第3話 観察される
何日か経った。
何日なのかは分からない。灯りが暗くなって、明るくなって、それを何度か繰り返した。それだけだ。
数えようと思えば、食事の数を数えればよかったのかもしれない。日に三回来る。それは分かっている。
だが、数え始めたころにはもう何回か過ぎていたし、途中から数えても意味がない気がした。
男はその繰り返しにすぐ慣れた。
起きる。用を足す。顔を洗う。食事が下りてくる。食べる。皿が上がっていく。座る。しばらく何もしない。また食事が下りてくる。食べる。皿が上がる。座る。灯りが暗くなる。眠る。
不足はなかった。
腹が減れば食事が来た。喉が渇けば水が出た。寒いと思ったことはなかったし、暑いと思ったこともなかった。痛いところもなかった。
男は深くは考えなかった。とりあえず、世話をしてくれるし、危害を加える気もないらしい。どうやら命拾いしたようだ。
上を見ればたいてい目玉がある。
食事のときは必ずある。目が覚めたときにあることもあった。男が長椅子に座って何もしていないだけの時間にも、上を見るとそこにあった。
何をしているわけでもない。近づいてくるわけでもない。ただ、ある。
男は最初のうち、上を見るたびにそれを見ていた。
そのうち、気にしなくなった。
見返しても何も起きないので、見返す理由が特に思いつかなくなった。
だんだんと物が増えていった。
最初に寝具が下りてきた。男は使わなかった。そのあと四角い布が下りてきた。厚みがあって、柔らかい。何に使うものなのか分からなかったので、男は長椅子の上に置いた。しばらくして、座るときに背中に当たると、具合がいいことに気づいて、使うことにした。
次に器が下りてきた。取っ手のついた深い器だ。何も入っていなかった。男はそれを台の上に置いた。置いたまま使わなかった。
次に下りてきたのは、水を入れた容器だった。透明で細長い。それは使った。喉が渇いたときに、いちいち手を濡らさなくてもよくなった。
次に丸いものが下りてきた。
手のひらに載るくらいの大きさで赤かった。表面がつやつやしている。男はそれを持ち上げて、しばらく見たてから床に置いた。少し転がった。転がって、壁に当たって止まった。拾わずに放置した。
次の食事のとき、皿の横に同じ丸いものが置かれていた。食べてみたら硬くて、甘くて、水気があった。
床に転がっているほうは、そのままだった。
あるとき、こちらを見ているだけだった目玉が動いた。食事のあとで男が長椅子に座っていると、手が伸びてきた。食事を降ろしてくる以外では珍しい。
手には細い棒が握られていた。棒が部屋の床に向かって下りてきた。男の立っている場所から、少し離れたところに。
棒の先が床に触れると傷つく音がした。まっすぐ、壁の方に動かしている。しばらくすると床から離れ、別の場所に触れ今度は壁沿いの方向に動かしている。
(線をひいてる……?)
それがまっすぐ下へ伸びて、途中で止まり、離れた。棒がまた下りてきて、別の場所に触れた。線が引かれた。今度は横だった。
男は床に線が増えていくのを見ていた。
線は増え続けた。まっすぐなものと、曲がるものと、跳ねるものがあった。それがひとまとまりになって、少し離れたところに、次のまとまりが始まった。途中で気づいた。
文字だ。文字を書いている。
(たぶん文字だけど……)
壁際に立ってみて眺めみて、読めないことに気づいた。文字だとは分かる。どれをどの音に当てはめるのかが分からなかった。自分でも驚いて、しばらく答えを探したが、いくら待っても出てこなかった。
結局なんて書いてあるのかは分からなかった。諦めて長椅子に座った。
その日から床にはうっすら溝が残った。消されなかった。
男は毎日その上を歩いた。踏むと、足の裏で少しだけ引っかかる。慣れると、引っかかりも気にならなくなった。
眠る時間になっても、灯りが暗くならない日が何日か続いた。何度か、眠っている途中で目が覚めたことがある。目玉がこちらを見ていることもあった。男はそれを見て、また目を閉じた。
あるとき、食事の量が少し多かった。食べきれないほどではないので全部食べた。食べ終えて、目玉を見た。
板が上がっていくまで、いつもより間があった。
そういえば、床の丸いものはいつのまにか無くなっていた。いつ無くなったのかは、分からなかった。
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第233日。
個体A。
体調に問題なし。摂食、睡眠ともに安定。環境への適応は完了したと判断する。
本日、文字による伝達を試行。
床面に大書。個体は文字の中を移動したり、手で触れてみたり、壁際に立って眺めるといった行動を示した。興味は示したようだが応答はなかった。答えたくなかった可能性もあるが、文字が判読できなかった可能性も否定できない。
個体に筆記具を渡す方法も試したいが、個体に合わせた寸法の筆記具を作る術がない。
以上により、文字による伝達を断念する。
第380日。
個体Aは依然として発語がない。
個体は健康である。環境に不足はない。それでも発語がない。発語ができないのかもしれない。心因によるものなのか、発達によるものなのか、原因は不明なままである。
同種がいれば発語する可能性も否定しきれない。




