第六話 最強魔術師が抜けたパーティー
アルスがエルフィア聖王国で、聖女エルナの手料理に胃袋を掴まれ、甘すぎる新生活の第一歩を踏み出していた頃。
彼をゴミのように追い出した帝国の上位パーティーの面々は、かつてないほどの異変に直面していた。
帝国領内にある、難関と名高い『黒鉄の迷宮』で――。
その第五階層、黒く硬い岩肌に囲まれた不気味な洞窟の中で、激しい金属音と罵声が響き渡る。
「おい! クソが、なんでこんなに攻撃が通らねえんだよッ!」
大剣を大きく振り回し、目の前の魔獣――巨大な甲殻を持つアイアン・ゴーレムに斬りかかっていたのは、前衛リーダーのディランだった。
いつもなら、彼の一撃はゴーレムの頑丈な装甲をバターのように容易く両断していたはずだった。
しかし、今は違った。
ガギィィィンッ!!! と鼓膜を震わせる嫌な衝撃音が洞窟内に響き渡るだけでダメージが入らないのだ。
ディランの大剣はゴーレムの表面を少し削っただけで火花を散らして弾かれ、逆にその凄まじい反動が彼の両腕を襲った。
「ぐあッ!? 腕が……痺れる……!? 嘘だろ、いつもならこんな雑魚、ワンパンだぞ!」
「ディラン、危ないわ! 後ろ!」
後方から悲鳴のような声を上げたのは、魔術師のミリアだった。
彼女はすぐさま、得意の派手な『爆炎魔法』を放つ。
激しい爆風と炎がゴーレムを包み込む。いつもなら、これだけで周囲の魔獣は跡形もなく消し飛ぶ、彼女の最大の切り札だ。
だが、炎が晴れた後に現れたのは、煤で少し黒くなった程度の、ほとんど無傷に近いゴーレムの姿だった。
「な、嘘でしょ!? 私の魔法の威力が、半分以下になってる……。 魔力の練り込みは完璧だったはずなのに、どうして!?」
「うおぉぉッ、助けてくれ! 身体が重くて、盾が持ち上がらねえ!」
前線でゴーレムの突撃を受け止めていた大柄な盾職人のボルドも、信じられないといった様子で悲鳴を上げた。
普段なら、魔獣の強烈な体当たりを受けても、一歩も引かずに涼しい顔で弾き返せていた男だ。
それが今は、ただの小突撃を食らっただけで盾ごと後ろに吹き飛び、地面を無様に転がっている。
いつもなら、敵の攻撃が当たる直前に『見えない盾』が自分たちを守ってくれていたはずだった。
いつもなら、どれだけ大技を連発しても、無限に魔力が湧き出てくるような万能感があったはずだった。
それらがすべて、一瞬にして消失している。
「ガアァァァッ!」
ゴーレムの巨大な拳が、無防備になったディランの胸元へ容赦なく叩き込まれる。
「がはっ……!? 痛ってぇぇぇ!!」
今まではかすり傷すら負わなかった頑丈な防具が容易くひしゃげ、ディランは無様に地面をごろごろと転がった。
骨が折れる鈍い音が洞窟内に冷たく響く。
「クソッ、引くぞ! 一旦、引くんだ!」
ディランはプライドをかなぐり捨てて叫び、満身創痍のメンバーを引き連れて、命からがら迷宮を脱出したのだった。
連中が辿りついたのは迷宮の入り口付近にある、冒険者用のキャンプ地。
パーティーの面々は、泥と血と涙にまみれて地面にへたり込んでいた。
かつて帝国の若手ホープとして、常に完璧で華麗な勝利を収めていた彼らの面影は、どこにもない。
「はぁ、はぁ……クソ、なんなんだ今日は……。全員、体調でも悪いのか?」
ディランは治癒魔法で治療した自分の両手を見つめ、恐怖でわななきながら呟いた。
全身の筋肉が鉛のように重い。いつもなら、ダンジョンを何時間走り回っても疲れることなどなかった。
「ねぇ、ディラン……気のせいじゃないわ。私、魔法を発動するときの魔力の回路が半分閉じちゃったみたいに重いの……」
ミリアが、青ざめた顔で自分の杖を握りしめる。
その後に続くようにボルドも口を開く。
「俺もだ……。いつもなら、敵の動きが止まって見えるくらい身体が軽かったのに、今日はまるで泥の中を走ってるみたいだったぜ。防具が重くて死にそうだ」
ボルドの言葉を聞き、ディランの脳裏に、ふとある少年の顔がよぎった。
『お前のような無能は、今日限りで我がパーティーをクビだ』
数日前、運営長であるガイウスがそう言って、いつも後ろの方でぶつぶつと地味な魔法を唱えていたお荷物――アルスを追い出したのだ。
ディランたちも、ガイウスの横で一緒になってアルスを罵り、嘲笑っていた。
「……いや、まさかな」
ディランは即座にその考えを頭から振り払った。
そんなはずなど、あるわけが無い。
「あいつはただの無能だ。派手な攻撃もできねえ、ただの結界術士だ。俺たちがこんなに苦戦しているのは、きっとこの迷宮の魔獣が突然変異で強くなったか、俺たちの連携が少し乱れているだけだ。そうだ、そうに決まっている」
「そうよね……。あのアルスが、私たちの強さに関係しているわけないものね。あいつ、いつも後ろで突っ立ってただけだし」
「ああ、あんなゴミ一人いなくなったところで、俺たちの地位は揺るがねえよ。よし、町へ戻って最上級のポーションを買うぞ」
彼らは自分たちのプライドを守るために、必死にそう言い聞かせた。
だが既に亀裂は目に見え始めていた。
帝国のギルド本部にて。
アルスを直接クビにした張本人である運営長ガイウスの執務室には、ギルドを統括するさらに上の上層部や、帝国の査察官が詰めかけていた。
「――おい、ガイウス。これはどういうことだ?」
査察官が叩きつけたのは、アルスが抜けた後のパーティーの、あまりにも無惨な戦闘データの急落記録だった。
「彼らがこれまで上げていた異常な戦果の数々……そのカラクリが判明したぞ。すべては、お前が先日『無能』と称して独断でクビにした少年、アルス君の常時支援魔法のおかげだったのではないか!」
「な、何を仰るのですかァ! あんなのはただの、後ろで突っ立っているだけの地味な――」
「黙れ! これを見ろ!」
査察官が突き出したのは、アルスがギルドを去る際に置いていったギルド証の魔力解析書だった。
そこに残されていたのは、帝国の最高位魔術師すら遥かに凌駕する、神の領域に近い濃密な魔力の記録。
「彼の結界は、対象の身体能力を極限まで引き上げ、あらゆる外的ダメージを自動で無効化する神級の『常時支援結界』だったのだ! 彼はその驚異的な魔力で、パーティー全員を四六時中、完全に保護していた。お前は帝国の至宝とも言える存在を、自分の無知のせいでドブに捨てたんだよ!」
「そ、そんな……馬鹿な……あいつが、そんな化け物だったなんて……!」
ガイウスの顔から、急速に血の気が引いていく。
全身を駆け巡ったのは受け入れ難い真実。
「アルス君が抜けたことで、あのパーティーはただの凡人に成り下がった。それどころか、彼の結界に頼り切っていたツケが回り、まともに戦うことすらできなくなっている。ギルドの損失は計り知れんぞ」
ガタガタと震えだすガイウスに、査察官は冷酷な宣告を下した。
「ガイウス。お前を運営長の座から即座に更迭する。さらに、今回の失態による損失補填として、巨額の賠償金を請求する。……地位も名誉も財産も、すべて失いたくなければ、何としてでもアルス君を探し出し、土下座してでも連れ戻してこい。できなければ……お前の人生は終わりだ」
「ちょ、まっ、待ってくれよォ!!」
かつて高圧的な態度でアルスにクビを言い渡した運営長は、今や恐怖と絶望で涙を流し、床に這いつくばることしかできなかった。
自分たちがどれほど取り返しのつかない大罪を犯したのか。
アルスが静かに去ったあの日から、ガイウスと元パーティーの輝かしい栄光は、完全に崩壊へと向かって転がり落ちていたのだった。




