまだ継続するのだった。
◆
斑目の倉庫。
駐車場に、元は白かったのであろう大型の錆びの浮いた大型四駆が止まっていた。
そこに北条の小さな125㏄のバイクが到着する。
ヘルメットを脱ぎながら車体を見て呟く。
「ボロで良いとは言ったけど……こりゃあ凄いな」
北条は車体を叩く。
錆が浮いているが、もともと頑丈な車体なので、少しくらいの無茶には我慢してくれそうだった。
北条が車体を確かめていると、倉庫の中から班目が出てきた。
「どう?」
「十分ですよ」
斑目は大きく頷くと、ポケットの中から車のカギを取り出した。
「気を付けて……いざとなったら逃げるんだよ」
「分かってますって」
斑目がカギを北条に投げて渡す。
「じゃあ」
北条はそう言うと大型四駆のドアを開け、運転席に体を滑り込ませる。
鍵穴にかぎを差し込み捻る。
スターターが回り、ディーゼル特有の排気音が響く。
北条はクラッチを繋ぎ、静かに車を発進させたのだった。
◆
鳳城学園、陸の教室。
放課後。
生徒達が学業から解放されて生き生きとする時間。
陸が帰宅の準備をしている時だった。
リリが静かに陸の近づいてきた。
「リク」
リリが陸を呼ぶ。
陸は顔を上げてリリを見る。
「なに?」
リリは後ろに隠していたハーシーズのチョコレートを陸に差し出した。
「これ」
陸の表情が怪訝そうに曇る。
「……それがどうかした?」
「あげる」
リリは陸が喜んでくれると思い込んでいた。
だからそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。
「そんな物で……何をしたいのさ」
リリの目が見開かれる。
その時、陸は視線を逸らせていたのでリリの表情を見る事が出来なった。
「そんなスーパーの特売で売ってそうなチョコレート……」
そう言った瞬間、リリの手からチョコレートが離れる。
カサッ
微かな音を立ててチョコレートが床に落ちた。
その音に気付いて陸が顔を上げた時、今までに見たことのない表情で陸を見つめるリリの姿があった。
「えっ……」
次の瞬間、リリは静かに教室から出て行ってしまった。
何が起きたか理解できない陸に向かって、麗華が叫んだ。
「陸っ!!」
陸がその声の方向に振り返る。
バシッ
陸の左の頬が熱くなり、自分が叩かれたことを理解する。
「何をしているんですっ!!早く追いかけて、謝ってきなさいっ!!」
「えっ?」
事態が理解できない陸を、更に麗華が叱咤する。
「女の子を泣かせるような男は最低ですわっ!!」
陸は反射的に立ち上がる。
そして訳が分からないまま廊下に飛び出していくのだった。
◆
リリは廊下を急ぎ足で歩いていた。
何処に向かっているか自分でも分からなかった。
ただ、自分の中の気持ちがぐちゃぐちゃだった。
「(ユーリの嘘つき。チョコレート渡せばイチコロとか言って……)」
心の中でユーリに悪態を吐く。
リリにとって、ハーシーズのチョコレートは特別だった。
作戦行動中に渡されるレーションの中に、時々入っている甘いお菓子。
中の良いお姉さんたちも、これだけは簡単に交換してくれなかった貴重なお菓子。
「(気に入ってくれると思ったのに……陸は全然嬉しそうじゃなかった)」
それが悔しくて……悲しかった。
「(何でこんな気持ちになるんだろ……)」
リリは色々な事が頭の中でグルグルになりながら、ひたすらどこかに向かって歩いていた。
◆
「どこに行ったんだ……」
陸は廊下に出て、リリの姿を探す。
廊下のどちらにもリリの姿が見えない。
「階段かっ?」
陸は階段を駆け下りると、もう一度周囲を見回す。
「あっ」
そして下駄箱の向こう側に一瞬だけ後姿を見つけた。
リリは正門に向かう石畳の通路を早足で歩いていた。
「リリッ!!」
陸が大きな声でリリの名前を呼ぶ。
一瞬、リリの動きが止まるが、またすぐに歩き出してしまう。
「くそっ、追いつくかっ?」
陸は駆け出す。
前方の少女を追って。
リリはどんどんと正門の方へ行ってしまう。
「くそっ、追いつけっ!!」
◆
その少し前。
学園の正門に続く道の片隅に、大きな四駆が止まっていた。
車両の後ろには三角板が掲げられていて、故障中をアピールしていた。
四駆の運転手は、車外に出て、後続の車に頭を下げている。
しかし、その視線は常に正門に向けられていた。
車の交通量も減ってきたので、北条は再び運転席に座る。
フロントガラス越しに正門を見つめる。
「後しばらくしたら、九条の家の車が来るはず……暫く尾行して、あの辺りでぶつけて……」
北条は頭の中でこの後の行動をシミュレーションする。
その時だった。
正門の向こうから、一人の少女が早足で歩いてくるのが見えた。
「……まじかよ……」
北条は反射的にエンジンを掛ける。
そして周りも見ずに車を発進させる。
後続の車からクラクションが鳴らされるが、北条を気にしない。
ターゲットがそこにいるからだ。
◆
あと少しで追いつくと思った時、リリが正門の外に出てしまう。
「リリッ」
陸がリリの名前を呼ぶ。
リリは一瞬だけ振り向くが、すぐに走り出そうとする。
其処へいきなり大型の四駆がエンジンを唸らせながら突っ込んできた。
ギャギャギャギャッ
耳障りな音を立てて、リリの前に四駆が急停車する。
運転席から男が飛び出してきた。
手に何か持っているのが見えた。
「リリッ!!」
◆
いつものリリだったら、こんな気配を察知するのは簡単な事だった。
しかし今は頭の中がグチャグチャで何も考えられなかった。
だから気づくのに遅れた。
行く手を阻むように大型の車両が突っ込んできた。
咄嗟に身構えるが、その時は既に運転手が襲い掛かってきた。
ブンッ
特殊警棒が振り下ろされる。
後ろに飛びのいて間合いを取る。
だがすぐに運転手は横なぎに特殊警棒を振ってくる。
「ちいっ」
リリにいつもの余裕が無かった。
だから運転手のフェイントに引っかかってしまった。
横なぎに振るわれた特殊警棒をスウェイでやり過ごした……と思った時、運転手はその手の動きを止めていた。
リリの体が起き上がるのを待って、渾身の力で殴りつけてきた。
リリが身を固くして衝撃に備える。
ドガッ
肉を叩きつけるような衝撃音が響く。
しかし、リリには衝撃が訪れない。
いつの間にか、陸がリリと運転手の間に体を潜り込ませていたのだった。
「……リク」
「痛てえ……」
陸が苦痛に耐えながら、運転手を睨みつける。
「てめえ、リリに何をするっ!!」
陸は殴られた左の脇腹を押さえながら。背中にリリを庇う。
そろそろ周囲の人間が、この騒ぎに気付き始めた。
◆
北条は仕留めたと思った。
口の利ける状態なら、構わないという事だったので、動けなくなるように渾身の力で殴りつけたのだ。
しかし、今北条の目の前には、名前も知らない男子生徒が立っていた。
「(あばらが折れている筈なのに……)」
北条の警戒心が上がる。
「……お前、その女の知り合いか?」
北条が静かに尋ねる。
「だったら何だって言うんだよ」
北条は周囲を見回すと作戦を変更する。
「じゃあ、てめえでいいや」
そう言って北条は陸との間合いを詰める。
そしてその勢いのまま膝頭を陸の鳩尾に突き立てた。
「おぐあっ!!」
陸の体が九の字に曲がり、その場に崩れ落ちる。
陸の口から吐しゃ物が噴き出す。
北条は倒れた陸の襟首を掴むと、そのまま陸を引きずって車の後部に回る。
リアハッチを開けると、陸の身体を車内に放り込む。
「リクッ」
やっと我に返ったリリが車に近づく。
北条は特殊警棒でそれを牽制する。
「……おい、こいつは預かった……後で連絡する」
北条は不敵に笑うと、運転席に駆け込む。
リリもすぐに追いかけるが、一瞬の差で車が発進してしまう。
そして陸を乗せた大型四駆が、凄いスピードで走り去っていくのを、リリはじっと見つめるしかなかった。




