第14話 留学生は静かに追われる
下落合クリーニングサービス。
新宿の外れにその店はあった。
表通りから一つ外れた通り沿いにひっそりと佇んでいる。
店舗兼住宅の古びた二階建ての建屋。
正面のスペースが駐車場を兼ねていて、今はボロボロなワンボックスが止まっている。
そのワンボックスから降りた斑目は、慣れた足取りで事務所に入る。
「社長、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
女子事務員が斑目に挨拶をし、斑目もそれに返事をする……ごく普通の事務所の光景だった。
「アキちゃん、何か連絡あった?」
「特にはありませんけど……社長、ちゃんと携帯見てますか?」
「あははは、ごめんごめん。見てないや」
「もう」
アキと呼ばれた若い女子事務員が頬を膨らませる。
斑目は机の上に置かれた書類に目を通しながら、アキに話し掛ける。
「この後、ボクは北条君をピックアップして倉庫に行っちゃうから、定時で上がっていいよ」
「またですか。わかりました」
「戸締りだけはしっかりとね。最近、ぶっそうだから」
「分かってますって」
アキが笑顔で答える。
書類の確認を終えると、斑目は事務所の隅に置いてあったバッグを持つ。
「じゃあ、後はよろしく」
「はい。行ってらっしゃい。また明日」
アキに見送られて斑目は再びワンボックスに乗り込む。
そしてゆっくりと車を発進させた。
◆
ワンボックスは住宅街の公園の前で止まる。
車の到着に気付いた若い男がベンチから立ち上がり、ワンボックスに近づく。
「悪いね、北条君。待った?」
「いえ。そんなには」
若い男はそう答えてから助手席に乗り込む。
再び車がゆっくりと発進する。
「北条君、悪いけど今日は残業ね」
「……探し物ですか?」
「うん。ちょっと訳アリ」
「……さっき携帯に送られてきた動画と関係します?」
車が赤信号で止まる。
斑目は無言で北条の方を見る。
「とりあえず、その前を走ってる女の子……見つけてきて。できれば……口が利ける状態だといいね」
「また難しい注文を……」
「出来ない人には頼まないよ」
信号が再び青に変わる。
斑目はゆっくりとアクセルを踏む。
「多分、君でないと対処できない」
そう話す斑目に表情が無かった。
◆
結局、昼休み、午後の授業も順調に過ごすことができた。
これも全て、麗華の威圧と、詩織の根回しによるものだ。
これから帰宅するだけなのだが、麗華と詩織は生徒会に用事があるとかで、今は教室にリリと二人きりだった。
「ねえ、リリさん」
「リリで良い。リクと呼ぶから」
「リリ、本当にいいの? 短期留学生なんて、社会人なのにまた学校なんて」
「学校は初めて。なかなか興味深い」
「えっ?」
陸は此処で地雷を踏んだことに気付く。
「(そうだ、相手は10歳から会社で働いてたんだぞ。学校に……行かなかった?)」
リリは陸の動きが止まったことに気付く。
この手の話をすると、大抵相手が動かなくなるか……泣く。
「いろいろあった。だから家庭教師?……みたいなもので学んだ。独学」
「あ、そうなんだ」
「特にステラとアレクシアが煩い」
「(この名前、ちょくちょく出てくるけど……)」
陸は苦笑しながら頷く。
「今日の授業も、日本語以外は何とかなりそう」
「へえ、そうなんだ」
リリは一旦頷いてから、少しだけ付け足す。
「日本語で質問されなければ」
「なるほどね」
そう言えば、リリとの会話も日本語で行っている。
というか、リリが日本語を使ってくれるからなのだが。
「日本語はユーリから教わった。アイツ、都合が悪くなると日本語で喚くから、悔しくて覚えた」
「ああ……はい」
陸は従妹の顔を思い浮かべる。
そんなたわいもない話をしていると、麗華と詩織が連れ立って現れた。
「お待たせしましたわ」
「おまたせー」
「ん」
リリはすっと麗華の横に並ぶ。
そして麗華とリリ、陸と詩織の並びで歩き始める。
早速、猫の目になった詩織が耳元に囁く。
「ねね、何を話していたんですぅ? 随分と盛り上がってましたね」
「そんな事無いよ。日本語上手だねって話と、授業大丈夫って話をしてたんだ」
すると詩織は、心底詰まらなそうな顔をする。
「麗華だけかと思ったら佐伯君もなんですね」
「え、何が?」
「そう言うところです」
そう言うと詩織はリリの横に移動してしまう。
一人取り残された陸だった。
「……え、さっぱり分かんないんだけど」
前から三人の笑い声が聞こえてきた。
◆
北条は斑目と別れた後、自宅と称しているアパートに着く。
ワンルームで、入り口のすぐ横にキッチンがある。
中は殺風景なほど物が無い。
北条は部屋の奥にある椅子に座ると、机の上のノートPCの電源を入れる。
そしてクローズドチャットにログインする。
『おい、お前たちの好物を持ってきた。この写真のタクシー会社と、運転手を特定したい』
カチャカチャと慣れた手つきで画像をアップする。
ものの数秒でレスが来る。
『このかわいこちゃん誰?』
『俺のヨメ』
『ふざけんな。俺のヨメだ』
暫くはまともな答えが返ってきそうにない。
北条は冷蔵庫まで行って、中からノンアルコールビールを取り出す。
それを持って再びPCの前に座る。
暫く画面を眺めていると、幾つか有力な推理が上がってくる。
『このタクシー、駅で客待ちしてないから、この駅での入構権がない会社じゃね』
『確かに。この画像から推測するに新宿でしょ』
北条はじっとレスの続きを待つ。
『このタクシー会社、あんまり大きくない会社だったと思う。練馬の方に会社があるはず』
「(ほう……マニアってやつか)」
そしてその入力を見て、北条の目が見開かれる。
『確か、行燈にシリアルナンバーが張ってあった気がする』
北条がすぐに画像を拡大する。
確かに行燈の右下に数字がかろうじて読める。
「(なるほど……これで日時と場所から割り出せるか……)」
北条は持ってきたビールを開けると、一口飲み込む。
「(数分でここまで辿り着くとは……やはり異常者の巣だな)」
北条はチャットでまとまった金額を放り込む。
『また頼む』
『まいどー』
『まいどー』
北条は椅子の背もたれに体を預けると、残りのビールを一気に飲み干すのだった。
◆
放課後。
校門の前までやってきた。
「じゃあ、俺は此処で失礼するよ」
陸がそう言うと、女性陣が怪訝そうな表情を浮かべる。
「陸、何を言ってますの。リリさんと一緒に帰るのでしょう?」
「いやいや、リリは九条さんの家でかくま……んんっ、滞在するんでしょ。俺はそろそろ家に帰るよ。色々やる事があるんだ」
陸の頭の中に冷蔵庫の中身が浮かぶ。
「陸、リリさんをお一人にするつもり?」
「(いやいや、いつもべったり一緒にいるじゃないか)」
と、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「いや、いつまでも九条さんの家に俺まで厄介になるのは……」
そこまで言いかけた時、背後に誰かが立つ気配がした。
恐る恐る振り返ると、早乙女さんの姿があった。
「(いつの間に……)」
横目でリリを見ると、リリも険しい目で早乙女さんを見ている。
「お迎えに上がりました。皆さま、どうぞ」
そう言って、早乙女さんは後部ドアを開ける。
麗華お嬢様が、陸を見つめながら、顎を振って早く乗れと促す。
「(これは断れないやつだ……)」
陸はがっくりと肩を落とす。
状況をよく分かっていないリリが最初に車に乗り込む。
続けて陸。
そして最後に麗華が乗り込む。
ドアが閉まり、麗華が窓ガラスを下げる。
「詩織。また明日。ごきげんよう」
「うん。また明日ね」
詩織はそう言ってニコニコしながら手を振っている。
「早乙女、出して」
麗華がそう言うと、車は静かに発進した。
リリは既に車窓の向こうに見入っているし、麗華はいつものように腕を組んで何かを思案している。
そして真ん中で陸が小さくなっている。
「(早乙女さん、恨むぜ)」
そう心の中で呟くが、今日は既に運転席と後部座席に仕切りが閉まっていたのだった。




