第19話 チョコレートはどこで買う?
その日の夜の九条邸。
リリはイリジウム携帯を片手に、九条邸の庭に出ていた。
そして登録してある番号から『ユーリ』を選んで通話する。
数回の呼び出し音の後、回線が繋がる。
『なに、リリ。何かあった……ちょっと手が離せないんだけど』
ユーリの言葉の後ろで何かヤバそうな音がしているがリリは気にしない。
「ちょっとリクを怒らせた……どうしたらいい?」
『え、陸を? あの子結構温厚なんだけどな……怒るなんて何したの?』
「別に何もしてない」
『じゃあ、怒る訳ないじゃん』
「レイカの所に居ると言っただけ」
『(多分それだな……)』
ユーリは思うが、口には出さない。
代わりにリリにアドバイスをする。
『まあ、根に持つような子じゃないから大丈夫だよ。チョコレートの一つでもプレゼントしたらイチコロだよ』
「イチコロ?……毒でも仕込む?」
『違うよ。普通にチョコ買って渡してみ。『こうかてきめんだ』よ』
「最近ユーリの言う事、嘘ばっかり」
『そんな事無いよ。あ、ちょっと拙い状況になってきた。また後でね』
急に通話が切られる。
リリは通話の切れたイリジウムを見つめる。
「チョコレートって……どこで買うの?」
リリの呟きは誰にも聞こえなかった。
◆
次の日の朝の九条邸。
今日の朝食はエッグベネディクトに季節の野菜のサラダ。各種のジュースと紅茶だった。
相変わらず綺麗な所作で食事をしていく二人の美少女。
ふと、リリが食事の手を止める。
「ねえ、レイカ。チョコレートってどこで買うの?」
「チョコレートですか?」
「ん」
「そうですね……ウチではチョコレートは料理長に用意してもらっておりますわ」
「料理長がつくる?」
その時、周囲に控えているメイド達が一斉に心の中で叫ぶ。
「「「(違います、お嬢様っ!!)」」」
「ええ、夕食時のデザートで頂くくらいですわね。ザッハトルテとか」
「ふうん。ハーシーズとかは?」
「はーしーず……ですか? 聞いたことが無いですわね」
「レーションに良く入ってるんだけど」
「れーしょん……それはどんなお料理なのです?」
「……いろいろ。当たり外れがある」
「それ、本当に料理なのですか?」
「ん」
メイド達は思う。
「「「(こういう時に陸様がいないなんてっ!!)」」」
混沌とした朝食の時間が過ぎていくのだった。
◆
北条のアパート。
北条は眠い目を擦りながら、カメラのモニターを覗く。
玄関で動きがあった。
自動扉が開き、黒塗りの高級車が外に出て行くところだった。
「0730……黒のセダンが出て行く……と」
北条はカメラで撮影しながら呟く。
「こんなに早く……ああ、確か九条の孫娘がいたな……それか」
北条は小さなノートにメモをする。
「尾行するなら明日だな……さて、またしばらく待機かな」
北条は昨夜仕入れておいたおにぎりを頬張る。
「後は、大蔵と綾香か……」
「(ふーん、そうなんだ)」
不意に背後から声が聞こえた。
「えっ」
北条は思わず振り返る。
しかし部屋には自分一人だけ。
「……まじかよ……」
北条はそう呟くと、何も聞かなかったことにして、カメラのモニターに神経を集中するのだった。
◆
陸の通う鳳城学園、陸のクラス。
早朝のこの時間は、まだ生徒の姿もまばらだった。
しかし、今日は少しいつもと違っていた。
陸が既に教室内に居て、机に突っ伏して寝ていたからだ。
「あれ、カバン持ちが教室にいる?」
「昨日、ケンカみたいなのしてたから、首になったんじゃね?」
「確かにな。九条さんとじゃ釣り合わないよな」
クラスメイト達が勝手な事を言っているのを、陸は聞き流していた。
「(はいはい、そーですよ。俺は一般枠で入学した平民様だからな)」
少し拗ねている陸だった。
正確には、久しぶりの一人を満喫して夜更かしをして寝不足で気分がダウン気味なだけなのだが。
そこに珍しく早く登校してきた詩織が近づいてきた。
「おはよう、佐伯君」
陸は横目でちらりと声の主を確認する。
「……おはよう」
「あらあらあら、麗華ちゃんと仲直りしてないんですか?」
「昨日の今日で、そんなに早く仲直りするか……っていうか、喧嘩なんかしてないよ」
「ふーん。そうなんだ」
詩織はくすくすと笑いながら、陸の耳元に顔を近づける。
「昨日言ってた、『悪だくみ』の話をしたいなぁ……」
陸はゆっくり目を開ける。
「そんなに大した思い付きじゃないんだ……嘘から出たまこと……にしちゃえば良いかなと考えたんだ」
「嘘から出た実……ですか……面白そうですね」
「もっとも、これにはリリの協力が必要なんだけどさ……アイツはお嬢様と一緒だし……」
「それで?」
「お嬢様にはあんまり危険な事をして欲しくないんだよ……だから話から遠ざけていたのに……」
「あらあらあら……それは聞き捨てならないですねぇ……あたしだったら危険な目に合わせても構わないと?」
「そういう性格だから大丈夫だろ?」
「酷い男ですね、佐伯君は」
「分かったら、俺に近づくなよ」
陸はそう言って笑う。
「(麗華ちゃんが好意を寄せる訳ですね……ちょっと悔しいですけど)」
そんな会話をしているとき、麗華とリリが教室に入ってきたのだった。
◆
教室内に緊張が走る。
麗華は陸を一瞥するだけで、すぐに視線を逸らせ、自席に座る。
リリは最初から何も言わずに自分の席に座った。
「……あらあらあら、朝からクライマックスですね」
「喜んでんじゃねえよ」
「えー、だってこんな麗華ちゃん見るの初めてですし……めっちゃ楽しいですぅ」
「(このひと絶対、前世が猫だったろ)」
陸は確信するのだった。
◆
陸と詩織が眼だけで会話していると、不意にリリが席を立ちあがる。
そしてツカツカと陸……ではなく詩織に近づいた。
「シオリ、聞きたい事がある」
「あら、何でしょう?」
リリは一瞬だけ陸を見てから、詩織に話す。
「此処じゃダメ。ちょっとくる」
そう言ってリリは詩織の袖を掴むと廊下に連れ出す。
「あらあらあら……」
詩織の枕詞が残響のように教室に響いた。
その二人の背中を見送る陸。
「……何だったんだ……」
そう呟いて振り返ると、麗華と視線が交差する。
麗華の顔がぼっと赤くなる。
「(なんだよ……まだ怒っているのか……)」
陸は相変わらずの朴念仁だった。
◆
一方、廊下に連れ出された詩織。
「リリさん。そろそろ離してくれませんか」
詩織が前を歩くリリに話し掛ける。
リリが急に止まり、くるっと振り返る。
「シオリ……聞きたい事がる」
「何でしょう、あらたまって……」
リリがグイッと詩織に顔を近づける。
「(うわあぁ……間近で見ると、美少女っぷりがすごいですぅ)」
詩織がリリの迫力に驚いていると、リリが覚悟を決めた様に口を開く。
「チョコレートって、どこで買うの?」
「ふぇ?」
詩織の口から変な声が出る。
「レイカに聞いたら、自分の家で作るって……チョコレートって自分の家でも作れるの?」
「ま、まあ……麗華の家なら有り得ますね」
「チョコレートがそんなに高級品だなんて……ユーリの奴、また嘘を吐いた」
「(あらあらあら……リリさんは何か誤解をしているようですね……うふふふ)」
詩織の目が、猫が獲物を狙う時の目になった。
「大丈夫ですよ。あたしが何とかしましょう」
「え、ほんと」
リリが無表情のまま顔を上げる。
「(……何となく、この子の感情表現がわかるようになってきましたね)」
「はい。では、今日の放課後……」
「ん」
リリの口元がほんの少し綻んでいた。




