第七話 最強魔術師、災厄を反射する
元パーティーの面々やガイウス運営長が帝国の暗い執務室で絶望のどん底に叩き落とされた数日後。
まだ専属護衛として慣れない生活を送っていた俺、いや正確には王国に最悪が訪れる。
エルフィア聖王国の王都は、建国以来の大危機に瀕していた。
「報告します! 東門、西門ともに外縁の監視塔が沈黙! 魔獣の推定数は万を超えています!」
「バカな、あり得ん! これほどの規模の魔獣の反乱など、過去の歴史をひっくり返しても前例がないぞ!」
王宮の作戦会議室では、ベテランの騎士たちや宮廷魔術師たちが、真っ青な顔で怒号を飛び交わせていた。
窓の外からは、大気をビリビリと震わせる不気味な咆哮と、地平線を埋め尽くすほどの足音が地響きとなって伝わってくる。
それは、一国を容易く踏みつぶし得る災厄の足音だった。
「聖女エルナ様! すでに第一防衛線は突破されました! 近隣の街や村は避難が完了していますが、この王都の城壁が持つかどうか……! すぐに地下の特級シェルターへ避難を!」
騎士団長が、額に大量の汗を浮かべながらエルナ様へ懇願する。
しかし、純白の聖職衣をまとったエルナ様は、一切の動揺を見せることなく毅然と前を見据えていた。
「いいえ、私は逃げません。聖女として、この国の人々が恐怖に怯えている中で、自分だけが安全な場所に隠れるなど許されませんわ。……それに」
エルナ様はそう言うと、すぐ隣に立っていた俺へと振り返り、サファイアブルーの瞳を優しく細めた。
「私には、世界で一番信頼できる専属護衛がついていてくれていますから」
「っ……はい。お任せください、エルナ様。あなたに指一本触れさせはしません」
俺は深く頷き、エルナ様と共に最前線である王都の外郭城壁の上へと向かった。
そびえ立つ巨大な石造りの城壁。その上に登ると、眼下に広がる光景はまさに地獄そのものだった。
地平線の彼方まで、地面が見えなくなるほど黒く蠢く魔獣の波。
突撃の最前線にいるのは、並の冒険者パーティーなら一瞬で全滅するような大型の魔獣ばかりだ。
城壁に並ぶ王国の兵士や魔術師たちは、圧倒的な物量を前にして、誰もが死を覚悟した表情で武器を握りしめていた。ガタガタと震え、神への祈りを口ずさむ者も少なくない。
「聖女様が来られたぞ! ……だが、この数では聖女様の神聖魔法でも……ッ!」
「もうダメだ、王都は終わりだ……俺たちはここで死ぬんだ……!」
絶望が周囲の空気を重く支配する中、俺は一歩前に出て、城壁の縁から眼下の群れを見下ろした。
(結構な数だな。でも、帝国にいた頃はこれくらいの規模の群れを『ちょっと小規模な間引きに行ってこい』って言われて、あの4人だけで処理させられていたしな……)
当時の過酷なブラック労働を思い出しながら、俺は内心でため息をついた。
あの時は、ディランたちが勝手に突っ込んでいくのをカバーするために走り回っていたが、今回は違う。
後ろにいるエルナ様と、この街に住む何万人という無辜の市民を、一匹残らず守り切らなければならない。
(よし。今回は守る範囲が広いから……いつもキャンプの時に張る風よけの結界を、ほんのちょっとだけ広めに張るか)
俺はふぅ、と深く息を吐き、右手をそっと大空へと掲げた。
頭の中でイメージするのは、テントの敷地全体をすっぽりと覆い、雨や虫を完全にシャットアウトする、あのありふれた生活魔法だ。
「『広域遮断結界』」
その瞬間――俺の身体の中心から、堰を切ったように解き放たれた純白の魔力が、目も眩むような大爆発を起こした。
ドゴォォォォンッ!!!!
「な、なんだこの魔力量は……!? 視界が真っ白に……!?」
「バカな、大気が、いや空間そのものが震えているぞ……!」
背後にいた騎士団長や魔術師たちが、あまりの光の圧力に腕で顔を覆いながら悲鳴を上げる。
俺の手のひらから放たれた光の奔流は、天を衝く巨大な柱となって雲を吹き飛ばし、またたく間に王都全体、いや、周囲の広大な平原まですっぽりと包み込む巨大な半球状の障壁へと姿を変えた。
それは、神が地上に降ろした天空の城壁と見紛うほどに清らかで、同時に世界の理を無視した圧倒的な密度を持つ、絶対不可侵の障壁だった。
直後、猛スピードで突撃してきた魔獣の先頭集団が、その結界に接触した。
ギギィィィンッ!!!!
鼓膜が破れんばかりの凄まじい金属音が響き渡る。
だが、俺の結界はピシリとも音を立てない。
結界に激突した数千匹の魔獣たちは、まるで超高圧の電流壁に触れた羽虫のように、一瞬にして光の塵となって消滅していった。
「ガ、ガアァァ!? 何が起きた!?」
「グルルゥ……ッ! 進めない、中に入れないぞ!」
何が起きたのか理解できない後続の魔獣たちも、次々とその光の壁に激突しては、結界が持つ『衝撃完全反射』の機能によって、自分たちの突撃の威力をそのまま全身に受けて自滅していく。
俺自身は城壁の上から一歩も動いていない。ただ、右手を少し上げているだけだ。
結界の向こう側では、何万という魔獣の軍勢が、光の壁に吸い込まれてただ一方的に消滅していく地獄絵図が繰り広げられている。
しかし、結界の内側である王都は、突風一つ吹かない、信じられないほどに穏やかで安全な空間が保たれていた。
「……嘘、でしょう?」
後ろで見ていたエルナ様が、へたり込みそうになるのを必死に堪えながら呟いた。
騎士団長も、弓を構えていた兵士たちも、全員が武器を地面に落とし、口をあんぐりと開けて目の前の光景を凝視している。
「一国を滅ぼすはずの災厄がただの結界一つで、完全に、たった一人で食い止められている……それどころか、魔獣が勝手に全滅していく……。彼は、一体何者なんだ……!?」
静まり返る城壁の上で、俺は少し困ったように頭を掻きながら、エルナ様へと振り返った。
「あ、あの、エルナ様。一応、これで街の中には一匹も入れないようにしましたので、もう安心してください。……ただ、やっぱり俺の魔法って地味ですよね。攻撃魔法みたいに一瞬でドカンと全滅させられなくて、弾き返すまでに少し時間がかかっちゃいます。退屈な防衛戦にしてしまって、本当にすみません」
「……っ」
本気で申し訳なさそうに頭を下げる俺を見て、エルナ様はついに言葉を失い、完全に思考を停止させてしまうのだった。




